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これってネグレクト?


もしnoteに書くネタがなくて困っている人がいたら、羨ましがられるかもしれないけど、
ネタに困ることは一生ないんじゃないかというくらい、私の頭には書きたいことが次から次へと浮かんでくる。

あまりにもどんどん出てくるから、何から書いたらいいか分からなくなり、前回の投稿からだいぶ経ってしまった!

まぁ、いっか。
あまり難しく考えず、今回は私の母のことを思うままにと書いていこう。

私の母は、私が子供の頃、生命保険の会社でバリバリ働いていた。  

母はいつも異常なまでにイライラしていて、
怖くて下手に話しかけられない程だった。

小6のある日、2つ下の妹と床に座って両足をバタバタさせてお互いを軽く蹴り合う遊び?突っつき合う?
今思えば、小学校高学年の姉妹が何やってたん!?( ゚д゚)って感じだが、スカートで遊んでいたら、妹が「お姉ちゃん、パンツに血がついてるよ!」と言った。

その時、母も近くにいたので、パッと顔を見たら、少し困ったような表情をしていて何も言わなかった。
その後もいっさい私の生理に触れることはなく、私からも生理が始まったことを報告することはなかった。

小学校の何年生だったか、女子だけ体育館に集められ、生理について教えてもらう時間があったし、本で読んで事前に生理の知識はあったから、「あぁ来たのね」って感じで冷静だった。

母の生理用品がトイレに置いてあったが、勝手に使ったら怒られると怯えていたのか、その辺りの記憶は曖昧だが、中学生になると近くの薬局へ行き、自分のお小遣いで生理用品を買っていたのを覚えている。

我が家の近所には、まだコンビニとかドラッグストアがなかったから、家の近くの古びた暗い薬局で買っていた。
中学生が1人で生理用品を買いに行くのは、なかなか勇気のいることだった。

制服をクリーニングに出すことも、親に言われたわけではなく、自分でいつもやっていた。

母は仕事をしていたが、私より早く起きていることはなかった。
朝食は自分でパンをトーストして食べていたし、お弁当が必要な日は卵焼きを焼いたりして自分で作っていた。

小学生の頃、遠足でお弁当の蓋を開けると、おかずコーナーには、ハムのような物しか入ってなくて、量も少なくスカスカで、恥ずかし過ぎて、友達に見られないようにお弁当箱の蓋で隠しながら食べた苦い思い出がある。

周りの友達のお弁当は、可愛いくて、ほんとうに羨ましかった。
でも母に「どうしてもっと可愛いお弁当を作ってくれなかったの?」と言わなかった。

こうして過去を振り返っていくと、
私は、思春期という最も多感な時期を、いつも不機嫌な母に怯えながら過ごしていた。
そして、無意識のうちに自分のほんとうの気持ちや、欲に蓋をしてしまう癖をつけてしまっていたのかもしれない。

私の母は近年聞くようになった「毒親」というやつだったのか?と思うことはあったが
これを書いてるうちに、これってもしかして軽い育児放棄?と思い

ネグレクトの定義について調べると、

子どもが生きていくため、成長するために最低限必要なものや環境を与えないことを指していると言えるでしょう。

と書いてあった。

もちろん、世の中にはもっと酷いネグレクトを受けた人はいくらでもいるだろう。
私は高校までは行かせてもらえたし、多くはないが、お小遣いも貰っていたし、飢餓で苦しんだことはない。

でもこれって人と比べてどうこうじゃない。

私にとっては、精神的苦痛だったのだから。

母は私が高校生になる頃には、精神病院に入院するほど心を病んでいた。
相当なストレスを抱え込みながら、無理をして働いていたのだろう。
大人になった今なら、母もすごく苦しんでいたんだろうと思える。

母は心を病む以前から、もともと家事が苦手で、
料理、掃除、片付けがまともにできなかった。
小4の時に古い借家から、新築のマンションに引っ越したが、みるみるうちにリビングやダイニングはモノで溢れ、散らかり放題、汚れていった。

そういう環境で育ったからこそ、
自分が母になった今は
忙しくても

家は、人を呼べるくらいの綺麗さは保ちたい。

ごはんはなるべくちゃんと作りたい。

もちろん、疲れていたり、仕事に追われて
できない時もたくさんあるし
完璧とはほど遠い生活なのだが、
私はちゃんとしなきゃという思いがとても強く

できないくせに完璧主義な自分が
自分を責めてしまう所がある。

そんな私に夫は「十分いい母親だよ」と言ってくれる。
保育士さんからも、「ちゃんと話を聞いてあげていて、よいお母さんですね」と言ってもらったり、友達からも「いいママだね!」と言われたりするけど

謙遜とかじゃなく、

え、そうなの?って感じだった。

せっかく褒めてもらったのに、そんなの、どうせお世辞でしょと思ったりしてしまっていた。
🤦‍♀️

この自信のなさはどこから!?(ベンザブロックのトーンで)

人はそんな急に自信持ったりできない。
急には変われないけど、
私は、もっと自分で自分を信じてあげてもいいのかもしれないな。

急に壮大すぎる話になるが、
人類だって

殺し合いの時代や
みんな同じがいいとされた時代を経て(人類の歴史、あまりにザックリすぎやしませんか?)

令和になり、やっと

個性を尊重する
多様性を認める
物質主義から
精神的な時代へと

やっと、少しずつ
長い長い歴史を経て変わってきたのだ。

それなのに、こんなちっぽけな私ごときが、
数日間とか数年間で
そんな簡単に変われるわけがない!!

そんな簡単に人が変われるなら、
なぜ
自己啓発本や
YouTubeやXやnoteで
◯◯する◯◯の法則みたいなの山ほど出てくるの?

ダイエットだってそうだ!
食べる量を減らして運動すればいいって
頭では分かってても
そうは簡単にはいかないのが人間だ!

だから、そんなに焦らなくていいのだよ。

と自分に言いたい。
何度でも何度でも自分に言い聞かせていけばいい!

こうして過去を振り返って書いていると、段々つらくなってきたり、
こんな暗い自分語り、長々とわざわざ時間作ってnoteに書く意味あるのかなと思ったりしたけど

ちゃんと意味があった。

いま、久々に清々しい気分!

まだまだ書きたいことは山ほどある!
どんどん書いて人生の棚卸し、整理をしていこう✨✨










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