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嫁とMTG(趣味)と

「趣味である〇〇を嫁が勝手に売ってた…」
こんな話はよく聞く。いや、実際はよく起きることではないのかもしれないが、その界隈の人たちにとって衝撃的であるがために、レアケースな話を延々と擦られているだけの可能性はある。
それにしても原因は何だろうか?もちろん嫁が無知で「えへへ〜、こんな貴重なものとは知らなかった〜、めんごめんご☆」みたいなパターンもありうるが、多くは夫婦間のディスコミニケーションから発生する趣味に対する憎悪から引き起こされるものだろう

こんな顔して「今すぐ売ってこい」と言ってるのでは?

私自身、Magic the Gathering(以下、MTG)というトレーディングカードゲームの趣味にどっぷりハマっているが、その趣味に対する理解を得るために紆余曲折あった。私とつながりのある所帯持ちMTGプレイヤーも理解を得るのに苦労をしている様子もあり、そういった方々への参考になるかわからないが、我が家の経緯を明かせる範囲で振り返ってみたいと思う。


0.妻との結婚

まずは私と妻とのとても簡単な馴れ初めを紹介する。
妻は大学からの交際相手。私が卒業し、大学を離れ地元で社会人として働くと遠距離恋愛になるが、それも長くは続かず、社会人1年目の終わりに妻と結婚。というのも妻が早々に私の地元へ来てくれることを決意したことから、それに対して私も腹を括って結婚したということだ。

社会人1年目での結婚は社内でも珍しく、それなりの驚きをもって受け止められた。実際、学生気分の抜けきれない23歳の若造が結婚したと言われても否定はできない。

結婚した当初は私以外に縁のない所へ来てくれた妻を気遣い、休日は常に妻と過ごした。私も当時は無趣味人間で、一応学生時代にゲームやアニメ鑑賞なんかをしていたライトなオタクであったが、就職後は薄れていたこともあり、妻と一緒に地元を見て回る日々にそれなりに満足していた。

しかしそんな日々も私にとっては限界があった。というのも、妻にとっては新鮮な地元(特に沖縄という国内有数の観光地)も私にとっては慣れ親しんだ地元でしかない。いつしか休日を必ず妻と過ごすことに負担を感じ始めるようになっていた。

1.趣味(MTG)との出会い(再会)

そんな日々を過ごしていると、今も贔屓にしている横浜ベイスターズの試合をニコニコ動画で見ようとしたところ、MTGのプロ大会がニコニコ動画で放送されていることを目にする。

私とMTGとの出会いを振り返るとコロコロコミックに掲載されていた「デュエル・マスターズ」までに遡る。

世代にどストライクな漫画

当時小学5年生だった私は愛読していたコロコロコミックで見たこともないカードゲームを展開するデュエル・マスターズの世界観に憧れを抱いた。ただ、私の地元は日本の端の辺境の地。ジャンプのような週刊誌は1日遅れで到着し、コミックスはさらに10日ほど遅れ、そもそも無いものもあるくらい。MTGも例外ではなく、子供ながら必死に探しても地元の玩具屋で見かけるような代物では無かった。その希少性がまた憧れを一層強めた。
憧れだけが先行する中、私より先にMTGに触れる者が現れた。当時高校生だった兄である。兄は何の前触れもなく、兄の友人からMTGの束を譲り受け、家で私に一緒にやろうと言ってくれた。そこから家にあるだけのMTGカードという特殊プールのもと2人で楽しむようになる。始めて間もなく、私はMTGが好きになった。

しかし、子供の興味関心というものは移ろいが早い。中学生ともなれば、当時流行っていたオンラインゲームへと遊びの舞台を移し、明け暮れるようになる。一緒に遊んでくれた兄も大学生となり、MTGから離れていくようになった。そもそも家にあるだけのMTGカードではやはり限界がある。追加で新しいカードを買わなければいくら面白くても飽きるのは当然だった。そうして遊ばれなくなった家にあるだけのMTGは、いつしか母が処分していた。

