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『後一時間遅かったら高速道路で逝っていたかもしれない』

さあ、今日から新しい事務所に出勤だよ
3連休の間に引越しして、疲れもあるけどね

いつも通り5時半ぐらいに起きて、石油ファンヒーターをつけ、ポットで湯を沸かす
コーヒーを戴こうとして、食器棚にむかいカップを取ろうとした瞬間だった

ゴーーーーという地響きが
一瞬のうちに、家が縦に揺れ横にゆれ、立っていられない
食器棚の引き戸を閉じながら押さえていた
押さえていたというよりも、立っていられないから棚に支えてもらった
時間感覚はなく、とりあえず揺れが一旦収まったのでファンヒーターのところに
火を消さなくちゃ
この思いは昔からあったので行ってみたら、安全装置が働いて止まっていた

でも真っ暗なんだよね
何が落ちているかもわかりずらい
2階で家族が寝ていたので
大丈夫かーー?と声をかけたら大丈夫だよと声が返ってきて一安心
いつものところにある懐中電灯を探して点けてみたら
えらいこっちゃ
家は新築2年目で倒れてはいなかった(多少地盤が下がったところがあると後で分かったが)
食器棚から降ってきたものが散乱している
和室の仏壇が、リビングのテレビが吹っ飛んでいる

これが6時前
電気もつかないので情報はラジオだけ
ガス水道とも止まったようで、なすすべがない

余震が合間にやってくる
それも震度3とか4とかわからないけれど大きな揺れだ。

本来なら6時半ぐらいに車で家を出て会社に向かうのだが
今日は無理だろうと思った

そのあと電気とガスは回復して
テレビをつけてみたら
神戸を中心にした大地震だったことがわかった

会社には7時半ごろ電話を入れたら通じた
今日は休むわと伝えて、それ以降電話は繋がらなかった
(携帯電話もない時代だったから、家電話)

しばらく呆然としていたが、水が出ないのでポリタンクを持って小学校まで汲みに行った
でも、小学校も階上のタンクに水が入っていただけの量
実は小学校も水が止まっていたのを後から聞いた

飲み水は確保して、後どうするかは自分の判断
ネットもない時代と言っていい
携帯も普及していないから、インターネットを引いている家もほとんどない
情報はテレビ、ラジオのみと言っていい

自分の判断で生き死にが決まる
これはいつの時代も同じだろう
この後の悲惨さはご存知の通りだ

もし、いつものように6時半ぐらいに家を出て
1時間遅れて地震が来ていたら、もっと被害が増えただろう
自分の命もわからなかっただろう
(阪神高速が倒れているんだから多分一緒に倒れていただろう)

多くの命を運だけが左右するとは思わないが
運は必ずあるんだよなと思った瞬間だった

ご冥福をお祈り申し上げます
あれから28年か

#阪神淡路大震災  
#書ききれない記憶は今もある


活動のために使いたいと思います。みなさんの人生時間を幸せな時間で満たせたらと思います。読んでいただいてありがとうございます。