楽しい隠遁生活~泉屋博古館東京~
少し前になってしまうのだけれど、泉屋博古館東京で行われている「楽しい隠遁生活」を観てきた。
美術展に行くときは、展示を観たくて行くときと、美術館に行きたくて行くときとがある。
もちろんその両方が重なるのが一番よいのだが、どちらか一方のことも多い。
今回は、もともと気になっていたのだが、なかなかそういう機会もないままに、改装にはいってしまったのが再開。そしてこの美術館のカフェがすごくいいという記事を読んで、来ることにした。
六本木一丁目の駅の改札を出ると目の前が泉ガーデン。緑の中に作られた、エスカレーターを使って、どんどん上に進んでいく。エスカレーターの登り口に展覧会のポスターが貼ってある。
4つほど登って、緑の中を数分歩くと、泉屋博古館の入り口となる。
ちなみに知識のなさを披露してしまうのだけれど、ずっと「いずみやはくこかん」だと思い込んでいた。
たぶんクッキーの泉屋のイメージが強かったのだと思う。今回のHPを観て、ようやく気付いた。他人に言う前に気づいてよかった(汗)
館内はひっそりと静か。3つの展示室に数組人がいる程度だが、皆解説含め熱心に見入っている。
展示は山水画と茶器、奇石などが主になるのだが、ほぼガラス越しだった。解説がガラスに貼りこむ形なのは、目が悪いので、すごく助かった。
通常の解説の他に、学芸員さんがつけたのだろうか、「書斎の瞑想」「仙境ミニ」などキャッチコピー?が付されているのが面白かった。
中国の明代のものなど、古いものもあるが、最近のものは令和4年のものもあり、時代を通じて、画家たちが隠遁生活に想いをはせていたことがわかる。
実は個人的には、隠遁生活=孤独のイメージが強かったのだけれど、描かれている絵は、ほとんどのものが、友人と歓談していたり、誰かが訪ねていく様子が描かれていたりしている。
茶器が多く展示されているのが、文人たちの生活に欠かせないものだったからということなのだけれど、それ以上に酒も欠かせないのが描かれている気がする。
酒であろうが茶であろうが、親しい友と、自然の中で時間や人目を気にせず、酌み交わしたら、それはもちろん楽しいにきまっている。
なんだか隠遁というひっそりしたイメージがどんどん変わっていく。
もちろん清廉潔白な人柄と、膨大な知識を備えて、孤独にすごしていた隠遁者や修行に明け暮れた達磨のような隠遁者もいたのだと思うのだけれど、展示された絵を観ていくと、タイトルどおり、なんだか楽し気な感じがしてくるのだ。
そして、極めつけは展示の終りのほうに出てくる「酔客図巻」である。
最初は楽しそうに歓談しているが、どんどん酔っぱらいの醜態図になり、酒甕に頭を突っ込んだり、侍童に止められたり、とさんざんな様子だが、とても楽しそうにみえる。
サブタイトルにある文人たちのマインドフルネスというのは安寧な心理状態と説明されているのだけれど、私からするとやりたいほうだい、というのがぴったりで、なんだか自分も楽しくなってしまった。
自分があと何年働けるのだろうという年齢になってきて、仕事をやめたあとどういう風に時間を過ごすのかというのも考えるようになってきている。
隠遁生活というよりは隠居生活というひっそり、寂しげなイメージだったのだけれど、この展示をみたら、こういう、やりたいほうだいでいいのか、と思えてきた。
まあ、経済的に許す範囲と注釈はつくのだけれど(笑)少なくとも、いろんな忖度はすててもいいのが隠遁生活なのかもしれない。
展示を見終えてなんだか元気になっていた。
私も楽しい=やりたいほうだいの隠遁生活をうかべつつ、もうしばらく、忙しい日々を送ろう。
目指せ、楽しい隠遁生活!
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