「便利」

便利な現代。

日々、とんでもない早さで生活が便利になっている。

便利になる自体はとても良いことだと思う。

時間に追われていた生活から、解放されたりするし。

自分の時間を有効活用することができたりする。

でも、最近、いや、もっと以前からか。

僕は日々、違和感を持っている。

何に対してなのだろうか。

きっと、「便利」の陰で失われてしまいつつ

ある部分に対してだと思っている。

つまりは「不便」の部分

例を挙げてみる。

キャッシュレス決済。

今から述べることは、実際に今日体験したことだ。

僕は本を購入するために本屋へ行った。

本を手に取り、そのままレジへ。

今流行りのpaypayに少しだけ残金があったため、

使い切ろうと思い、QRコードを提示した。

(この残金は500円分配布キャンペーンの残り)

しかし、利用することができなかった。

なぜか、ただ単に残金が少なすぎたからだ。

その後、結局現金で支払った。

一連の流れの中で、店員さんと会話をすることがあった。

「残金足りませんね〜、ははは」。

きっと、これは会話にもなっていないかもしれない。

(僕の中では一回でもやり取りしたらそれは会話)

些細な言動だったかもしれないけど、

書店での一連の流れは、

僕と言う存在を確かにそこに存在させた。

自分とは何か?を問い、考える機会は数少ない。

なぜか。

考えなくても、生き延びられるから。

でも、そうじゃないだろと。

便利になりすぎつつある現代で、承認欲求を

デジタルの世界でしか満たせない人が多く見受けられる。

自分とは何か?

不便は様々な感情を生み出す。

その感情の中で人間は成長をしていくのではないだろうか。

便利は当たり前の概念を大きく変化させる。

コンビニを例に挙げる。

現代にコンビニは欠かせないものとなった。

しかし、店長さん、物を運んで来てくれる人など

たくさんの人がいてコンビニが初めて成り立つ。

コンビニがあって当たり前だと思わないでほしい。

便利になることは何かが、もしくは誰かが犠牲に

なっていることと表裏一体であることに気づいてほしい。

全部が全部そうとは限らないが、

その視点を持っておくことは人や物に対して

感謝することに繋がることだと思っている。

便利な世の中になって、私達は感謝することを

ついつい忘れてしまいがちだ。

だから、どうか1人でも多くの人に感謝の気持ち、

思いを、持っていただきたい。

相手に感謝の気持ちを持てば、心が満たされる。

そして生きている実感を得ることができる。

そこで初めて、自分が存在することを覚えていてほしい。

不便で満たそう、承認欲求。

(なんだか、スローガンみたいだ)

『成功するために必要なのはお金ではなく「志」を持つこと」
 人の本音は、「売るもの」ではなく「買うもの」に現れる』

                     元ZOZO社長 前澤優作

それでは。

ふじを






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