初めて味方を失った日
これは、私の人生の中で初めて味方を失った事による心の傷を書き留めたもの。
私の心の声だから、最後まで見てくれる方、私に寄り添ってくれて有難うという気持ちで書いてます。
私の大切な大切な祖母がひな祭りの日に亡くなった。
未だに信じられない。不思議な感覚で。
祖母は病気に数え切れないほどなっていたが、その度に持ち前の生命力の強さで耐えてきた強い人だ。
だから、今回もまたきっと、耐えて家に帰ってきてくれるんだろうな…と強く思ってた。
思い返せば、1月の中旬からどうやら弱ってきているらしいと親から言われていた。
その時から、家の事頼むね。とお願いされる事もこの時から増えた気がする。
その約束を守りながら日々過ごしていく中で、1月の末に祖母の脳に異常が起き、片方麻痺をしていたので、救急車で緊急搬送された。朝ご飯の時に急に様子がおかしくなったらしい。
それから、病院から一時退院した祖母は、車椅子で、1人で何もできない、ご飯も2、3ミリに刻んだご飯を食べる日々。生かされてる感じ、自力で生きて無い感じがする事に辛く感じていたんだろうな。
いつもジョークとか言って、ニヤニヤしてる祖母の姿がなかった。
でもね。言葉を上手く話せなくても、上手く笑顔が出来ていなくても、いつも全力で動く方の手で丸ってポーズしてくれたり、3本指でピース✌️してくれたり。
サービス精神旺盛なところが変わらなくて、安心したな。
時間が経つにつれ、家ではもう介護しきれなくなって、病院に移った。それからは全く会えなくて。ただ、死を待つ。その日を待つ様な感じで、残されてる方がとても苦しくて。もどかしかった。
3月2日。
就職説明会に参加して家に帰ってる途中、親からすぐに帰ってこいと連絡がきて、慌てて帰った。
すぐに出られる様に準備をしていた夜中に、病院からの呼び出し。急いで家を飛び出た。
夜中の23時に向かった事もあり、雪が大変積もった日だったので雪道がザクザクで天気が悪く、慎重に運転しながら病院に向かった。母以外の私達は祖母の家で待機。連絡を待つ時間が辛かった。
夜中でもうダメかもしれないと言われていた祖母。最後の最後まで強い生命力を発揮して朝の9時半まで熱を出しながら頑張って生きた。
深呼吸をしたと思ったら、ふっと息を吐いて
気持ちよさそうな顔をして亡くなったって祖父から聞いた。
最後に花を添える時、最後って言葉が嫌で、人の命ってこんなに呆気ないんだ。なんでこんな。って辛くて辛くてただただ泣いた。
みんなの涙が溢れたティッシュの山を見て、この死は現実なんだと痛感した。
それから少し時間が経った今。
自分の心の整理がつかなくて、祖父を元気づけるためにも写真集を作りに行った。
写真集にまとめた笑顔溢れる祖母を見たら、いつでも会えると思って。
どう前を向いたら良いのか、どうこれからいけば良いのか、わからない。未だに。
けど、変わらないものって、あるよね。
変わらず私をずっと心配している祖母だからきっと近くで怒りながら支えてくれてるよね。
空を見たらずっと繋がっていられる気がして、毎日空を見て繋がりを確認してる。
これからも、空を見てずっと繋がっている感覚を忘れずに生きていきたい。そう思った。
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