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塩味がきいている #ショートショート

「人生の最期に食べたいものって何?」

僕もきみも40歳をこえて、食事中にそんな会話をしたことは覚えている。しかしきみは「ないしょ」と答えていた。
あれから3年、たった3年、ベッドの上のきみはまだ43歳。今はほぼ一日中眠っている。
きみはよくがんばったよ。癌の痛みに経口薬だけで耐え、晴れた日は車いすで散歩に行き、フルーツやアイスを口に入れる。本当は我慢していたんじゃないのかな。食べることもつらかったのかもしれない。そんな日々が数ヶ月続いた。
「ありがとう」と微笑んで、僕を安心させようとしてくれていた。
きみは強い女性だ。いや、僕が弱いのか。


「わがまま言ってもいい? 家に帰りたい」
入院していたきみは自分の命の時間が少なくなっていることを実感していたんだね。希望を伝えてくれて嬉しかったよ、やっと頼ってくれたと思ったんだ。
ケアマネージャーさんを紹介してもらい家で過ごせるよう環境を整えてもらった。
介護保険の申請、介護用ベッドのレンタル、訪問診療をしてくれる診療所を決め、訪問看護、訪問介護も決めて家に戻ることができた。
僕は週に2日出社し、あとは在宅勤務ができるよう会社に配慮してもらった。


「懐かしい昭和感のある家に住みたいな。小さな庭でお花を育てて、縁側があって、友だちと宴会ができるような和室があって……」
僕はマンションに住みたかったけれど、きみと二人ならそんな暮らしもいいかもなと家を探した。
「この雪の結晶みたいな模様のすりガラス、かわいいな。和室も広いし、ここがいい」と決めた下町の一軒家。
下半分がすりガラスで上部は透明ガラス、これが今介護をするうえで都合がいい。きみの姿は外から見えず、きみは空を見ることができるから。

何度か宴会をした和室にはきみが眠る介護ベッド、そのまわりにはおむつ、訪問看護師さんが使うビニールエプロンやガーゼなどが入った籠、着替えが入った小さな衣装ケース。
机の上にはティッシュの箱、口腔ケアをするときの水色のガーグルベースンという容器の中に黄色のスポンジがついたブラシ、水を飲むときの吸い飲みが置かれている。
音楽が好きなきみに小さなスピーカーを買った。
テレビもきみが見やすい位置に置いた。

ベッドの柵には小さな箱が入ったケースがぶら下がっている。この小さな箱から出た管はきみの体に繋がっていて、少しずつ持続的に医療用麻薬が入っていくんだ。痛みが強い時にはついているボタンを押すと追加で薬が入っていく。
怖かったよ、初めて押すとき。間違って多く入ってしまったらどうしようって。
「一度押したら1時間は薬が入らないようにブロックされますから安心して押してあげてください」
看護師さんに教えてもらっていたけれど、やっぱり怖かったんだ。
今は躊躇なく押せるのにね。
痛みをとってあげることが、今のきみには一番大切なこと。それできみが眠ってしまっても、痛みのない時間のほうがはるかに大事だと今は理解し僕が伝えられる愛のひとつなんだって。


時々僕は病室にいるんじゃないかと錯覚する瞬間がある。鉄骨、コンクリートのちょっと冷たさを感じる建物とアルコールの匂いの中にいるような。ここは木造のあたたかい部屋の中なのにね。
スピーカーからきみの好きなバンドの曲が流れてきた。

『ねぇ お願い高速を飛ばして 悲しみの向こう側まで連れてってよ』

夢だったらいいのになぁ、僕が見ている景色が全部夢だったら。
涙と鼻水がぽたぽた落ちる。きみと高速を飛ばして行きたい場所がまだいっぱいあったんだよ。



よく晴れた日の午後、訪問看護さんの処置を受け、きみが少し覚醒していたのでベッドの背を上げた。
テレビではグルメ番組が流れている。
少し口に入れてあげても大丈夫そうなので、ぼくはコップにかき氷タイプのアイスを入れてつぶした。ソーダ味の水色がきれいだ。
アイスを口に少し入れると、きみはゆっくり時間をかけて飲み込んだ。

「ジョージアの料理、シュクメルリです」

テレビから聞こえてきた言葉にきみの目が見開いた。
きみの口から「シュッ」という音が漏れる。
驚いてきみを見ると、きみも僕を見ていた。
何かを訴えるような目でもう一度「シュッ」と言った。

「シュクメルリ?」

きみが頷く。

「シュクメルリが食べたいの?」

もう一度君が頷く。

若い頃二人で旅をしたジョージア、天国に一番近い教会と言われている教会に行った。その時泊まったゲストハウスで食べたのがシュクメルリだった。
ガーリックのきいたチキンのホワイトシチューのような煮込み料理だ。
シンプルだけどとてもおいしかった。

「もしかして、きみが最期に食べたいものってシュクメルリなの?」

きみは目尻を下げ口角を少しあげて僕を見た。

僕は急いでパソコンを開いてシュクメルリを調べた。なんだか聞いたことがないフェネグリークというスパイスを入れるらしい。
きみは時間がない、いつ食べられなくなるか分からない。
どうしたらいい?
料理上手な訪問介護士さんに事情を説明すると買ってきて作ってくれると言う。
看護師さんは主治医に確認してくれて「スープだけなら」と許可をもらってくれた。
訪問診療の時間にあわせ食べさせようと計画をたてた。
僕は自分で用意できる鶏肉、牛乳、ニンニクを買ってきた。

作ってもらっていると懐かしい香りが部屋に充満し、旅の思い出が浮かんできた。
二人とも若かったね。きみはずっと笑顔だった。現地の人とすぐに打ち解けてよく笑っていた。
今の僕はしわが増えたけれど、眉間のしわではなく目尻の笑いじわが増えたのはきみのおかげだ。

医師の呼びかけにしっかりと頷けるほど覚醒していたきみは、お皿が近づくと香りを感じたようで目を開いた。
小さなスプーンにスープをすくい口の中に入れた。
ごくっと喉を鳴らして飲み込んだきみは「おいしい」とか細い声でつぶやいた。
医師や看護師さんも嬉しそうな顔で見守ってくれている。作ってくれた介護士さんは小さくガッツポーズをした。
あたたかい空気がこの部屋を満たしていた。僕はみんなとハグしたい気分だったよ。もちろんきみとも。
こんな時間もあるんだ、人の最期は悲しいだけじゃないんだね。


本当にきみの最期の食事になったシュクメルリ。あれから作り方を教えてもらった僕は、きみの月命日にはシュクメルリを作って食べる。
最高の笑顔で写っているきみの遺影に話しかけながら頬張るチキンは、たまに涙が混ざって塩味がきいているよ。
きみの命日には、ベッドがなくなった和室で宴会をしようと思う。
それまでに料理の腕をあげておくよ。
(完)



引用:king Gnu『硝子窓』作詞 常田大希 歌詞を一部引用しました。

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