おっちゃんと高次脳機能障害 入院編5

2019年3月10日 病棟に行くと表情がうつろなおっちゃん。おかしい。何があった?と担当看護師を探して話を聞くと 不穏症状が強かったので当直の医師の判断でチアプリド朝夕が開始されたとのこと。

確かにテレビが載っているロッカーが移動していてテレビの電源やアンテナのケーブルが引っこ抜かれている。「帰りたいと暴れたんです」と担当看護師。もう二年もたつことなのにこの時のことを思い出すと悔しくて切なくてかわいそうで泣けてくる。

なぜ心を寄せてくれないのか?

なぜそんなに不穏症状に陥るのか?

なぜ その行動をこの人はとっているのか?

なぜ?なぜ?なぜ???

ここにいるとよくない。悪くなる一方。もう、ここにいちゃいけない。なんとしても私が外に連れていく。そう決めた。医療とは?看護とは?考え続ける日々。医療はそもそも人が元気でその人らしく生きるためのもの。が、しかし、不安であおられて選択肢もなく周囲の評判でこの病院を「選んでしまった」私たちは本当におろかだった。

やるせなくてふがいなくて自分を責める日々だった。

2019年3月11日 ソーシャルワーカーに転院手続きの進捗状況を尋ねると現在審査待ち。長ければ転院は4月17日までかかるとのこと。その言葉に意識が遠くなりそうになりつつ。。。それでも粘って見当識障害がみられることからここにはもう居たくないこと、早期に転院希望。転院ができないのなら自宅に返してほしいと伝える。が、しかし神経内科主治医Cから副作用の関係で現在減薬しているので様子を見るために1週間は待ってほしいと告げられまた意識が遠くなる。

この日。夕方に介護保険の面談と審査が行われた。同席した看護師はADLが自立していないおむつ排泄な手づかみご飯のおっちゃんの事を

「全部自立しています」

と、のたまった。ほんと。見えてないやん。どこを見とんのや。ふざけんなわれ~~とよくわかんない関西弁で切れたかった。審査の方は看護師を返した後、私との面談でもう一度丁寧におっちゃんの動作や反応を確認してくれて「違いますね」との認識を示してくださった。なんやねんこれは。私がうるさいBBAだからおっちゃんが嫌がらせされとるんか?そう被害妄想をいだきそうになりつつそれでもクールに過ごしていた。

2019年3月12日 私の日々にクレームで?やっと!!ホルター心電図が外れた。おっちゃんの心の解放である。とっても喜んでいて嬉しそうだった。そして内服薬のイーケプラが中止となった。ここで空気感が変化したのを感じ取った。私も楽になった。

2019年3月13日 循環器主治医Bから連絡。20日外来で俺に任せろと言っていた上司医師Aも同席の上、面談をしたいとの事。息子の同席も求められたが日程的に不可能であった。私からの要求として医師のほか看護師長の同席を求めた。看護についてどうしても尋ねたかったからである。

2019年3月15日のFacebook記事より。抜粋。

たくさんの方々に支えられて今。
夫の右手は大分回復してきました。
嬉しい事に 主治医の先生から
自宅でリハビリ案も提案されて。
病院よりも 自宅でお客さんと接する事が
夫の希望で やりたい事。
出来ることは制限されても
店にいるだけで 回復すると感じています。
「病院なんてもううんざりだ!」
そりゃそうだ。
昨日 自分の気持ちを書きなぐり
何が引っかかっているのかを見つめました。
そして結論。
自分がとことん自分の味方してれば
何も怖くない。
来週の水曜日 主治医とその上の先生との面談があります。
どのような説明があるのか?
代わり映えのしない 「レアケースで文献調べても出てこない」
という説明で終わるのか?
自分で自分の味方をして
しっかり聞いてきます。
私は
「人を全体的に観てほしい」
これだけを伝えてきます。

2019年3月17日 おっちゃんの表情が明るくなっていく。この時、退院したら何やりたいの?と訊いたら。

「煙草を売りたい。自販機をやりたい。あの先生に歌を習いたい」

え????まずはやっぱり仕事なん?うけるわ。しかも自動販売機を動かしたいのか~~!うけるわ。歌ね。やりたかったのね。私がいつも楽しそうにしているから自分もやりたかったのね。わかったよ。先生には聞いておくからいけるようにリハビリ頑張ろうね。と約束して歌の先生にも連絡をして快く受け入れてくださるとお返事いただいたのでした。

そして3月18日。Y先生の施術をうけたらお箸でメンチカツが食べることができた。なので3月18日はメンチカツ記念日になった。忘れてたけど(笑)

続くよ♪

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