おっちゃんと高次脳機能障害 入院編4

2019年2月28日 おっちゃんはこのころ自分の今の立ち位置を嘆いていた。そしてどうしてこうなったのか?を知りたがっていた。でも、主治医からは同じ説明だけだし、心を添わせてくれる医療従事者も不在だった。そんな状況でおっちゃんがデイルームで私にポツンとつぶやいた言葉。

「こんなはずじゃなかった。」

この言葉に私は射抜かれた。悔しかった。おっちゃんは単純に元気になるために入院して手術しただけ。元気になって私にまたこき使われて商売したかっただけ。それが今はマヒのしょうがいがある。

そこで食後の薬を持ってきたこの方は話を聴いてくれそうと感じていた看護師さんに夫が抱く今の想い

「こんなはずじゃなかった。」

を伝えてみた。そしてその看護師さんから帰ってきた言葉は


「病棟のカウンセラーを紹介しましょうか?」

で、あった。
今の時代の看護ってこうなの?ジェネーションギャップなの?時代の流れはこうなの?分業?なんだろなー。病棟の事故防止に努めていて心が置き去り。話しかけてくれたりはないらしい。そりゃー凹むわなー。看護って何?
医療って何?レアケースですで 片付けて良いもの?腹立つわー。
本人もやっと腹立つ状態になってきたので少し復活したのかもしれないなぁ。とも思いつつやりきれなかった。

このため。私はひそかに心から信頼しておる整体の先生にアポをとり病院で施術していただくことにした。

2019年3月4日 娘の入学準備をおえてから娘と夫の待つ病院へ。病室でやっぱり眠りこけている。一昨日、真っ暗なのに午前10時と言ったり自分の歳を26と言ったり。(いや、私がいつもせぶんちーんと言っているから 真似っこしてるのか?と思ったらガチだった)刺激が少なすぎて こうなっているのだろう。私たちが行く時間は暗い病室から移動させてデイルームで話す。
なんだかなー!!と思うし。虚しいし。明日に少し方向性が見えてくるはず。夫が自分を認め もっと楽に生きられるようにと祈っている。
が。
すべての選択は本人のものだから私は横にいて見護る。
これだけ。人生は自分のもの。一年前の私なら今頃 へこたれていただろう。
でも、遥かに強くなっているのを実感している。これで良いんだなぁ。と感じる。

2019年3月5日 この日ソーシャルワーカーさんと息子も交えて面談。介護申請やリハビリ病院への転院手続きを始めた。

神経内科主治医C先生も交え、その席で「今までの経過で全くすっきりしないと感じていること。むしろ現在見当識障害まで出てきていることをどう捉えているのか?ここに入院していることで症状が悪化しているように思う」と訴えた。おっちゃんの精神的な落ち込みについても伝えた。

2019年3月9日 内密に出張施術を整体のY先生に依頼した。Y先生の施術は体の一部分に触れるだけで改善するものなのでデイルームでも十分施術可能なのである。効果のほどは私が身をもって知っていたからおっちゃんにも効果があるのはわかっていた。そしてわずか15分ほどの施術で自分の意図するところへ腕を持っていけるようになった。そしておっちゃんが言った言葉は

「こんなになるとは思わなかった」(こんな風に回復できるとは思ってなかったという意味)これには泣けた。人の可能性を信じてひたすらそばにいること。そして回復する手段を知っているならこっそりだろうが嫌がられようが私は選んでやっていく。ただ待っているだけではだめだと思った。病棟の対応は相変わらず同じ。寝かせているだけ。そして食事介助という名の見守りは手づかみで食べていても何とも感じないその感性。人手が足りなくなると?ペッパー君に対応させる。「はぁ?」である。ここに看護者としてのプライドを見つけることは出来なかった。ただただ、ひたすら早く退院させたいと念じていた。

看護の質の悪さのことを上げれば枚挙にいとわないが一番我慢ならなかったのが「おむつ」だった。歩行がしっかりしていなかったのでトイレまでの誘導や介助が必要ではあったが トイレを失敗することはなかった。でも、ある時から突然おむつになっていた。これにも私は噛みついたのだがおむつを外すことはなかったのである。

「あほちゃう?」

この一言である。人の尊厳をどう思っているのか?手づかみでご飯を食べさせ、排泄はおむつにし、コミュニケーションはペッパー君。この経験から私は今でもペッパー君を目にするたび殺意を覚えてしまうのだ。

まぁだまだつづいちゃう♪

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