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連載47 『赤毛のアン』 はらまさかず

 娘が生まれてからずっと、寝る前に読み聞かせをしてきた。幼いころは頬を寄せ合い、一緒に絵を見ながら絵本を読んだ。少し大きくなってからは、少し離れて読んだ。小学校の高学年になって、そろそろ読み聞かせも終わりかと思ったが、楽しそうに聞いているので続けた。このころから絵本よりも、児童文学を読むようになった。私の、この掛け替えのない時間がいつ終わっても悔いのないように、娘との時間を味わうように読んだ。
 うれしいことに、夜ごとの読み聞かせは今も続いている。娘が中学生になってからは、新しい本を読み始めるたびに、これが最後の本になるかもしれないと思う。だから、できるだけ長い、外国の児童文学を選んで読む。
 娘が中学二年の夏、次の本を選ぶことになった。しかし、なかなか決まらない。いくつか読んでみたが、あまりおもしろくなかった。そこで、娘に何か読んで欲しい本はないか聞いてみた。いつも「何でもいいよ」というのだが、すぐに「赤毛のアン」と返って来た。それで、いっしょに買いに行き、その夜から読んだ。
これまでと違い、この本は読み進めるうち、自分の子どものころを思い出した。いつもは自分も読んだことのない本を読み聞かせていたが、『赤毛のアン』は、私もちょうど中学二年の時に読んだのである。それも、同じ村岡花子訳で。
 カナダの作家モンゴメリが1904年に書き、1908年に出版されたこの本は、今読んでもとにかくおもしろい。私だけでなく、娘も楽しそうだ。子どものころはアンの気持ちで読んでいたと思うが、今は養父のマシュウの気持ちを考えながら読む。マシュウがアンに、ふくらんだ袖の新しい服をプレゼントするお話が一番好きだ。マシュウのアンへの思いを想像すると、楽しいを超え、涙があふれてくる。なんてすばらしい物語なのだろう。出版されてから110年以上過ぎた今でも、お話の舞台である田舎町アボンリーに吹く風が、日本のマンションの、親子の小さな寝室を吹き抜ける。
 外から暗い気持ちを持ち帰ってしまった時も、わけもなく心がふさぐ時も、読み聞かせをするこの部屋に入ると、たとえそこに娘がいなくても、いつもなぜか心が晴れる。アンを読んでいてその理由がわかった。この部屋には、私と娘が夢見た幸せな想像が満ちあふれているのだ。
 私たちの、この部屋にあふれる幸せな想像がいつまでも消えませんように。そして、アンがいるアボンリーの町のように、幸せな想像が家全体に満ち、やがて町全体に広がりますように。
(全国信用金庫協会「楽しいわが家」2021年1月号掲載)

全国信用金庫協会の月刊冊子「楽しいわが家」にて、奇数月に、エッセイ「お父さんの気持ち」を連載しています。お近くの信用金庫さんで。無料です。

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