処分された中にはこのカードもあったのだ…。

話を戻す。思いがけずニコニコ動画で10数年ぶりにMTGに触れ、当時の記憶が一瞬でフラッシュバックされ、世界的な大会が行われているということについても興味があった。今の時代、スマホで何でもできる。アプリでMTGも出来るのでは?早速探してみるとできたのである、そう「Magic Duels」が。

知ってる?Magic Duels

MTGを知ってる人なら「いや、そこはアリーナちゃうんかい」というツッコミが飛んできそうだが、当時は無かった。カードの収録プールが謎のMagic Duelsでも10数年ぶりにMTGを楽しむには十分であった。

間もなく妻も私がMTGをやってることに気づくようになる。しかしこの時は妻もスマホで何かのゲームをしてるなくらいの感覚であったはずだ。

当の私はMTGへの熱が冷めやらない。Magic Duelsでは飽き足らず、より実際のMTG環境に近いMagic Onlineにまで手を出し始める。これは無料プレイで済んでいたMagic Duelsから多少なりの課金が必要なMagic Onlineへと移行したことを意味する。だが、この時は当時のスタンで安いデッキを組んで満足していたので、趣味に多額の浪費が行われていた訳では無い。私自身もこれまで無料で遊んでいたこともあり、課金することに多少なりとも抵抗があったことによって歯止めがかかったかたちだ。

当時使っていたデッキ。安いんだコレ。

間もなく完全無課金にして現行のスタンダードと同じ環境でプレイできるMTGアリーナが実装。スタンであれば好きなデッキをいくらでも組めるアリーナを中心にやっていくことになる。こうして私がMTGへの熱を取り戻す中、家族にさらなる変化が訪れる。

2.長女誕生

結婚して3年目、妻が身ごもる。これはある程度予定していたことで、有難いことに予定どおりにいった(中には望んでも授からない方はいるので)。結婚してからの2年間は2人だけの新婚生活を楽しみ、その後子供のことを考えるということにしていたからだ。
子育ては夫婦共に初めての体験。それはそのはずだが、私は末っ子、妻は一人っ子ということもあり、自分より幼いものを家族に迎え入れることがどのようなものかわからなかった。
妻が心身共に変化していく中、当の私はというと今までどおりの生活を続けていた。妻が悪阻(つわり)で体調を崩す中、横でMagic OnlineやMTGアリーナに興じる私。どう考えても反感を買う構造しかないのだが、その時の私は以下のように考えていた。

「悪阻は私がなにかすることでどうこうできるものじゃないし、家事もやれることは全て済ませている上、妻から何か頼み事があればすぐにでもできる。やれることは全てやり尽くした上で生じた自分の時間である。何なら今までずっと休日は妻に付き合っていた分だけ、ようやくできた自分の時間くらい何をしても良いではないか。金だって無闇に浪費している訳では無い。」

↑なんかそれ早口で言ってない?

振り返るとイケナイ考えだが、先ほどのロジカルな考え(と思いこんでいるだけのただの早口オタク)もあり、何が悪いのか気づくことができていなかった。
子を授かるということは夫婦で共に向き合うべきであり、「今、自分に出来ることは無いから」と妻の前で気を抜くものでは無い。何ならその妻は身ごもりだしてから四六時中腹の子と向き合ってるからだ。当時の私は若く、その苦しみに寄り添うことができていなかったのだ。
家族のことは合理的に向き合うのではない、むしろ情緒的に向き合うべきなのだ。もちろん私に何かできることなんて無い。ただ、妻が苦しんでいる横でのうのうと趣味に興じるべきではないのだ。お腹をさすったり、手を握ってあげるだけでも妻は「気が」楽になったであろう。
こうして妻が私の趣味に対してヘイトを蓄積させていく中、長女が生まれる。

