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「大きな目的意識について」

大きな目的意識を持つことで、自分の軸が定まってぶれない。最近,そんなことを考えています。

大きな目的意識とは、自分を超えた、人や地域のために貢献したいという思い。たとえば、SNSなどで「何のためにその投稿をしていますか?」と聞かれたら、皆さんはどのように答えるのだろう...。

最近、SNSで何かと炎上して、互いに良いことを発信していたのに、はたで見ていると段々足の引っ張り合いのようになっている。(はっきりと言わせてもらうと旧twetter 現X上のことです)

また、ずいぶん前の話で恐縮ですが、こんなことがありました。

小児特有の精神障害と思われていた発達障害が、大人になっても障害が残っていて、生きづらさを抱えているということが世間で認識し始めた頃のことです。

生きづらさに翻弄されている方達を助けたいと成人の精神障害専門クリニックをオープンされた1人のドクターがいた。そのドクターは間もなくSNSでイジメにあった。『その障害のことは小児を診ていない者にはわかるはずがない』等の誹謗中傷的を手紙やメールSNS上で嫌がらせを受けた。それに便乗した目的不明のイジメにもあわれた。それから長い間そのドクターはドクター達から側で見たら確実にイジメを受けていました。そして結果としてそのドクターは体調を崩しました。

そのドクターは大変優秀な方でしたが、残念なことには最終的にはストレスで仕事ができなくなってクリニックを閉じられました。

そのドクターは辛い思いをしている患者さんや一般の人々の助けをしたかったのでした。ただ、それだけだったのにイジメにあってクリニックを閉じるところまで追い詰められてしまいました。

大変残念な出来事であるし、救われたかもしれない人々がその機会を奪われた、そんな出来事だったと思っています。
もちろん、その後良い医療や相談場所に繋がってはいると思いたいですが...。

最近、SNSにおいても、目的は「悩んでいる人や精神疾患の患者さんが、生きやすくなって欲しい」と願っている人たち同士が、結果として足の引っ張り合いをしていることの多さに驚きます。きっと歪みあっている人達はストレスも多く余裕もないのかもしれません。

その仕事を選んだのは歪み合うためだったのか?

このような場面で「大きな目的意識」を考えて頂きたいです。

[何のための発信]なのか?炎上が目的でも相手をやり込めたいわけでもないと思う。(だとしたらすいません)

また、日常の仕事や生活の場での行動も「大きな目的意識」を意識して動くと良い活動につながるのではないだろうか?

このように思うことで、うまくいかないことや、ネガティブなことがあり、落ち込んだとしても、「この大きな目的のために頑張ろう」と立ち直りやすかったり、仕事上にせよボランティアにせよ、個人的なことにせよ、どうしたらいいか迷った時に目的に沿った選択ができると思います。

他にも大きな目的意識を持つことのメリットはあります。炎上しているとある専門職の方々今一度考えてみてほしい。

専門職の人、そうでない大人達には若者たちにお手本を示すことのできる存在であって欲しい。

もしかするとその歪みあっているその専門職の方たちは仲良く助け合う。というお手本を見る機会がないまま大人になったのか,はたまたアカデミックな世界において、歪みあったり,足の引っ張り合いをせよと暗黙のメッセージが諸先輩方の一部の方々に届けられたのかもしれません。
歪み合い、マウントの取り合い、悔しさの捌け口、欲求不満、自分で気づけていない投影同一視。危険です。

「より多くの人に貢献する」といった目的意識を持つことで、人が共感し、周囲の人が応援してくれたり、人が力を貸してくれやすくなるかもしれません。

「自分の機嫌は自分で取れ」という言葉が流行っていたことがありますが「自分のストレスは自分で気づいて対処せよ」と炎上していた、いる専門職の方達に伝えたいです。

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