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怒鳴った後のやさしさ

大人になってから親にぶち切れることは、あまりないと思う。いや、多かったらそれはそれで困る。
私は一度だけ、母親にぶち切れて怒鳴り散らしたことがある。もう何年も前の話にはなるが、今でも昨日のことのように覚えている。
元々あまり親に対して怒鳴ることがなかった私の、数少ない怒鳴りエピソードと、そこから得た感情のお話。

あれはブラック企業に勤めていた頃

朝から晩まで働き残業代は出ない、電話が3コール鳴れば怒鳴り声が響き、繁忙期には「帰れると思うなよ」と言われ。心身ともに疲れ切ってしまい、朝家を出ることがしんどくて仕方がなかったとき。
ある朝、階段に座り込み頭を抱え、どうしようもなく塞ぎこんでしまっていた。そんな私に母は「辛いのはあんただけじゃないんだよ」と言った。
その言葉にぶち切れてしまい
「みんなは関係ない!あたしが辛いの!!」
と、自分でも驚くほどの大声で怒鳴り散らしてしまった。
その日は無事(?)に仕事に行ったと思うが、おそらく程なくしてその会社は辞めた。

辛さは周りと比べるものじゃない

あの時の私は、母親に「"私"が耐えられないほど辛い」ということをわかってほしかったのだと思う。ほかの誰でもない、私が。
そもそも、辛さを他人と比較するのは間違っているのではないだろうか。
よく「みんな頑張ってるから」「みんな大変な時期だから」「みんな」「みんな」というけれど、耐えられる強度なんて人それぞれ違う。目に見えるものだったら「あ~今もう手いっぱいで~す」と言えるけど、目には見えない。
「みんな頑張ってる」?私だって必死に頑張ってる。みんなが頑張ってたら、私の頑張りは評価されないのだろうか?そんなのおかしい。
辛いときは「辛いよね」、頑張ってるときは「頑張ってるね、えらいね」と、ただそれだけを言ってもらえたら、それでよかったのだ。

目線を合わせて、寄り添う言葉を

それ以来、私は母に怒鳴ることは一切なくなったし、母も「みんな大変」とはあまり言わなくなった。
あの一瞬とてつもなく母が憎く感じたけど、今では誰よりも良き理解者になってくれている。
最近ではお互い愚痴をたくさん言い合って、「お互いがんばってて偉いね、たまには休もうね」くらい言えるようになってきた。

私は果たして、疲れている人に「お疲れ様」と心から言えているだろうか。頑張ってる人に「頑張ってるね、えらいね」と言えているだろうか。
誰かが誰かに怒鳴ってしまう前に、その人の折れそうになっている心に寄りかかることができる、そういうやさしい人になりたいなぁ。
と、最近あの日のことをよく思い出しながら心に刻む。

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