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目から鱗な”ナマケモノの名を変えよう”
『はじめに』
私は世の中の矛盾にツイ思いが向く後期高齢者です。
さて、{ナマケモノ}ほど真面目な生き物は居りませんよ。
その実体は世のあらゆる生物たちの模範であり人類の未来像にも思えてきて妙に感情移入されては参ります。
つまりは彼らの存在に学ぶことの何と多いことかと心が動き、ついては題記のごとく世に広く提案したい思いが募るのでした。
以下、その理由を説明して参りますゆえ宜しくお付き合い願いましょう。
『Ⅰ、ナマケモノの生態』
1,その行動
言わずと知れた鈍い動き、それにて草木を荒らすことがないのですよ。
他の動物なら草茎や木枝を不遠慮に折り踏みつける迷惑を平気で行いましょうにね。
奇声を発して他の動物を脅したり仲間たちと集団で暴れたりすることもないらしいのでした。
なお、最も早く動いた場合なら{約0,27km/h}にはなるそうですが、これとて素早く襲いかかるワシには無抵抗状態と同じでしょうね。
2、食事量
一日に食する実や葉っぱは10gを下回るそうですね、これとても質素すぎましょうから、矢張り頼らさせてくれる樹木への遠慮と捉えても良いのではありませんか。
3,究極の平和主義者
何よりも書き記したいのは徹底した平和主義者だということです。
わが身を保安する防衛能力さえ放棄した徹底すぎる非暴力ぶりは霊長類だとて威張っている人間なんぞを遥かに超えた、まるでエンゼルのような生き様なのではありませんか。
とにかく天敵であるワシが襲ってきても無防備なのですよ、腹を空かしたワシに平気で身を食わせる姿は昔の飢餓絵を想いださせましょう。
飢饉で餓えた子に我が身体を与える母親さえ超えているのですよ、他種の生き物に晒しているのですからね。
『Ⅱ、名づけの矛盾』
1,名づけ方の余りな心なさ
さて、そんな動物に{ナマケモノ}なんぞという悍ましい名づけをしたのは勿論、単なる見た目だけでのことでは有りましょう。
だが、しかし「のろい動きだし、感覚も鈍重そうだから」との発想は単調に過ぎませんか、運動会での一等賞は良いが「ビリは軽蔑されて当然」といった感覚なのですよ。
尤も、そんな生態を詳しくは知られていぬ時代の命名となれば致し方ないのは認めます。
ですがね、英語では{sloth:遅い、時間が掛かる}だそうだから、つまりは日本の如き明確な侮蔑は含んでおりませんね。
2,現代では否定されるべき
命名時の明治時代は兎も角も弱者救済が叫ばれるようになった昨今、差別用語がずい分と減って参りましたね、ここに書き上げるのも控えたいほどです。
ならば{ナマケモノ}もその対象に成って良いのではありませんか、いいえ寧ろ成るべきなのですよ。
かつて有った外見上では分からぬ身体不自由者への心ない扱いをも控える風潮さえ明確に出て来ている現代なのですからね、ならば矢張り此の名は拙いでしょう。
『Ⅲ、人間の模範像』
1,全き平和主義者の意味する処
さて、ナマケモノにつき既述の「究極なる平和主義者」と言い称えたことを想いだして頂きましょう。
国家間の人殺しさえ未だ止めえずにいる人間界にとって極めて皮肉な存在なのではありませんか。
万種の長である人間が戦争と言う名の集団的殺人を行っているのに、文化も文明もない下等な生き物が一切の闘いを放棄していることに大いなる矛盾と乖離がありましょう。
* その辺りに驚きの謎が秘められていることにつき後ほど提示しますので乞うご期待。
2,まるで国師並みの胆力
そうですね、比較するのに次のような良い例がありますよ。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」とて泰然と死を受け入れた戦国時代の高僧に準えたなら分かって頂けるでしょうね、その凄さがです。
