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『樟の葉のかおる人』

『まえがき』

 私は様々な脳トレ法の考案を楽しんでいるマニアです
 さて、世の誰もが「頭脳を良くしたい」と望まれましょうけれどナカナカ思うようには行かないのが実状なのでありませんか
 ついては、これより簡単ながら効果高い頭脳活性化策を提案いたしましょう、それにて目立たぬ存在だった身とて極めて優位な存在へと変容できては参りますゆえに
 つまりですね
※ 薬効のある楠葉のように社会進化や世直しに貢献可な人物と化すもの
 はい、世の通説である「少年老い易く学成り難し」の大いなる誤謬を退治し「大器晩成」も{早成}にさせてみせたいものですよ、たとえ小器だとて容易に大器化も可能に成りますので
  と、広げた大風呂敷の中に或る奇妙な趣向が含まれていることをも言い添えて置きましょう
  では、いざ、いざ脳働きの達人を目指して進まん

『Ⅰ、各才の分類』

 世の人々の脳内レベルを表現すると次のように成るだろうとの設定です
○愚才=常識の中でも答えは出せぬ者
○凡才=常識の中から答えを出せる者
○秀才=常識にはない答えを出せる者
○英才=常識を超えた問いを探せる者
○天才=常識を超えた問いを発せる者
○奇才=常識を創り出す宿命を持つ者
○鬼才=常識を創り出す天命を持つ者
※ 但し、大方が誕生時は無才で、その後に変ず
 これ等につき後ほど説明いたしましょう、きっと自分の可能性がドンドンと上がること見えてはまいります

『Ⅱ、頭脳活性化の大原則はコレ』

Ⅰ、揺るぎなき自愛

 人は皆、わが身の内に備えている能力の一割も使っていませんでしょうね
 例えて言うなら十段ギアー付き自転車のような能力を秘めていながら活かしているのはセイゼイ幼児用の三輪車程度なのですよ、間違いなく
 さて、ではその能力を現出させるには一体どうしたら良いかですが私は次のように捉えておりますよ
※ 能力活性化の第一原則=自己の絶対的な信じ込み(極限的な自己愛)
 はい、体力なり精神力なり心の在りようも含めて一切の否定なしで我が身を愛おしみ切ることでしょうね、きっと
 ナゼなら、それにてドーパミンの最速化・最大化が図れるので、すると何事にも積極的に興味を持って取り組むように成るはずなのですよ

2,揺るぎなき自信

 もちろん「反省するな」と言っているのではなく改善も当然に必要なのですが然し、それであっても兎に角マイナスな発想は全く以て無用です
 はい?「うぬ惚れはイカン」ですって?
 ではお聞きしますが、それで他人の迷惑になりましょうや?
 「そうでなければ、放っといてくださいな」と言ったくらいの気構えが大切です、ゼッタイに
※ 過信とても過小評価よりは遥かに良い
 これにつき{自己否定}と並べてみれば明白でしょうね、「出来る」と捉えるか「出来ぬ」と思うかの差異は極めて大きいのでありませんか
 なお、一般的に「自信を持ちなさい」と言いますがソレも全く違いますよ、持つのではなく元々生まれた時から身に備えているものなのですからね
 つまり「既に持っている」と気づけば良いだけのことなのでした

3,揺るぎなき自尊

 ではナゼそう確信的に言えるのか、ですね
 当たり前のことですが私たちは誰もが誰もが{この世でたった一人の存在}なのですよ、過去に居たことはなく未来でも永劫に現れない人間なのですからね
 それならば{自惚れても良いほどの貴重な価値}なのではありましょうし、むしろ逆に「自惚れるべき、浮かれるべき」との絶対的な自尊の精神を持つべきではありませんか
 そのように捉えてこそ天与の生命への深い感謝が認識されては参りますゆえに
※ {天上天下唯我独尊}の堅持こそ大事

4,揺るぎなき価値を知ったなら

 これまでは仮に凡愚の身だったとしても上記三つの{揺るぎなき我が存在}を感得したトタンに秀才へと進み上がること間違いありませんよ
 なぜなら有り難き天与の我が価値を確認できたのだから、となれば凡愚なりに生きてきた実績も確かな礎には成っているとの把握が為されては参りましょう
 えーえー、土台が確認できれば「これは活かせる」との発想も必ず生じて来るので、すると次には・・、うむむ、言うまでもないことでしたね
 なぜなら{天上天下唯我独尊}の身に自己否定などのマイナスな感情は全く無用と実感できて来ること疑いようがないからです
※{天上天下唯我独尊}の身にはプラス思考あるのみなり 
 
