『ギターの先生⑮』
第15練習 昔のワタシと大人のワタシ
マキオのギターレッスンも、カラオケボックスのギターレッスンも
続いている。
ミドリの存在については、周知のオバケということでみんなで共有して、仲間として認識することで落ち着いた。
メッチョに理解してもらうことには苦労したけれど、ワタシたちの様子を見て何とか頑張って納得してもらった。
だいぶかなり、頑張ってだけれど。
あと変わったことと言えば、たまにマキオがカラオケボックスに一緒にやってくるようになったことぐらいだろうか。
マキオから見てもミドリのギターは上手なのだそうで、
「生きてたらセッションしたかったなあ。惜しい人材だなあ」
と口癖のようにマキオが褒めるルーティーンが始まったことが、ミドリにとっては面倒くさいことになっているようだ。
パパとワタシの関係はというと、徐々にではあるけれど元に戻そうとお互いに努力している。まあ当然パパが多めの努力だけれど。
家庭での上下関係は、あからさまにワタシが上に君臨することとなった。
ワタシ→おんぷ→パパ。
たぶん、別れなければこのままずっと。
最初の最初には戻らないだろうけれど、家族としてきちんとチームワークをよくすることに関してはおんぷも含めて意見が合致した。
立て直し、ということだ。
パン屋のパート帰り、ふと上に目をやると梅の木にメジロが2羽やってきていた。
ピーチクパーチクせわしなく鳴いている。
世間話でもしているのかしら。
もうすぐ春がやってくるね、とかなんとか。
本当の春になれば、おんぷもいよいよ高校3年生になる。
先日大学受験のための塾の手続きを2人でしてきた。
相当な月々の受講料に面食らったが、パート時間を増やして、食費でやりくりするしかない。
他にも我慢しないといけないことを細々ノートに書きだしてみた。ため息しかでなかった。仕方ない。ここが踏ん張りどころ。
彼女の青春も、ワタシたち夫婦の問題も、いったんここで急ブレーキをかけることになるのだ。
ギターを始めてから10カ月。
その間に様々な事件が起こり、ワタシはオバサンになってから反抗期と成長期を迎えたような気分だった。
なんだか楽しい。
毎日が同じような生活だと思っていたのは、自分のせいだったのだ。
何かの一歩を踏み出せば始まる。何かの一歩を踏み出さなければ、当然だけれど何も始まらない。
そんな簡単なことを、今までわかっていなかったのはワタシ自身だったのだ。
ギターを始めて出会った人々。オバケを含めて何人いる?
人前でギターを披露して、この年で初めてギターでバンドを組んでいる未来なんて予想できた?
しかも様々な年齢、職業、立場の人たちと。
辛い時に、助けてくれる人なんて家族以外にはいないと頑なに思っていた。
だから家族が裏切ったら、それでワタシは終わるんだと思っていた。
でも違った。
違う場合もあるのだということを、この短い期間で勉強した。
公園でギターを練習していたら、小さな子どもが手を叩いてくれた。
よく見ていなかった素晴らしい景色が、今目の前に広がっている。
ワタシは一歩を踏み出した。
夢のような未来でなくてもいい。その時に最善なアイデアで輝く未来。
「この前ね、ミドリと話をしたんだけど」
マキオはレッスンのあと紅茶を飲みながら、こう切り出した。
なんだ、ふたりはもう内緒話をするほどに仲良くなっていたのか。少しジェラシー。
ワタシは紅茶のカップの底に描かれている船の絵をじっと見て、マキオから視線をそらした。
「ミドリはライブハウス『ミケランジェロ』で、バンドとしてギターをどうしても弾きたかったって。もしかしたら、それができなかったから自分は今も成仏できないんじゃないかって」
結構大事な話。
ワタシにはしてくれなかった話。
するとチーコさんが聞きつけて、接客途中に目を輝かせて話に入って来ようとした。
「え?それってオバケ少年くんの話?」
ハイハイハイと、マキオはチーコの長細い背中を押しもどした。