長女誕生に合わせて、私は50年近い社歴がある勤め先で2例目となる男性職員による育休を1ヶ月とることになった。先述したとおり妻は辺境の地に嫁いできてくれたということや、里帰り出産して実家を頼るという家庭環境でもなかったということもあって、出産直後は私のサポートが必要不可欠と考えたからだ。今では少し一般的になってきたかもしれないが、たったの1ヶ月とは言え、当時の男性職員による育休取得は世間的にも珍しかった。そういう背景もあり、職場では早くも「イクメン」呼ばわりされていて私もその気になっていた。

実際、育休期間中にやれることを可能な限りやっていた。3食の準備や家事を中心に、育児についても寝かしつけや沐浴、ミルクを飲ませる事など。とはいえどうしても私はどうにも出来ない授乳時や、娘が寝ている時等、手が空くタイミングはある。その時間を見ては私はまたMTGに興じていた。
もちろん出産後の妻の容態は万全じゃなく、いくら私が育児に協力しようという姿勢を見せても、自分の身体がキツイ時に横でゲームしてる旦那を見るのは決して気持ちの良いものではなかっただろう。育休をとって家にいる時間が長くなった分だけ妻はその姿を今まで以上に目にすることになる。

1ヶ月の育休が明け、仕事に復帰しても定時退社を続け家庭に協力していった。くどいようだが自分としてはできる限りのことを精一杯やっているつもりの中、妻からある言葉を放たれる。

「あんたがゲームして楽しそうにしてるの、相当不快なんだよね」

職場の先輩たちは育休など取らず、何なら出産直後でも遅くまで残業し、家庭を顧みない人も多くいた。その中でも私は家庭、ないし育児に対して相当な協力をしていたという自覚がある中、妻から恨み節を言われるとは思ってもおらず、むしろ感謝の言葉があってしかるべきとすら考えていたことからかなり衝撃的なものであった。

とりあえず私は妻を不快にさせないためにもゲーム(MTG)を辞め、何もしないでただそこに居ることにした。やるべき事はすべて終わっているからだ。そうして何もしない状態で熱くなった頭を少しづつ冷ましていると自分なりに1つの結論へと至る。

妻のあの発言は今までの不満が蓄積した結果として発せられたもので、その発言を生み出した主な原因は別にある。その原因を取り除かない限りは同じような発言、あるいはそれ以上の言葉・行動として現れてくるはずだ。
悪いのは趣味そのものでは無い。その趣味に嫌悪感を抱かせる自分という存在なのだと

冒頭述べた問題提起に対する自分なりの応え(答えではない)はこのように導き出された。

そしてもう1つ考えるべきことがあった。それは私と妻とで家事育児参画に対する認識のギャップが生じている点についてだ。

私は父としての自分のあり方を考えた際、他者と比べて自分はやっていると「相対評価」し満足していた。先に述べた職場の先輩との比較や事例が少ない育休をとったことはもちろん、最もわかりやすくは自らの父と比べて評価していた。
私の父は5人の子がいながら、家事育児のほとんどを母にさせていた。父は子のおしめを一切替えなかったと母はよく恨み節を言う。そんなことより、父は掃除洗濯食事とあらゆる家事を母に任せ、帰宅後はテレビを見ながら晩酌ばかりしていた。それでいて家事が疎かになると母を叱責するような昭和気質な父であった。そんな父と比べると明らかに私は家事育児に協力しており、妻の負担を自分の母以上に軽減することができていると誇っていた。実際、私の父としての姿を見て母もよくやっていると言っていた。

しかし結局のところ父としての評価は家族外の人間が何と言っても特に意味をなさず、自分以外の家族がどう評価するかということにしか意味が無い。つまり、父としての家族の評価は、家族からの絶対評価にしかなり得ないのだ

