不自由の中から生まれる。
今日、西野さんのボイシーを聞いていて、「やらない事を決める」という話がとてもわかりやすかったので僕もこの点について考えてみようと思いました。
こないだの中島麦さんとのトークでもちょっとお話ししましたが、僕は制作する上で10年くらい前に絶対にこれはしないという事を決めていて、
絶対に絵を描かない(えがかない)ようにしています。
画家とか言いながらめちゃめちゃな事を言っているように聞こえるかもしれませんが、そこに関しては徹底してます。
僕は中卒独学。デッサンや基礎的な訓練もある独学で程度やってきましたが、いくらそこを中途半端に頑張ってもアカデミックな人たちには敵わないしそもそもそのフィールドで闘いたくないとわかった10年前にモノ(対象やイメージ)を表象(?)しないということを決めました。
僕が画面上に表しているものは結果であったり、僕の身体と支持体と絵の具の間で生まれた摩擦や痕跡のみを残す(現れる)作品です。
そこに何かを描くと言うことは一切しない、と言うのが僕のコンセプトの一つです。
20代前半の頃、無学で無知な僕はキャンバスの中にきっと自由、みたいなものを模索していたのだろうと思います。
でもアートとか美術が自由でないことは当たり前の話でめんどくさいので簡単に言うけど、スポーツは自由だ!とか、文化は自由だ!とか言ってるのと一緒で自由なんかじゃありません。ジャンルごとにしっかりルールはありますよね。
アートは自由だ!みたいなこと言ってる人もたまに見かけますが
僕は基本めちゃめちゃ自由な人間ってのもあるのである程度制限を設けた上で何かしらコトを起こしたり、制作するにしてもそうしています。
アトリエ三月を始めた5年前も、
「カフェはやらない」
「接客しない」
とやらないことを決めて営業を続けていました。
制限のある中で生み出すこと不自由の中で生まれる自由みたいなのが大事だなーと。今日はこの辺で。
大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。