つまり、マイナス思考は未熟な人間社会から押し付けられた妄信に過ぎませんよ

『Ⅲ、潜在能力は悪い思い込みの柵中』

 潜在能力が住む柵はね、悪い思い込みで出来ているらしいのですよ
 はい、つまり自己の存在を高くは捉えられぬ思い込みであり、それが強いほど柵は高く厚いのでした
※{潜在能力}が閉じ込められている柵は{自己否定}で出来ている
 さて、これを逆に捉えたなら自愛・自信・自尊が強いほど扉は薄くなり、あるいは消え去って {潜在能力クン} は制限なく出て来られるようにも成りましょう。
 いいえ、むしろソレこそが本来の在りようなのではありませんか、ナゼなら人には持っている能力の存分なる発揮にこそ真の喜びが潜んでいるからなのでした

『Ⅳ、目でシナプスを増やす』

1,頭脳の{三食材}

 さて、いよいよ「頭を良くするコツ」へと入ってまいりましょう
 シナプスの食材はですね、日々に感じる{気づき・閃き・思いつき}なのですよ
※ {気づき・閃き・思いつき}は頭脳活性化の三栄養素
 はい、これ等三つの物を常に得られていれば頭脳は成長し続けましょう、ただ「思う、思っている」だけでは感情が動いているのみなので脳細胞は増えませんね、恐らくは
 いいえ、増えないどころか逆に減っていくのではありませんか、シバシバ「脳細胞は日々にドンドン消滅している」と言われる状況がコレであるのは間違いないゆえにですよ
 そんな訳ですからね、どうぞ常日頃からシナプスさん達に美味しい食事を提供なさるよう心よりおススメして置きましょう
 え、「気づき・閃き・思いつきを得るにはどうしたら良いか」ですって?

⒉、{?}の作りだし

 {気づき・閃き・思いつき}を得る方法は脳トレが手助けに成りましょう、ホンの参考止まりではありますがね
 なぜなら世の中に出回っている全ての脳トレは{?}の提供に過ぎないのですよ、ナンプレもジグソーパズルも間違い探しも、その皆が{考えさせること}だけで成り立っているのでした
 それなら自分で{?}を作りだせば済むことです、何にでも見て問いかけたならソレが即ち確かな脳トレになるはずゆえに
 例えば{あいうえお}や{ABC}を尻の方から言ってみるだけで立派な脳トレになるのでした、金もかからず散歩中や寝床の中などでソレは自由に出来るのですよ
 また更には、スーパーに行ったなら片っ端から商品たちに「どこから来たの?」とか「今の時期に味はどうなのかな」等とですね、つまりは問いかけ語りかけ続ければ脳細胞が増え続ける一方なのですよ
※ 目で問いかける脳トレ道具は身近に無数なり

3,【あ】には幾つもの語がある

 しかしながら殆どの人々が脳トレなど全く為してはいないことを思い知らされる良い例にお気づき頂きましょう
 さて、【あ】の中に{あ、の、女、め、し、一、つ}の七つの語が入っている等とは思ってもいなかったのではありませんか
 はい、真ん中の【女】に気づけば残りは直ぐに見えてまいりますし、すると更には次に挙げた語にも調べる気が起きて来るはずでしょうね、きっと
※【齢】には幾つの語と記号がある?

4、知識への親しみレベルが分かる
 
これにつき他人の家を訪問するのに置き換えられましょうね
 門内に入らず帰る場合は【あ】や【齢】を知るだけだが、{め・の、歯・令}に気づいたなら玄関先まで入ったようなものと捉えてみれば私の言う意味が明確に分かって来るのではありませんか
 加えて茶の間や台所まで見知り親しむと如何に深い知識になるか、それが可なりの知能をもたらしてくれるかにまで理解が及んでくるはずですよ
 さーさー、これにて漸く次のような慨嘆が芽生えてはまいりましょう
 「今までは何と浅い知識の取入れ方しかして来なかったのだろうか」とですね、殆どの人々が門外から眺めた程度の付き合いのみで終始していたのですよ
 となれば、それだけでも「学問している」つもりで居たということになりませんか、皆がみんなが
※ ゴクゴク表面のみなぞっただけで学んだつもりだった