はい、彼の有名な国師・快川紹喜です。
この言は80才という老境に在っての悟りゆえ頷けられるとしても、ならば逆に{ナマケモノ達}は生れ出た直後から同じ心境を持っているとの話には成って参りましょうから是は最早、何をか言わんや。
『Ⅳ、彼らの秘めたる使命』
1,彼らは天使
さて、そんな発想にまで至ってみれば次のような驚くべき事柄が垣間見えては来るのでした。
何よりも全ての生物は我が身を守ろうとするのに彼らだけ唯一の例外なのですからね、となれば「その辺に何やら奥深い意味がある」と私には思えてなりませんね。
つまり次のような表現に至るという訳でした。
〖ナマケモノは天からの御使い〗
はい、愚かで貪欲な人間たちへの諭しとして神仏から遣わされた、いわば天使なのだと捉えてみれば彼らが為す生態の全てにつき合点ができては参りましょう。
2,喜怒哀楽を超越した表情
そこまで彼らの生態に思いが進んでみれば一つの閃きが得られてくるのでした、ある得心へと思考が至っては参ります。
彼らの絶やさぬ微笑みですよ、一見は愚鈍そうな生ぬるい表情に見えますが、しかし実のところは全く違って矢張り天使の顔なのでした。
そんな表情をしている動物が他に居りましょうか、いいえ常に生き抜くための警戒と闘争の準備を含んだ険しい物ばかりなのですよ、どれもがどれもが、全てが全てが。
つまりは、矢張り{ナマケモノ}は異質で且つ突出した生き物なのでした、人間をさえ超えているという存在にて。
3,快川禅師と同じ
{2項}のことにつき前出させた高僧が紅蓮の炎を泰然と受け入れた時の表情こそ其れなのではないでしょうか、恐らくはですが。
つまりは悟り切った者にしか持ちえぬ深遠な顔立ちをしているということに成りましょう、常日頃の{ナマケモノ達}がです。
はい、これにても私の{ナマケモノは天使}とする説が頷け受け入れるのではありませんか、きっと。
『Ⅴ、改名の候補』
○、先ずは在り来たりですが次のように挙げてみましょう。
{マジメモノ}、{ケンメイモノ}、{ホホエミサン}
○、おススメ型です。
{エンジェルサン}、{シンブツノミツカイ}、{キセキサン}
もちろん改名の公募を望んでいる私ですからね、それが叶わぬ現状を憂え仕方なくする独りよがりな名づけ遊びの空しさをお察し下さいな。
『Ⅵ、改名後の社会的効果』
さて、もしも彼らに相応しい改名が為されたなら世の中への大きな効果が期待されましょうね。
先ずは日本社会に於ける弱者優先の発想と定着です、今の弱者救済から一歩も二歩も進むのは間違いありませんよ。
それだけ文化の進行を促す役目を担ってくれること相違なく、つまりは人心の洗浄的役目を担ってくれるはずなのでした。
すると次には人助けの風潮が今より以上に高まって参りましょうからね、つまりは真の意味での霊長類へと進化して来ること必定ですよ。
はい、それこそ正しく{神仏}の望んだ方向であることに相違ないのでした。
えーえー、それこそが{ナマケモノ}の存在する理由だったという話を以て一件落着と致しましょう、メデタシめでたし!
『さいごに』
動物園で{ナマケモノ}を見かけると心が和みます。
常日頃の心労が洗い清められる感じもして参りましょう、彼らの柔和な表情で大いに癒されては来るのでした。
さて、そんな「他の動物には絶対にない特性が一体なにゆえ彼らだけ持ち得たのか」とのフッと浮かんだ疑問から此の論文ができたことを言い添えてペンを仕舞いましょう。
なお、ここでの{神仏}とは大いなる宇宙の原理・大自然の摂理と言う意味合いで用いていることも改めてお伝えして置きます。
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