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ツネさんとワンピース

7歳の夏、わたしは母や妹と一緒におばあちゃんの家へ遊びに来ていた。

いつものようにおばあちゃんが駅まで迎えに来てくれて、その日は買い物へ行った。もちろん、一緒に出迎えてくれたツネさんも一緒に。

小さい頃のわたしは、スカートやレースが装飾されたような可愛らしい服装が苦手で、Tシャツにズボンという動きやすい服装が基本スタイルだった。
しかし小学校へ上がり、周りの友達たちが可愛いイラストがプリントされたTシャツや、キュロットスカートを履いているのを見て、「わたしも欲しい」という気持ちが芽生えてきていた。

わたしのおばあちゃんは服飾・被服のスペシャリストだ。その影響を受けているのか、母も洋服が好き。ふたりが揃うといつも、わたしや妹の洋服を買い漁ることになる。その日も例外なく、洋服売り場で時間を潰していた。

「はるちゃん、こういうスカートは好きじゃない?」

おばあちゃんがそう言いながら差し出したのは、オレンジのお花がプリントされたワンピース。上半身と下半身で柄がセパレートされていて、襟や袖はついておらず、シンプルなデザインだった。

「かわいいと思う。」

幼稚園の制服やお呼ばれ用のドレス以外であまりスカートを履いてこなかったわたしが女の子らしい洋服を気に入る素振りを見せたもんだから、大人たちは張り切ってあれやこれやと提案をしてきた。

「1着くらい買ってみない?」

母にそう言われて、「じゃあ最初のオレンジのやつ」と答えた。

「よっしゃ、ツネさんが買ってやろ。」

さっきまで、洋服のことはさっぱりわからんと少し離れたところで傍観していたツネさんが急に現れて、母が手に取っていたワンピースをかっさらいレジへ向かった。

「ありがとう・・・!」

誰かに洋服を買ってもらうことは、はじめてではない。
その後も何度も何度も、プレゼントもしてもらった。
しかし、なぜだかこの時の、このワンピースのことは今でも色濃く記憶に刻まれている。もしかするとそれは、そのあとの出来事とセットになっているからなのかもしれない――――

買い物を終え、食事を済まし、ツネさんと別れておばあちゃんの家へ向かった。

ついさっきツネさんに買ってもらったワンピースを早速着てみる。夏にピッタリの鮮やかなオレンジ色と、今まで着たことのないフレアなシルエットのスカートがとても気に入ってしまった。くるくる回っては、スカートの裾を躍らせる。

「はるちゃん、よかったねえ。」

おばあちゃんも嬉しそうだ。

そこへ、畑仕事を終えた曾祖母がやってきた。広々としたお座敷で踊りまわる曾孫を不思議そうに眺める。

「どうしたんだい、そんなにニコニコご機嫌で。」

「あのね、このワンピース、ツネさんに買ってもらったの!」

わたしがそう答えると「ツネさん??」と聞き返してくる曾祖母。
すかさず母が「おばあちゃんのお友達、ね?」と補足を入れる。

その後、曾祖母は「ふぅん」と興味なさげに自室へ戻っていった。

「ひいおばあちゃんはツネさんのこと知らないから、”おばあちゃんのお友達”って言えばいいからね。」

母からそう言われて、それ以降、自分の家族以外の前ではツネさんのことを名前で呼ぶことは減っていった。わたしにとってツネさんは『ツネさん』でしかないのに、どうして関わる人によって呼び方を変えなければいけないのかがわからなかった。おばあちゃんのことは誰の前でも『おばあちゃん』と呼ぶのに、母のことは誰といても『ママ』と呼ぶのに。

人の名前が、『おばあちゃん』『ママ』などの肩書きと同列に扱われるはずがないことは、大人になればわかる。むしろ、子どもでもわかるばすだ。でも無意識にもそんな疑問が生まれるほど、幼いわたしにとってツネさんという人間の存在は当たり前だった。産まれた日からずっとそばにいてくれた、家族だった。

ツネさんが買ってくれたワンピースは、次の年の夏も、その次の年の夏もタンスから引っ張り出された。もちろん、新しい洋服は山ほどある。でもそのワンピースだけは特別で、身長が伸びて着丈がずいぶん変わってしまっても着ていた。鮮やかだったオレンジ色は、いつの間にかクリーム色に近いくすんだ色に褪せていた。


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