『Ⅴ、目はミゴトな分析器』

1,【視力】の真なる意味

 さて、一般に【視力=明確度】と捉えて疑いもしないのではありませんか、{視力検査}の意味がそうですからね
 単に物の輪郭のみハッキリ見えるか否かを云々する言葉として用いられておりましょう、つまり使い方が明らかに間違っているのですよ
 なぜなら【視:気を付けてよく見る】なので神や霊を意味する示す偏ゆえに、となれば「霊魂込めて目を向ける意味」なのだと私は捉えているのでした
 従って、【視力】とは{注意して能く見る}であり{目で能動的に問い語りかける}ということになりましょう、正しい解釈はですね
※ 視力の真意は能動的に目を凝らして見ることなり

2,{トンボの複眼}を持つ

 さて、ここで【あ】や【齢】につき思いだして頂きましょう、これ等が正しく{注視してみれば}の良い例になるのではありませんか
 これに気づいてみれば「普段は如何に物をヨク見ていなかったか」が分かってはまいりましょうからね、これは極めてモッタイナイ話なのですよ
 ですので此れからは、そんな注視で物事に目を向けたなら深い洞察力が身に付いて来るのではありませんか、丸で{トンボの複眼}を持つようなことなのですね
 そうして次には世の中のあらゆる事象・現象・物々事々の成りたちに思いが向きだしましょう、良い点や悪い点への気づきが生じて来るのでした
※ トンボの複眼で洞察力が飛躍する
 そんな注視力が身に付きだすと人格さえも変って来るはずですよ、もちろん良い方向へですね

『Ⅵ、全ての物事は理想像を秘めている』

1,現実は仮の姿

 さて、とかく世人は「それは理想論だ、現実を直視しろ」と言う
 でもですね、どんな物事も浮き世のレベルに合わせた姿をしているだけであって、本来的になら「私はコレコレこう成りたい、そうでなければ存在する意味がないのさ」との理想像を秘めているものと見えてはまいります
 なぜなら見えて来た欠点とは「本来なら、コレコレこう在りたいもの」との改善点を意味しましょうからね、となれば矢張りソレが理想像だと言い切れるのではありませんか
※ 実像とは関わる人々の頭脳レベルに合わせたもの
 つまり関係者全体の総和に見合った形であることは間違いないのですよ

2,期待される改革者

 はい、そうなのでした、つまりは{トンボの複眼}を身に付けた者に事柄の方から「理想像に近づけて欲しい」との要望を示していることに成るのは間違いないのですよ
 大事な処なので繰りかえして置きましょう
 欠点が見える人に今より尚良き形に変容してくれる人物となり乗り出してくれるよう待ち望んでいることは確かなのでした
 そうして、それこそ{トンボの複眼}を持ち優れた洞察力で世に秀でてきた人々なのではありませんか、つまりは問題点を見出した私たちなのでした
※ 改革者たらんと進み行く宿命を持つ
 要するに{問題点を知り正す力を宿した生命体こそが宿命者}なのだから、ならば上記のように言えては参りましょう、間違いなく
 要するに溺れる者、または崖っぷちに立たされている人を見て見ぬふりは出来ないのと同じです、周りはソレに気づけぬ人々ばかりゆえに
 これにつき【あ】のところで指摘したことを想いだして頂ければ分かって来るはずですよ

3,改革者は辛い

 さて、ここで『Ⅱ、各才の分類』を持ち出させて頂きましょう
 改革者は{③、秀才}以上であること間違いありませんね、常識の範囲内で始終している現状を打破しようとする者ともなれば愚才や凡才たちとスルドク対峙しなければならなくなって参りましょうからね、当たり前です
 惰性の中で現状維持に拘り波風が立つのを拒む人々とのアツレキは辛く厳しいこと当然なのでした、これにつきキリストやルターを持ち出すまでもありません
 なぜなら無能な者らにとっては平穏を守ろうとする思いが強くなるのはシゴク当たり前の話になりましょう、風波に耐える能力はないのだから
 かくして改革者は人格が磨かれても来るという訳ですね、様々なアツレキと格闘しなければならなくなるゆえにです
※ 改革者は自身の人格の向上も宿命となる
 はい、頭脳が良くなると俗世との確執をも背負だすのは必至とも成ってくること止むを得ないのでした

