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母とのこと


一度、全部書きだしてみたらいい。

友人の記事を見て
思えたこと。


きっかけは、
ある人がうちに訪問してきた時のこと。

事前に来るお知らせが直接ぼくのところへきていて、

僕は別の用事で出かけたかったので、
不在のことは伝えていた。

すると、当日、
出発前に、見送る人を自分も会いたいと
なって、
その場に現れた。

そのわさわさしている空間で、
その人は、

『見せたいものがあるんだけど!』

そういった。

僕は、
『聞いてないよ‼️そんな余裕もない』
色々したいことがあると
別の人から聞いているけど、

【時間あるかな?】と端折って
相手を責めるように伝えた。

先輩から三度、注意を受けた。

3回目、怒りが出てきて、
それが先輩には波動で伝わり、

あなたが怒ってるの伝わるわよ。
そう伝えさせる。

一番したいことを一番させきれない
めちゃくちゃになって、
激落した。


だって…

がいっぱい出てきた。

事前に伝えてくれなかったじゃん
僕はいつもこちらの事情を
ちゃんと伝えているのに、

みんな自分中に勝手に言ってきてるだけなのに

とか怒りが出てくる。

同時に、先輩に怒りを向けたことによって

自分は無価値であるに
久しぶりに急降下。

私なんていらないんだ…

ぁぁぁぁ

これ出たでた

散々、この地に引っ越してから
12年
やり続けていた真っ黒くろすけ。

相手を責めた後、
自分を蔑みまくる。

全て自分がいけないんだ

そんな思考にぐーるぐる。

やべーやつだな。

少しほっとく。

悲しみを涙に変えてその日は眠った。

次の日、残していた自分への
心残りに

どうやったら気づきに変わるだろうか。

そんな風に見つめていたら、

母のことと繋がった。

僕はもはや小学生以下の記憶がほとんどない。

高校2年生で引っ越した家からの記憶しかない。

その頃の記憶には
大きく一つ母の姿。

いつもリビングで、
死にたそうに寝ていること。

ずーっと毎日毎日見ていた。

その悲しみは今も残っていることがわかった。

大人になっても、
正直な話をするほどに

母の口から最後には

『私が死ねばいいんでしょ』

がついてきた。

その衝撃が🫨忘れられてない。
ことがわかった。

そう言わせたのは私のせい。

そうしたのも私のせい

私が生まれたからお母さんはそうなったんだね。

この瞬間、幼児期の叩かれ、
なんでできないのと罵倒され、
理解はなかった記憶に戻る。

そんなことを思い出しながら、

今回の出来事も、
自分のせいだと引き受けて、
完結させるのでは
自分の中の心の声は
Noだった。

そこに気がつくと、

どちらかを成敗しようとしている
自分に気がついた。

そうではなくて、
相手のそうしたいこともそうだったのか。
と受け入れることも、

自分の本音として、
嫌だったこと、

何より母にずーっとずーっと

『私はあなたがとても怖いです』
と言えなかったこと。

言わないにしても、それを思ってよくて、
それを無視して、

お母さんを死なせないように、
心が壊れないように

全て引き受けて、愛される子になろうとしてたことが、

もとより自分ではダメだという前提なんだと
気が付けた。

😢

愛される子になろうとしてきた
辛さが

こんなにやってるのに!
丁寧に伝えてるのは私だけなのに!

そっちは勝手さ

という反応を、
似た表現をする人にして

許せない

になっていた。

ここまでわかった。

すごいすごい。

また後で、読み直そう。

今日はここまで。
まる

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