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幕を降ろすまで、あと7年。

「35歳までに、生き甲斐や生きる意味を見つけられなかったら人生終わらせようか」

 2021年12月、ふとそんなことを思いついた。

 キリよくあと10年、キリよく20代まで、ではなく35歳。
 34歳と11ヶ月と364日と23時間59分59秒。
 歳を重ねるその瞬間までに答えを出せなければ、わたしはわたしでいなくなる。

 もともと長生き願望もなければ、現在どうしても生きたいと思う理由もない。
「せめておばあちゃんよりは後に死にたいなぁ」とか、その程度で。

 生きることにも死ぬことにも執着出来ないわたしは、人として時間を消費することに、時折どっと疲れて嫌気がさしてしまう。

「いのちを大切に」
「生きたくても生きられない人がいる中、自らの命をぞんざいに扱うな」

 こどものころから擦り込まれていることだけど、それなら人が人として生まれ、生きる意味も擦り込んでくれ。
 生きる理由はわからず、かといって死ぬ決断もできずにだらだらと生きていることにうんざりしている人たちは、どうすればいい。
 この世の決まり事のように生きることが尊重され、生きないことは否定される世界。『生きたくないのに死ねない人たち』はどうすればいい。

 この漠然とした感情を抱きはじめてもう何年になるのだろう。
 最初に「消えてしまいたい」と思ったのは小学六年生のとき。きっとそのころから強さは変われど、ずっと持ったままだ。
 だから自分の存在意義や生きる意味、人が人として生まれ落ちる理由を人並み以上に探しているんだ。それを見つけるために生きていると言っても過言ではないくらいに、強く求めている。
 そして人はみな無意識にも自分に無いものを持っている人に憧れるように、わたしは生き甲斐や生きる意味を明確に持っている人にとても興味を持ち、憧れるんだ。

 ずっとずっと全力で探しているのにいっこうに見つからなくて、もういやになるよ。なのでラストチャンス。

 早すぎるって思われるかもしれない。生き急いでいると。
 でもだらだら時間を消費するつもりはない。こどものころからただ時間が過ぎてしまうことが苦手だった。なにかをしていた証が欲しくてひたすら日記を書いた。
 あと8年、この消えたい気持ちを付き合って、それを上回るモノがないときは心に従ってみよう。はじめから、わたしはいなかったかのように。

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