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あなたが負けるんじゃない

毎週観ているドラマ『ミステリと言う勿れ』
昨日の放送回を観て、看取ってきた方々のことを思い出し、自分の中で考えることがあった。

主人公の久能整(ととのう)が入院し、病室で隣のベッドにいる元刑事の牛田と話すシーンがある。
(まだ観ていない方へ、以下、シーンの台詞が出てきます)

自分はもうすぐ死ぬんだと「刑事としても負け、長い闘病生活の末、病気にも負ける」と話す牛田に、整は

あの、僕ずっと疑問に思っていました。どうして闘病って言うんだろう。闘うと言うから勝ち負けが付く。例えば、有名人が亡くなった時に報道ではこう言います。「病には勝てず」「病気に負けて」「闘病の末、力尽きて」。どうして亡くなった人をむち打つ言葉を無神経に使うんだろう。負けたから死ぬんですか?勝とうとしたら勝てたのに、努力が足りず、負けたから死ぬんですか?そんなことない。僕ならそう言われたくない。勝ち負けがあるとしたら、お医者さんとか医療ですよ。その時点の医療が負けるんです。患者本人が、あなたが負けるんじゃない。

あなたが負けるんじゃない

私は、ご利用者が亡くなった時に、負けたと思ったことは一度も無い。
昨年、同年齢の女性を看取った。
痛みを薬でコントロールしながら、やりたいことを一つずつ達成して過ごしてきた。
そんな彼女が「もう終わりにしたい。もうじゅうぶん。薬を増やして。」と伝えてくれた時も、彼女が負けたなんて寸分も思わなかった。

なのに、報道での言葉に違和感を覚えることも、整のように疑問に感じることもなく過ごしてきた。

「負けた」という言葉が、死は恐ろしいものだと捉え、死を忌むことに繋がる。
亡くなった人を、最期だけみて「可哀想な人」「不幸な人」というイメージをつける。
そんなことないのに。今まで過ごしてきた幸せな時間があるのに。
看取りの時間って悲しいだけじゃないのに。
痩せ細ってしまって、あんなになってしまってと言う人がいるけど、亡くなる直前、とても美しいと感じることが私はある。
死は忌むものじゃないと伝えたいと思っているのに、そんな自分が無神経だったなと思う。日々のあらゆることに疑問を持たず生きている、これこそ怠惰だ。

「人は病に負けたから死ぬんじゃないです。僕はそう思う」

そう言い切る整の言葉が刺さった。

整は、何気なく日々を過ごしている私たちに、はっとする疑問を投げかけてくれる。
それ、おかしくないですか?って。
どうしてそう思うのですか?って。

日々使う言葉、発する言葉、聞き流す言葉
ライターという生き方を決めたのなら尚更、問い続けなければならない。

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