おっちゃんと高次脳機能障害 入院編3

2019年2月19日 神経内科主治医Cより電話連絡。「朝からかどうかは不明なのだが、右手に不随意運動と細かいけいれんが出現している。再度MRIを撮影します」 このため午後から閉店し病院へ向かう。「脳の表面と後方が光り始めている。これは脳梗塞やてんかんでも起こるが、症状的にてんかんであろう。」とのこと。そして「どうしてこうなっているのか発生機序はわからいない。」とも。

17時半 セルシン半筒静脈注射。即刻眠る。眠ると右手の振戦なくなる。このことより、てんかんでほぼ間違いないと診断が下る。そして内服薬のイーケプラが開始となる。

2月21日 脳血流シンチグラフィー及び脳波測定実施。てんかん波確認される。 内服薬イーケプラ500ミリグラム、リボトリール0・5ミリグラム開始。この頃から自営業のお店の営業時間を朝8時から夕方17時までとした。義父は認知症。

2月23日 リボトリール0.5ミリグラム×2錠に追加される。すこしずつけいれんは収まっていく。この日、実家の母から珍しく電話が来た。母は2018年9月に脳梗塞で高次脳機能障害となった。そして最愛の夫(私からしたら父)を2019年1月26日に亡くしたばかり。そんな母が私の話を聞いて「もう頑張らなくていい。家族連れて帰っておいで」と言われた。母は何があっても帰ってくるなというような人だったので、それを聞いただけで身体とこころの力が抜けてもっと人の力を借りようと思った。そして私や子どもたちは病棟でおっちゃんに逢うたびいじり倒して帰ってきた。

帰宅するまではへらへら笑って気丈なふりをしているのだが、バスに乗っておっちゃんの今後を思うたび嗚咽していた。

2月25日 この状況に納得が全くいかない私は現状を打破する意味で この病院の医療相談室へ連絡し医療不信があると伝えた。一週間経過しても納得のいく説明はないままであった。この行動を起こしたことで18時に心臓担当の医師B、神経内科医師Cと面談を行い再度説明を受ける。内容は「てんかんの発生機序はわからない。」および「現在、心臓的には問題がない」と言われ主治医は神経内科C医師となった。「心臓に問題がないのなら以前からホルター心電図のストレスを感じて苦痛があるので外してやってほしい。そして、この病棟にいることでストレスを感じているので 神経内科病棟に転棟させてほしい」と依頼するが「転棟は空床がないので今は無理だが空き次第移りましょう。が、この病棟にいる状態だとホルター心電図はルチーンなので外せない。」とよくわからない説明を受ける。

が、この行動は今までの事なかれ主義の私にしてはものすごく頑張ったことだった。きっと以前ならば「仕方ない」で終わらせていたであろう。

でも。何も言わなければ 何も訴えなければ満足していると勘違いされてしまう。それは絶対にできないことだった。そして表面上取り繕った感情は肚の中で腐敗するのをしっているから今回はそうしたくなかった。なので正直噛みついた。病院としては多分うるさくてめんどくさい人に当たったと思われただろう。でも、、現実私は家族を護るためならいくらだってめんどくさくてうるさいおばさんになる。おっちゃんのこともひたすら尻を叩いていろいろはっぱかける。それがおっちゃんのためになると思ったから。

この時義父はおっちゃんのことをひたすら「早く退院させろ。仕事させろ。商売しないでどうするのだ」と言っていた。ひたすらうざかったのだが義父は義父の生き方がこうだったんだなと思うとそうね。とだけ言って放置した。

この時おっちゃんに対して思っていたこと。「たとえおじぞうさんのようになっていても おじさんは優しいおじさんでありやってくる子どもたちが大好きならばそれでいいじゃないか」ということ。

この時点でADL(日常生活動作)は自立しておらず。右側にマヒがあった。食事介助も必要だった。

リハビリも開始されたが1時間程度のもので効果のほどは疑問だった。

続く。



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