どうだろうか。

果たして
今日がよかったのか

それは誰にも

むしろ
一人一人の中にしか答えはないことだのに。

悩んで傷ついた気がして
戸惑って
落ち込んで

それで良かったか

なんて

おこがましいのかもしれない。

素人が、
素人なりに

やろうとしていることを

今日やれたことを

やれたとまずは認めてあげよう。


人をみて
悔しいと思ったことは
鏡として

自分はどうしたのか
させてあげられたのか

それをみたい。

悔しさの奥にある
悲しいキモチ

覚悟のない世界に

気づけない空気感への
悲しさ

寂しさ。

それも学び、
かんしゃをこめて。

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