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スタン・ハンセン

2022年9・19遂に憧れのスタンハンセンに会った。
当然生の試合は見た事はあるが、こんな近い場に居れることは初めて。
心臓の高鳴りが抑えられない。

イベントの趣旨は、藤波辰爾とプロレス50周年90分のトークショーである。
まずはてれっててれてれてれてれてれーに乗せて藤波さんの登場。ユリオカ超特Qじゃなくて良かった。
そして馬の嗎ととともにサンライズだ。マスクをしているものの100人位の会場には一気に熱が上がった。

実は僕が開演前にトイレに行ったところ、主催者の緒方さんとばったり会う事ができた。
緒方さんにはジャイアント馬場の酒スタンハンセンラベルをプレゼントしたい旨を伝えていた。
緒方さんは早速ハンセンを呼んでくれ、特別にツーショットを撮らせてもらった。

ハンセンに馬場の酒をプレゼント

突然の計らいだったので、僕は戸惑っていたが、ハンセンさんは暖かく撮影に応じてくれた。
一生ものである。言葉にできない感激である。

トークショーが始まり、藤波さんとハンセンの話が始まった。
残念ながら新日時代の話に終始してしまったが、内容は十分であった。
全日本から新日本、そして新日本という経緯。
NFLから学校教師。
テリーに誘われ、ファンクス道場でジャンボ鶴田と練習した事。
プロレスラースーパースター烈伝の通りである。
当初は全日本に上がり、ブッチャーからスタイルを学んだという。
一旦WWFに戻り、サンマルチノ事件の後、新日に上がる。
そこで藤波さんと対峙する事になる。
シングルマッチは3回しかなかったようだ。1、2度目は藤波が3分か4分の短時間で負け。その結果を聞くとハンセンは大きな声で笑った。
ハンセンはゆっくり分かり易い英語で話してくれる。
英語が分からなくても何となく雰囲気が伝わる。
笑い声は、僕らが憧れたウィーーーの声で、声高らかに笑ってくれる。
人の良いおじさんの柔らかな笑い声だ。
ブレーキの壊れたダンプカーのような切羽詰まった感じはない。
ほんとに優しいおじちゃんだ。
z世代の息子に見せたら、カーネルサンダース?と言われたが、全然ちげーよ。

学生の頃カナダでデストロイヤーと

関係無いが学生の頃、デストロイヤーと会ったが、彼はヘッドロックをかけてくれたり、戯れてくれた。

肝心のトークショーは、新日時代の話が中心であった。
必殺技ウエスタンラリアートについてである。
ハンセンがNFLの時代、腕を相手の喉にぶつける行為は反則ではなかったらしい。その後、怪我人が増えて禁止技となった。
ハンセンはその技にラリアートと名付けてアメリカで使用したのが、始まりである。
藤波さんから、今ではラリアット、クローズラインがでない試合はないのだろうかと意見があった。
全てのラリアットは、ハンセンのNFLでの禁止技が発祥なのだ。

ハンセンはブッチャーやタイガージェットシンから入場時の姿を学んだ。シンがサーベルなら、テキサスの私はブルロープで決まりだ。
こうしておなじみのロープを振り回す入場姿となった。
私のロープに当たった人がいるんじゃないかな?との質問に数人が手を挙げた。ハンセンはまた大きな声で笑った。
無論、ハンセンのロープにあたることは、名誉な事であった。
なんなら今でもぶつけてほしい人はこの会場に多いだろう。椅子でも良い。

猪木、坂口、フレアー、デビアス、アンドレ、ホーガン、そしてベイダーとの話があがった。
当時はガイジンレスラーは日本人とは別の控室だった。誰か坂口をボディスラムできる奴はいないかと賭けをしたそうだ。しかし坂口を持ち上げた者は出てこなかった。アンドレを持ち上げたハンセンでさえも。

ホーガンとは師弟関係に思っていたが、そうではないらしい。友人だった。
絶対的な猪木という存在の中で、対立軸は常に猪木であり、他のレスラーは友人であったのだろう。
ホーガンはWWFに、ハンセンは全日にという流れで、関係はここで切れてしまったようだ。

ベイダーに関しては師弟のようであった。ハンセンはレオンと呼んでいた。
ドーム戦で、ハンセンはベイダーから鬼気迫る者を感じたらしい。ガチだなこいつと。だからガチで殴ったら目玉に当たった。
ハンセンは極度の近視だ。メガネを外すと何も見えない。
ベイダー戦は、何も見えなかったんだ、とメガネを外してジョークを言って大笑いした。

ハンセンのラリアートには、フィニッシャーという性格を持つ。その意味をハンセンは良く理解しており、
繋ぎでは出さなかった。あくまで3カウントを取れる最適なシチュエーションで放つのだ。
現代の試合のように安易出すと、軽くみられてしまう。
ここぞという時の一発。
黒いサポーターをあげると、観客のボルテージがMAXになる。
重低音ストンピングの嵐が始まった。
だからハンセンのラリアートは凄みがあるのだ。

新日時代が中心だったので、ブロディ、ゴディ、田上の話は出なかった。大人の事情で仕方がない。
その中で、最高のパートナーの一人として、ピート・ロバーツの名前が上がった。
(誰だっけ?ジェイクロバーツじゃねーや、あーあの地味な人か、という印象)ピートロバーツは、ゴッチから始まる新日に伝わる欧州、ランカシャースタイルの使い手だ。
ハンセンのスタイルからはかけ離れる。そんなピートロバーツとは今でも週一で連絡を取る大の仲良しらしい。

ハンセンの締め


最後の締めは、ハンセンの締めだ。
さすがにプロレスマニアが集っている会場だ。ウィーーーではないことを全員が知っている。
僕も声に出して、ユーーースと言った。感無量である。

そしてドラゴン、ハンセンとの夢の3ショット。
70年代、80年代、90年代と僕が10代、20代、30代と見てきたレジェンドと一緒に居れた最高の時間であった。

生きてて良かった。

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