もちろん妻にいくらか社会経験があり、産まれたばかりの子を持つ他所のサラリーマンの例をいくつか見てきたのであれば、多少なりとも変わった可能性はあるが、先述のとおり妻は勤務経験が無く、仮にその例を見ていたとしても職場でしか見ない他人の姿と実際に家にいる夫とを見比べることは、そもそも比較の前提条件が成立していないだろう。

私は最も関心を持つべき妻からの評価を気にすることなく、全く意味の無い他人からの評価に踊らされていただけに過ぎなかったのだ。

以上のような結論に至り、私は自らの過ちを改め、可能な限り妻の気持ちに寄り添うように心がけた。遅ればせながら、今の時期は趣味もほどほどにしておこうと気持ちを抑え込んでいた。

3.妻の就業とコロナの発生

長女が1歳になる頃、妻は家に閉じこもっているのが耐えられない性分であったようで、長女を保育園に入れ、仕事を始めることを決めた。これまで私と長女としか人との関わりが無かった妻にとって、この地で新たなつながりができる良い機会と私も捉えた。実際、就職後は職場の飲み会に参加したり、休日も同僚とランチへ出かけたりと私以外の人と遊ぶようになってきた。表現としては不適切だが、ある種、私としても妻からの束縛に開放されたかたちになる。
とは言え、長女もまだ1歳。まだまだ手のかかる時期。私自身も引き続き趣味への気持ちは抑えつつ、仕事と家庭を両立させるよう心掛けた。
そうした日々が過ぎる中、妻が二女を身ごもる。一人っ子の妻にはあまりピンと来ていない様子だったが、兄弟(姉妹)は必ずいた方が良いと個人的には考えていた。
本稿執筆時点で長女は5歳、二女は3歳になるまで成長しているが彼女らは友達同士のように仲良く、家で人形遊びやごっこ遊びを楽しんだりと、やはり姉妹で良かったなと思うことが多々ある。

長女4歳、二女2歳の頃。かわよ。

二女が生まれる直前、世界的な変化が訪れる。コロナの流行だ。

多くの人がコロナにより社会的活動を制限された。もちろん私も例外ではないが、一つ例外があるとすれば、私の仕事はコロナにより激増した。普段はそういう店でもないのに、開店前に来店客による長蛇の列が成され、開店と同時に全職員で対応。営業時間終了後は顧客対応によりできなかった事務処理を残業により消化。社内の処理キャパは既にオーバーしており、こなすべきタスクは増える一方であった。こうした事情により家事も趣味も置いて、仕事に専念せざるを得ない状況にあった。
一方で妻は仕事が減る側であったことや、もともと出産前で産休する予定だったこともあり、閉園になりがちな長女の世話と併せて、家のことをお願いする形になった。事が事であったため、妻もその頃は不満など漏らさず理解している様子だった。

令和2年の5月。コロナが一向に収まらない中、二女が産まれる。コロナ前より二女が産まれたら私自身も3週間程度休みをとることにしていた。今度は育休ではなく特別な休暇と有休を組み合わせた形だ。一時よりは落ち着いてきたとは言え職場は未だ仕事が山積みな状態であったものの、会社に迷惑かけても知らないくらいの気持ちでこの予定を断行した。

コロナ後初めて訪れた長い休み。とは言え、本来の目的はまたも家事育児のサポートであるため、そこに注力していく。今度は前と違って2歳の長女の世話も加わった。しかし、長女の時の反省もあり、妻と衝突することは少なかった。

間もなく私の3週間の休みが終わる。復帰後も変わらず仕事の絶対量はとんでもなかったが、割り切りで定時までやれることをやって帰り、家事育児に協力することを続けた。そうしているうちに二女も保育園が決定し、妻も仕事に復帰することになる。

