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真から分かり合える人はいるのだろうか、ぼくにはわからない。

真から分かり合える人がこの先現れるだろうか。
何を持って分かり合えるというのかという命題は少し置いておきたい。

隠し事をしていたとして、それを話さないのは、罪なのだろうか。話したからといって、それがたとえ真実であろうと、わかりあえるだろうか。隠して置いたからうまくいったとしても、本人の良心は満たされるだろうか。

真から分かり合えるというのは、たとえ相手が隠し事をしていてそれが表出したとしても、隠しておいたことを理解して、相手が何も言わないなら放って置いてあげられる、それぐらいをもわかっていること。反対にそのわかっている相手に対して、すまないと感じながら、ありがたいと感じながら、感謝の気持ちを持ち、もし反対の立場になったとしても、同じようにしようと思えることなのだ。

事実を突き合わすだけが、本当のことを言うだけが、分かり合える方法ではない。
お互いが過去も現在も未来をも、相手のこと自分のことを信じている前提があって初めて、分かり合える存在になるのだ。

もし出会えたら、今世においての最大の幸福である。

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