4,人格が上がれば{天命を持つ者}と化す

 さて、改革中のアツレキを繰り返すうちに周囲の人々との融和も図れるように成って来ること間違いありませんね、根気よく進めていくと趣旨に同調し協力する人々も出てまいりましょう、当然にです
 すると急に雲行きが変わって来ることシバシバ有るパターンですね、理想像の素晴らしさに関係者全員が気づいたなら一気に改革が成就するゆえにです
 なぜなら、その次には様々な案件が持ち込まれるようにも成って来るのが世の常なのではありませんか、改革者の能力を頼り縋り寄って来る俗世の物々事々ではありましょうからね
 となれば宿命であった周囲との混沌から抜け出せば前途洋々とした{世の中全体の改革者}と見做されて、それこそ〔神仏〕からの天命を背負い託された人物とは成って来ること間違いないのですよ
 何しろ現実の浮き世・濁世ではあるものの、その真実は然し理想像たる清廉で誰もが住み良い社会を身の内に秘めているからのことにて。
 であるなら、それはもう宿命の上に在る{天命}なのではありませんか、〔神仏〕より直々に{世直し出来る人物}とて指名されるようなことではありましょう故にです
※ 宿命を超越した者は天命を受けるなり

『Ⅶ、頭脳を使うものは必ず前へ進む』

 チョッと現実的な話に戻します
 さて、頭脳を使う人、使える者は必ず前進しましょう、そうでなければ脳働きの意味がないからです
 えーえー、人間は天与の心身を使ってこそ何ぼの人生なのですからね、ならば前進が人間存在の基本の基本とは成ってまいります
 前進中には世の人々との様々な有象無象、悲喜こもごもな交流が必要となり問題や揉め事も生じては来るのでした、勿論それが当然です
 ついては順調に行かない場合も多いでしょうし、むしろスムーズでない方が大概なのではありませんか、何しろ人生は初体験の初心者ばかりなのだから、それが至って自然な成り行きなのでした
※ 人は誰もが人生の初心者なり

『Ⅷ、失敗は成功までの経費』

 世の皆さんが、とかく失敗を恐れ且つ悔やみましょう
 ではありますが、もちろん此の世に二度目の人など居ず誰もが人生道の初心者なのだから常に道を外し転ぶのは至って当然のことなのではありませんか
 おー、そうでした、あのエジソンでさえ「電球の発明まで2千回も失敗した」そうなのですね、そんな七転び八起きがあった上での成功だったという訳でした
 さて、そうだとなれば次のように言い定められては参りましょう
※ 失敗は成功を呼び寄せる経費なり
 はい、つまりは成功報酬が大きいほど必要経費も高くなるという理屈が成り立っては来るのでした、間違いなく
 となれば経費を惜しんでいては成功しにくくなること必定なのだとも、これまた言いえて来るはずですよ、絶対に

『Ⅸ、挫折した? いいえ、それは逆!』

1,相手側はもっと

 さて、失敗やアツレキに負けて挫折する場合も多いものですね
 そうして、嘆き悲しみ自己否定に落ち込むのですよ、「自分の意思が弱い」とばかりに意気消沈して長らく前向きには狎れぬのではありませんか
 でもですよ、しかしながら挫折させてしまった相手側の方が損害は大きいはずなのですよ、それが人であっても物事であっても同じに
 ナゼなら、「こんなに意欲を持って取り組んでくれた人が今まで居なかったと去られるまで気づかなかった、残念」と後悔しているはずなのですね、間違いなく
 つまり挫折感が強ければ強いほど真面目に、真摯に向き合ってきた証拠でもありますからね、それならば去られた側も慌てましょう、絶対に狼狽(うろた)えるはずなのでした。
 従って次のように言い定められてはまいります、きっとね
※ 挫折感の強さは相手側こそ大きいもの
 はい、大切な人に去られて苦しみ悶えているのは向こう側だったという話でした、ナゼならアナタの代わりはホボ現れないだろうゆえにです
 さて、そうと分かればあなたの挫折感は大いに薄れて来るのではありませんか、それどころか相手側が哀れにさえ思えてもまいりましょう、多分はね

2,再びの挑戦を

 では、一体どうすればいいか
 また、やり直しへの意欲を持ってご覧なさいな、すると今度は意外に進めやすくしてくれているはずですよ、去られかけた側の強い後悔と戻ってくれた有り難さからですよ
 え! 「相手が人なら分かるが非生物の物事にはあり得ないよ」と言われましょうか?
 いいえ、情感など微塵もないと思われている物事とて同じような理屈は成り立つのですね
 つまり、また向き合おうとの意欲が芽生えたなら、それは既に挫折させられたポイントの解決策が見え隠れしている(これは物事と意思が通じたゆえのこと)に違いないからですよ、絶対に
 その理由ですか? ならばココにても改めて提示して置きましょう
※ 全ての物事は内に理想像を潜めており改善されるのを待っている
 はい、それに気づいた人々の改革意欲で世の中が発展してきたのは疑い得ませんでしょうね
 ルーズベルトもそう、エジソンも同じ、更には幾多の研究者たち、エンジニアたち・・・

