いいね!共感する喜びとは

誰しも”自分のことなんて誰もわかってくれない!”そういう気持ちになったことはないだろうか。それはあなただけが思っていることではなく、全ての人がそう思ったことがある。そういう孤独感や、理解者がいないという思いがあるからこそ、共感し、同じ思いを感じる人がいる発見が嬉しいのである。

そうした各種SNSでの「いいね!」は、自分はこんな事思ってます。自分がいいなと思った写真です。など、見ている人に共感を求めた結果だ。SNSで自分がいいなと思った事象を公開し、それに共感した人が「いいね!」をする。基本的にはこういう構造だ。中にはチェックシート的な感覚で押している人もいるだろうが、大部分はこの”共感した”、”私もそう思う”から「いいね!」をするのだろう。
人は「いいね!」されると嬉しい。なぜ嬉しいのか。人はそもそも孤独な存在だからこそ共感、同じように考えている、思っている人がいるんだという喜びが、「いいね!」の数で数値としてわかるから嬉しい。

当初はこうした喜びが結果的に得られていた。次第にコツをつかむと、今度は「いいね!」目的の投稿に陥る人もしばしば現れる。それは決して悪いことでは無いし、悪いこととも思わない。それが仕事になったものがマーケティングだとも思うから、突き詰めればいわゆるインフルエンサーといった仕事にもなり得る。悪いのは、ネタをパクってまでより多く共感を得ようとするパクツイだ。しかしそこにはセンスも必要なんで、一概に悪いとは言い切れないが、センスや先見性はあるハズなんで、ネタをパクらず、オリジナルを磨いて欲しいなとは思うし、ネタをパクるのは恥ずかしい行為だとは思う。

先に書いた通り、人はそもそも孤独な存在で、それぞれ違う考えをもって生きているからそこ、それぞれ違う考えの中でたまたま重なった考えが共感のはずなんだけれど、数値として可視化された「いいね!」を追っかけてしまうと、共感で得られる感動とは別モノの感動、達成感になってしまっているんではなかろうか。

確かに達成感も気持ちのいいものだが、それは共感ではなく達成感だ。

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