4.妻の仕事へのやる気と私の体調悪化

妻が仕事に復帰して間もなく、仕事にやりがいを感じてか、突如正社員を目指すという宣言がなされる。個人的には私の扶養の範囲で最低限働き、家のことをやってほしいという気持ちがあったが、妻のやる気を目の前にしてそのようなことは言えなかった。
正社員を目指す第1歩として私の扶養から外れ、契約社員となる。しかしこれは、私の扶養の範囲でいた方があらゆる面で都合が良く、妻が前より働いている割には収入面はプラスにならず、むしろマイナスになっていた。その上、妻が前より働くことで家事面が一気に疎かになる。産後直後は私が食事を担当していたが、妻が仕事に復帰してからは任せていた。その妻の作る食事の質が明らかに劣り、個人的に看過できないものになっていた。端的に言うと、既製品をチンして終わり、そんな感じだ。もちろんチンが悪いとは言わない。ただ、毎日チンばかりは如何か?という思いはあった。

そうせざるを得ない状況はよくわかる。私も妻の職場復帰後、会社へ迷惑かけたという気持ちから、19時頃まで仕事をする日が続いたが、妻の帰りも同じ時間となっていた。そこから娘らを迎えに行き夕飯を作るとなると、娘らの就寝時間が遅れてしまう。
いや、既にチンでも遅れている状況はあった。娘らは出てくる遅い夕飯に不満を感じているようであったし、就寝時間が遅れることで朝の目覚めが悪く機嫌を損ねているようにも思えた。明らかに私たち夫婦が家事育児を疎かにしている状況にあった。
仕事に気持ちが大分傾いているのか、妻はこの生活に何とも思っていない様子であった。しかし、自分の母と母として妻を比較してしまうとこれ以上は看過できない自分がいた。
この状況を改善するためにどうすべきか?まずは妻に現状を話し、もっと家事育児をして欲しいとでも言うのが一般的だろう。しかし私は違った。妻がやらない分の家事育児を自分でやろうと考えた。
これには理由がある。私はこれまでの人生経験から、人を変えることの労力は計り知れず、それでいて実現できない可能性が高いという認識を持っていた。であればどうするか?自分が変わるしかないという結論に至る。

こうして私は時差勤務を行うようになる。早く仕事を始め早く帰ることで、娘らが帰ってくる頃には材料から作った食事を準備し、その他の家事もあらかた私が終わらせられるようになった。結果として、子供らは早く寝られ、妻も家事育児を進んでやる私に満足している様子があった。

これで全て良くなった。

…コレデイインダ…。

…。

限界だった。

時差出勤するということは残業を許されないということであるが、絶対量の増えた仕事自体は変わらない。限られた時間の中で効率的に捌くため、勤務中の集中力はこれまで以上のものとなった。帰ってからはもちろん家事育児がある。妻も気を良くしてか、ほとんど私に任せっきりになっていた。それはそうだ、夫が自分で進んで勝手にやってるんだから。私自身もこの不公平感を何とかしたいが、自ら進んでその選択をした以上、言うことが出来ないままでいた。
この閉塞感が及ぼす精神的疲労は肉体的疲労以上のものがあり、私はあるものにすがるようになる。

そう、趣味(MTG)だった。

家事育児のほとんどをやるようになってから、妻は子供たちと先に寝るようになっていた。私は食事の片付けや洗濯物等の家事を彼女らが就寝した後に行っていた。その気になればそれら家事を片付け、24時あたりには私も眠れるところを、このまま自分がやりたいことができないままで一日を終えたくないという一心でMTGをやるようになる。大体夜中3時まで。翌朝は6時半に起きる必要がある。

こうして平均睡眠時間3時間半程度の日が続くようになる。妻もたまに娘らが寝た後に起きて私がMTGをやってるのを目撃する。それも夜中の2時だったりする。妻も私が睡眠時間を削ってMTGに興ずるのを認識し、「依存性」だと軽蔑してきた。