3,選ばれし者

 つまりは世の全ての事柄が秘めたる理想像を引きだせる人物をして奇特な能力を授けて近寄ってくるような仕組みに成っているのだろうと私には思えてなりませんのですよ
 要するに、不完全な事柄側が貴方をして「改革者たれ」と恋慕している訳なのですね、それが出来るのはアナタ以外に居ないのだから
※ 自分以外に適任者はなし

* なお、これまでの『Ⅴ,Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ』につき『あとがき』にて随分と大事な言及が有ることご留意願って置きましょう

『Ⅹ、新たな各才の分類』

 さて、上記までの事柄を理解し実行できるように成った方々なら次のように言い当てられては参りましょう
○秀才=常識の範囲を超越し掛ける者
○英才=常識の範囲を睥睨し始める者
○天才=我が身の運命を創り遊べる者
○奇才=我が身の宿命を活し切れる者
○鬼才=我が身の天命を熟し切れる者
※ 頭脳の使用に勤しむ者は秀才以上であり更に向上し続けるもの
 はい、もはや私たちの仲間に愚才や凡才は存在せず少なくとも秀才以上の位置づけに該当するとの設定です

『Ⅺ、自分のテーマ曲を定めよう』

  堅い話が続きましたね、ついてはチョッと横道に逸れて余談にします
 さて、ダレにでも好きな歌がありましょうね、口ずさむと癒されたり元気が出たりと、それは有り難いものなのでした
 ならば一歩ほど前向きに捉えて、それを{自分の象徴曲}にしてみませんか、脳働きには音楽が心地良いリズムを添えてくれるゆえにです
 例えば映画には必ずテーマ曲がありましょう、一つの物語を象徴する曲ですから奥深いものに出来上がっているようですね
 それならばという訳で、「自分の人柄や人生物語を表現するなら、これだね」と思えるものを{我が身のテーマ曲}と定めてみるのは如何でしょうか
 はい、もちろん単純に好きな曲を当て嵌めればすむことですよ、自分への応援歌や応援曲として
 ちなみに私は若い頃から親しんでいる二つほどに決めており、今もこうして書き込んでいる際にも頭の中で鳴り響いているのでした、まるで水琴窟のように
※ テーマ曲は自分の疲れた頭脳を癒してくれるもの
 するとトタンに脳働きがマタマタ明敏になり出しましょう、きっとですよ

『Ⅻ、まとめ』

 【あ】の語の中に{あ、の、女、め、し、一、つ}が有ると気づいた方なら必ず{トンボの複眼}を持つように成るのでした
 すると次には世の中のアラユル物事の内情に目が行くように成り、つまりは改革者との位置づけに立つような宿命も背負いだしましょう、そこに問題点の解決力を{宿した生命体}としての必然性が生じるからですね
 要するに脳働きが活性化すればするほど必要とされ関与を求められる存在者の位置づけに立たつ{宿命}を背負うこととなり、そうして次には関わる対象の規模も大きく成ってはまいりましょうから、となれば最早それは{天命もの}とも言い得ては来るのでした
 よって次のように言い定めてペンを置きましょう
※ 脳働きの多い者ほど神仏が愛でる人物なり

〖あとがき〗

 さて、『Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ、Ⅸ』で訥々と述べて来た他者との対峙、社会とのアツレキにつき{現状の自分と進化させようとする理想像}に置き換えられること気づいて下されましたでしょうか
 はい、『Ⅵ』で指摘した全ての物事は理想像を秘めていることにつき、わが身そのものも理想像を顕現したく望んでいるとの事柄を隠喩させていたつもりなのでした
 要するに{頭を良くすること}とはですね
 自己内の理想像と現実能力との相克を経る過程で積み上がるものだったという話なのですよ、身の内なる小社会の混沌を表現してきた論考という訳ですね
 それを念頭に〖Ⅸ〗を再読くだされば深意のほどにつきご理解いただけるものと確信しつつペンを置きましょう、有難うございました
※ 我が身自身も理想像を秘め日々に顕現を希求しているものなり

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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