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葉隠的読書

葉隠的読書
読んでも分からない本を読みたい。読んでも役に立たぬ本を読みたい。読んでも分からぬ、役に立たぬ本に挑む。何でもわかろうとする己と決別するのだ。これぞ葉隠的読書である。


わかろうとする傲慢 
何十年、何百年前、、、、に書かれた書物をわかろうとすること自体が傲慢なのだ。高貴で野蛮な書物が似非民主主義に毒された自分にわかるワケがない。だから、わからぬまま進むのだ。そのとき文字ではなく、筆者がなぜ書かずにいられなかったのか、に寄り添っている自分に気づくだろう。


高慢の必要性
本は物を言わぬ。あーせい、こーせい、と物を言わぬ。だからこそ耳を澄まさなければならない。じっくり読まなければならない。同じ人間が書いたのだから分からぬ訳がない。ましてや母国語で綴ってあるのだから狼狽えるな。それくらいの気概、傲慢さで挑む。すると小さき声で本は語ってくれる。その時をいつも能動的に待っている。