「でさ。『ミケランジェロ』って、店長が俺の小学校の同級生なんだよ。しかも結構仲良かったから連絡先も知ってて。だからミドリの話をしてみたわけ」
「覚えてるよ、ミドリ。可哀そうだったよ本当に」
ミケランジェロの店長はミドリのことをよく覚えていて、彼自身も心残りになってしこりとしてジクジクとしていたのだという。
何度かライブハウスにも来ていたし、忙しい時には手伝ってくれたこともあったらしい。
ぶっきらぼうだったけれど、まっすぐで。
ライブ出演することをすごく楽しみにしていたことも、もちろん知っていた。
「で、追悼というわけじゃないけど、ミドリのための音楽ライブを何組かのバンドで企画するって話になって」
それが、1カ月ほど前なのだという。
「聞いてないです」
「言ってないです」
そしてマキオは、イチゴジャムとチーズクリームが挟まったビスケットをつまむと、とんでもない言葉を言い放った。
「そこで俺たちライブすることになったから。今年のミドリの命日に。バンドとして出演決定」
地球の自転が止まったのかと思った。
ライブに出演?イタリアンバーみたいに1曲じゃ済まないことは分かっている。
最低でも3曲。くらい?
「3曲やります。これからやります」
ビスケットが入ったままの口で、マキオはねちょねちょと言った。
馬鹿なんじゃないの?マキオやメッチョ、カラオケ店長はいいけどワタシはどうすればいいのだ。
完全に押さえきれないコードの方が満載のワタシが。
自分の、最近つるつるしてきた手の甲と指を見る。
初めて買ってみた黄緑色のマニキュアをしている爪と指。
信じればいいのか?
この指が3曲も奏でられるってことを。
だいぶ遅れてきた成長期の自分のことを。
「で、構成はオレとメッチョがメインギター、カラオケ店長がキーボードで
ミケランジェロの店長サワっチがベース、それから美容室「なつめ」のモンちゃんがドラム」
美容室「なつめ」のモンちゃん?
「もしかして、モンちゃんって門仲さんのこと?」
「そう。あれ、知ってる?」
ワタシを担当してくれている、髪色がステキな人、門仲さん。
にしても、ワタシの名前がない。
「寄せ集めだけど大丈夫。みんな学生時代にバンドやってたから」
どんどんと進む話に、置いてけぼりにされた気分だ。
「で、コメコちゃんはギターとメインボーカル。言ったことないけど、実はコメコちゃんが歌がうまいことを俺は知ってる」
大学時代の夏の写真サークル合宿で、器用に話せる女の子はモテていた。
頷いたり上目遣いをしたり肩をすぼめたり手を叩いたり。
ワタシはその輪には入れずに、買い出しや夕ご飯の準備、人数分あるかどうかの確認などをして忙しくすることで逃げていた。
どうせワタシは話が上手じゃないから。ワタシと話したって、きっと盛り上がらないから。
楽しい部分は楽しいことに長けている人たちに担ってもらって。
山の美味しい空気を吸えただけで充分だ。
そんな風に思って黙々と作業することで、その役こそが自分に課された役だと決めていた。
でも、誰にも見てもらえてないと思っていたら、誰かが見ていた。
気づかれていないと思っていた自分の長所を、誰かはわかってくれていた。
「コメコさんて写真撮る時に、被写体の気持ちになって撮ってるっていうか。いいところを引き出すのが上手っていうか」
もどるさんは、あの時懸命に話しかけてきて料理作業を一緒に最後までこなしてくれた。
特に印象的な話をしたわけではない。
でも、なんとなく隣りにいるだけで信用ができるというか安心できると感じたことに間違いはなかった。
その時と同じ、他愛無い言葉に胸の奥がキュンとして励まされた。
マキオは言った。
「コメコちゃんならできる。それを俺はわかってる」
大人のワタシはもう一度、誰かに良さを理解してもらえたのだ。
「ミドリを、コメコちゃんとみんなで成仏させよう」
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