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不思議なお盆の昔話

私が小学生だった頃のお話です。

お盆の中日に突然、家に訪ねてきた人がいました。
私は居間にいましたが玄関で男の人と母が言い争っているような声が聞こえました。

どうやら、そのお客は祖父母の養子で戸籍上は母の義兄に当たる人、平たく言えば私の伯父でした。

伯父さんは、若い頃頭が良く英語力をかわれて戦後は米軍基地に出入りして通訳やガイドとして働いていたそうです。
しかし、エリートで裕福だった筈の伯父さんはいつからか酒に溺れて借金をこさえて、飲むたびに大暴れで警察を呼ぶほど。

そのうちに、父親が亡くなりお金もなくなり母親だった私の祖母に酒を飲んでは金をせびりに来るという繰り返し。最終的には親戚中から見放されてしまった人でした。
そして母は祖母が亡くなったのは、伯父のせいだと信じるしかなかったようです。

何故ならば、祖母が亡くなった状況というのを当時の祖母の家にいたお手伝いさんに聞いたから。

それは、叔父が大暴れして祖母に自分が病気になったのは祖母のせいだと大声で罵りながら金を出せと大暴れした。そして、その直後、炬燵に突っ伏して「ああーああー!なんてことー」と泣き崩れそのまま逝ってしまったということでした。

駆けつけた医師によると死因は「急性心不全」。
母親は色々な話を周りから聞いて祖母が亡くなった原因は伯父の大暴れしたことによるショック死で、伯父が祖母を殺したような者であると思うしかなかったようです。

その後、お隣さんで伯父さんと親しくしていたおじさんの世話で精神科にも通ったらしいけど結局は治らず当時からずっと精神科病院に入院していたと私が大人になってから知りあいから聞かされました。

と、そういう事情があり母にしてみれば一番会いたくない相手だった伯父さんがお盆の中日にお線香をあげたいと訪ねてきた。けれども、母としては自分の母親を殺した伯父さんに祖母の位牌にお参りして欲しくないと玄関口で揉めていたのです。

30分ほど玄関口で話し合いをして結局は、近所の手前もあったし、今日のお参りを最後に二度と家には来ないで欲しいとのことで伯父は家に入ることを許されたようでした。

私は、母の後からゆっくりとした足取りで居間に近づいて来る伯父さんをぼんやりと眺めていました。

とその時です。
風もないのに伯父さんが一歩居間に入ったらお仏壇のろうそくの火と提灯の火が同時に
「フッ!」と消えたのでした。

それを見た母が伯父さんに向かって
「ほら、母さんがいなくなったじゃない。せっかくお盆で帰って来てたのに」
と泣きながら言いました。
そして、伯父さんは淡々とろうそくの火をつけて、お線香をあげて祈っていました。

そして、母は伯父のことは不憫だとは思うが親戚づきあいをすることはできないこと、くれぐれも今日を最後に家には来ないで欲しいことを泣きながら告げて伯父さんを見送り、そのすぐ後に玄関に塩を大きく撒きました。

伯父さんは数年後に病院で亡くなったらしいです。
伯父さんが現代に生きていたら病気の治療のしようももっとあったと思うし、祖母は73歳で突然死で亡くなることもなかったのかもと思いました。

母曰く伯父さんは我儘で調子の良い人だったのであわよくば母と親戚づきあいを復活して身元引き受け人になってもらって退院したかったんだとのこと。
どうしてかと言うと祖母の墓に行けばいいのにわざわざ家に来たというのがその証拠とのことでした。

祖母は、祖母の魂は、あのお盆の日に本当に我が家にいて伯父さんが来たのが嫌でどこかに行ってしまったのか?
私は、祖母が嫌がっていたのではなくただどうしていいか分からず、いなくなったのではないかと想像しました。

戦後に米軍で通訳やガイドとして働いていたおかげで当時は民間では手に入らない食糧を親戚中に配ったというやさしいところもあった伯父さん。
だが、その一方で酒を飲むたびに暴力を振るい皆んなを傷つけた伯父さん。どちらも同じ伯父さん。
やっぱり切ないー
私はこの時期が来ると心の中で手を合わせるだけだ...

お盆に纏わる不思議な話でした。
最後までお読み頂きありがとうございます。

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