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バンド『ノルウェイの海』 2

◆これまで
 大学に入学し『映画研究会デ・ニーロ』に入った僕は、映画撮影に没頭しているうちに、気がつくと留年が確定していました。
 そしてその勢いのまま、2作目の音楽映画を撮るため結成したバンドではボーカルに抜擢されたのでした。


 僕たちは、大学の部室棟の地下にある軽音部の部屋でバンドの練習をしていました。
 地下階にはビッグバンドクラブやJAZZ研究会、ピアノサークルなどの大きな音を出すサークルが集まっていて、応援団なんかも一緒にいました。
 一応防音対策が出来ている体でしたが、その騒音はいつでも大学外までしっかりと届いていました。

 軽音部の部長は"ヤマカン"と呼ばれる長髪で細身のバンドマンで、先輩達と親交があるらしく、僕らが部室を使うのを快く許可してくれていたのでした。
 バンドマン達が一曲を作り上げるまでを追っていくドキュメンタリー映画みたいにしたいのだと話すと、面白がって撮影にも協力してくれるということでした。
 12月に他の大学の軽音部とも合同でライブイベントをやる予定があるそうで、それにも出場させてくれることになりました。
 それが少し大きめのライブハウスを借りて人も300人くらい集まるということで、僕らはより一層熱を入れて、授業なんかに行っている暇もないくらい練習に集中していたのでした。

 部長の国木田先輩がベースを、幹事長の佐伯先輩がギターを、総務部長の松永先輩がベースで、僕がボーカルをしていたのですが、歌っているだけというのが何だか手元がさびしくて、それを佐伯先輩に言うと「これでも持っとけ。」と言ってタンバリンを渡されたので僕はボーカル・タンバリンという役割になったのでした。
 タンバリンを叩きながら歌っていると、いかにも楽しげな雰囲気になってなかなかいいなと思いました。
 僕らが練習していたのは『ノルウェイの海』という佐伯先輩が作詞作曲した曲で、ビートルズの『ノルウェイの森』に酷似したパクリ曲でしたが、練習を重ねるごとに上達していくのが実感できていました。
 そんな普段の何気ない練習風景も僕らは全部カメラを回して撮影していたのでした。

 今回はドキュメンタリー映画だからと、これまでみたいに脚本を作って演出を考えてシーンを撮っていくのではなくて、脚本なしでありのままを撮影して、最後に編集して一本の映画にまとめようとしていました。
 しかし、いざやってみるとあまりにストーリー性がなくて、僕らがダラダラと練習している所を撮り溜めて繋げた所で映画になるとはとても思えないのでした。

 僕らは急遽、映画のシナリオ構成が必要だと考え(シナリオなんかがある時点でドキュメンタリーとしてはヤラセなのですが)、バンドマンの物語で盛り上がりポイントといえばやはり喧嘩や仲違い、そしてその理由は「音楽性の違い」であるべきだという結論に至りました。

 しかし、それぞれが音楽に特に思い入れがある訳ではない僕たちには「音楽性の違い」でケンカすることは難しく、けっきょく軽音部部長のヤマカン先輩に「音楽性の違いで喧嘩したいんですけどどうしたらいいですか?」と相談したのでした。

「いや〜。そう言われるとなんで喧嘩してんだろうなあいつら。」

とヤマカン先輩も頭をかしげていましたが、取り敢えず喧嘩するために、それぞれが好きなミュージャンの名前をあげて、他の人がそのミュージシャンの悪口を言ってディスるというカウンセリングが行われることになりました。
 佐伯先輩はビートルズの大ファンなので、「古臭い」とか「ジジイの音楽」とか「髪型がダサい」とか知っている情報から何とか捻り出しながら悪口大喜利みたいなことを言っていきました。

 ちなみに僕は小田和正が好きで、松永先輩は洋楽好きで特にニルヴァーナ、国木田先輩はひとり「おれは音楽は聞かねえ。」と中二病的なことを言っていました。


 そうしてなんとか仲違い的なシーンを撮りつつ練習を進めていた僕たちでしたが、12月になりライブイベントが日毎に迫ってきていました。
 単位を犠牲にして、僕らの演奏の腕はかなり聞けるものになっていきましたが、やはり映画としては薄い内容に納得していなかった佐伯先輩がある日言ったのでした。

「このままじゃ魅せるシーンがなさすぎる!こりゃ他のバンドと乱闘するしかないわ!」

 この一言で、僕らは映画の演出のためだけにこの後、乱闘騒動を演出することになってしまうのでした。
 音楽ドキュメンタリーというより、ヤンキー漫画「今日から俺は」みたいな真似事をさせられることになります…。


つづく

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