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フレル朗読劇団のこと①

フレル朗読劇のメンバーは、およそ劇団ぽくはない。
月に一度しか稽古を行わないので、その日何か用事があって欠席する人もいるし、遅刻してくる人もいる。


12月の初めに発表会をすると決めたけれども、わたしを含めみんなのんびりしている。
稽古時間は4時間あるが最初の1時間は近況を聞く時間なのでそれぞれが過ごしてきた1ヶ月を聞くことになる。
日々憤慨したり、摩耗されたり、小さな発見をしたり、今の楽しみを教えてくれたり。
何を話してもいい。それについてみんなからの質問が思わず出たり、困り事には知恵を出し合ったりするからたっぷり1時間はかかる。
話したからといって状況が変化するわけではないが、みんなに関心を持って聞いてもらったという心持ちだけが場に残る。
全員分聞かせてもらうといつも場に厚みを感じる。それぞれの存在が粒だっている。だからその分だけ厚く感じるのだと思う。厚みを感じながらあとの3時間を過ごす。

今回の発表会のメンバーは、さまざまなところから集まってくれた人たちだ。
昔からのメンバーもいるし、まったく初めての方たちもいる。稽古は参加してたけど、発表会は初めての人もいる。

発表会のテーマは「祈り」と決めた。
テーマなんて決めたことはなかったのに、今回は決めたくなった。1ヶ月ほどうなってようやく降りてきた言葉だった。
メンバーにも、祈りというテーマで1人朗読用に作品を探して語ってほしいとはじめの方の稽古で発表した。
みんなお年頃なのでわたしを含め、一様に物忘れが激しい。
忘れるかもしれないけど、わたしが祈りだと口に出せれば、それでいいやと思っていた。

作品が全員出揃ったのは発表会まであと2回しか稽古がないという時だった。
持ち寄った作品は詩、エッセイ、小説、脚本、哲学書など。
自ら書いたのもあれば、他者のもある。
どの作品の中にもそれぞれの祈りが存在した。
ちゃんと聞いてたのか、とわたしが1番驚いた。

稽古では演出らしいことは何もしなかった。
最初は語るにまかせそのままに。何が1番言いたいところなのかを聞くくらい。最後の稽古の時だけは「目の前の人に伝えることを意識してください」とだけ告げてほとんどアドバイスをしなかった。
何も言わないのに座る、立つ、楽器を使うなど工夫がどんどんされてくる。

発表会の場所は西成の太子交差点から少し行ったところの太子老人憩いの家。ここは普段稽古場でも使っているスペース。
幕も照明も役者がはけるところもない。
地域のスペースなのでカラオケセットや大きなテレビも置いてある。
窓を開けると前には廃墟。割れたガラス窓から猫がよくのぞいている。稽古してる時もゆっくり横切る姿がよく見える。時には猫同士の喧嘩や発情で大騒ぎをしてそれが朗読の声と呼応する時があって楽しい。
カラスもよく呼応してくれた。
両隣がビジネスホテルで、その片方のお風呂場が近くにあるらしく、夕方になるとお湯を使う音も聞こえたりする。
それらがすべて朗読のBGMになる。

そんなところです。

②へ続く