まぁ、そう思われても仕方がない。ただその状況を作ったのは一体誰なんだと勝手に不満を募らせていく。
そして、先に悲鳴をあげたのは自らの身体であった。

この生活がしばらく続くと、時折みぞおちが急に痛み出すようになった。中から締めあげられるような痛みだ。会社のストレスチェックでも高ストレス者に認定されたことから、産業医と面談をし、ストレスについてはともかく、みぞおちの痛みについて病院へ行くべきと胃腸内科を紹介された。胃腸内科で人生初の胃カメラをすると「慢性胃炎」との診断。ピロリ菌の検査もしたが見つからなかったため、経緯を含めてストレスによるものと判断された。

この検査のための通院に対して、妻も私の身体の異常に気づいた様子ではあったが、特に変わる様子は無かった。

そんな中、ある事件をきっかけに口論となり、気づけばこれまで溜め込んでいたありとあらゆる思い、そしてその結果(体調不良)についてもまくしたてた。それまでは何か言い返していたような妻も一切黙りこくり、私に謝罪をするだけになった。
以後妻は今までどおり仕事は続けるものの、家事育児に対して自らも進んで積極的にやってくれるようになった。
結局のところ、この不満については身体を壊す前に私がもっと早く相談すべきで、わざわざ諍いを起こす必要は無かったのだ。前に妻が私に対して不快の意を表したように、私自身も当時の生活に何かしらの異議を唱える必要があったものを放棄してしまっていたのだ。その点も含めてやはりディスコミュニケーションがあったと言える。

5.趣味に対する許容

妻が家事育児についてもある程度意識が向いてくれたおかげで、私の仕事、家事育児、趣味のバランスが取れ始めてきた。ストレスの件も伝えたからか私が趣味に興じることについても文句も無くなった。それどころかより前向きに趣味に取り組むことを肯定してくれるようになった。

「私自身、Magic the Gathering(以下、MTG)というトレーディングカードゲームの趣味にどっぷりハマっているが、その趣味に対する理解を得るために紆余曲折あった。」 

冒頭こうは述べたものの、理解を得るというより許容してくれたというのが正しい表現なのかもしれない。当初は私が妻への配慮が足りなかったし、その後は妻が私への配慮を欠いた(と思われる)。夫婦で共に生きていく上でお互いに歩み寄りある種パワーバランスを均衡させるとも言える形で互いに許容しあう。その許すべき要素のひとつとして趣味があるということかもしれない。

育児というのは想像していた何十、いや下手したら何百倍も大変なことを実感し、私は素直に両親(特に母だろう)を尊敬し直した。いや、両親に限らずとも子を立派に育てるために日々尽力する親らは等しく尊い存在だ。そして言わずもがなだが、日々成長していく子の存在はそれだけで尊い。

妻は家族が一緒に過ごしていくにあたって様々な困難に立ち向かう戦友という存在に近い。

私にとって妻との関係はピアとキアンが共闘するイメージに近い

ここまで書いてきたのは、私がMTGを競技的に取り組めるようになるまでのきっかけの話であり、およそ2年前の頃のもの。その後も互いの環境に変化もあり、仕事・家事育児・趣味といったバランスに変化が起き続けている。その度に自分自身を変え、あるいは相手に協力してもらい、なるべく均衡を保てる状態にしている。もちろん完璧な均衡は難しく、どこかしらに偏りがあり、一部は不足していくようなものではあるが。

今後もより良い家庭環境を築くためには、環境の変化に敏感になり、互いに配慮しあうことが大事であろう。そのためにはお互いの気持ちをハッキリ伝え合う綿密なコミュニケーションが必要になる。家族である以上、必要以上の気遣いは不要で、お互いのためにならない。そして自身の趣味はより良い家庭環境を大前提として成り立つものになる。

ここまで1万字近くを費やしてきて書いてきたものの結論は至ってシンプルで、これまでお付き合いいただいた方に「なんだ、それだけのことか」と思われるのも仕方がない。しかし、私が見落としていた「勝手な自己評価は改め、家族からどう評価されているか」という点を踏まえて、再度より良い家庭環境を築くためにはどうすべきかということをお考えいただくきっかけにしていただければ幸いである。

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