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恋をする

クリスマスが過ぎ、新年も終わり。

以前はスノーマンがこの時期の飾り物に出ていたけれど。全てシーズンものは先取りの傾向があるせいか、バレンタイン商品は店に並んでいるし、家の飾りつけも、「バレンタイン」モチーフがちらほら見えてきた先週。

子供ができてから、バレンタインはお母さんにとっては「エクストラ」の仕事。クラスメート全員にカードを書く、お菓子を買って付ける。の作業がある。それも「〇〇のアレルギーがある子がいるので、これは避けてください」の注意書き付きのお手紙という名の指示書が学校からやってくる。

とはいえ、子供も大きくなり、指示書も来なくなった。笑

そうバレンタインは仕事なのだ。もともとロマンチックな要素が日本よりも低いような気がする。けれど、愛にあふれるカップルはそのカップルらしい過ごし方をしている。

残念ながら、私には甘い思い出は一つも、ない。この国では。

そんなことを思っていたある日。ヤフーニュースで有村架純の出ている映画の話が目に留まった。

「花束みたいな恋をした」

そのニュースに出ていた写真がなんかふと、心の奥がきゅっとなるような、可愛らしい写真だった。

確か相手役の菅田将暉が彼女の髪を乾かしてあげているような写真。

気になって映画のトレーラーを見ると。まさに心が温かくなるそして笑顔になる可愛い二人がいた。

最後は別れる結末を迎えるようだけれど、これが「恋をする」という事だよなあ、と思った。始まりと終わりがある恋。

若いからできる、「恋をする」ということ。誰かが昔トーク番組で、「若い人たちには沢山恋をしてほしい」と言っていた人がいるけれど、私も、強く思う!笑

恋をすると、人生が華やぐし、失恋をすると、人生を学ぶ。

私はそんなに甘い恋愛というものには恵まれることはなかった。

けれど、バレンタインで思い出した。一つの恋。

高校を卒業する年、進学で上京が決まっていた私は、その「どさくさ」に紛れて、告白をすることにした。ダメもと、というやつだ。そう、私は勇気のない子だった。振られたら、颯爽と故郷を去ろう。もしOKされて付き合うことができたら、シメタ!という作戦だ。

相手はアルバイト先の同学年の男の子だった。私の通う高校の近所の高校に通う男の子だった。

昔から料理が苦手な私が行きついたのは、チョコレートムースを作って渡すこと。それプラス、オフホワイトのセーター(手編み)。なんとも今となっては重苦しい、ギフトではあるけれど、あの時の必死さを思い出すと、笑いがこみあげてくる。と同時に、あの時にかけた自分の思いは本当に一途なものだったなあ、と思ったりもするのだ。

彼からの返答はOKだった。それが遠距離恋愛の始まりだった。携帯もパソコンもインターネットもまだない時代。友達と上京して進学した私。地元の専門学校に通い始めた彼。連絡ツールは手紙か、私が近所の公衆電話から、掛ける電話だけだった。ルームメートも遠距離恋愛中で、二人でいそいそテレフォンカードを手に、近所の公衆電話に通ったあの日。

そんなある日、突然私たちのアパートに花束が届いた。

カードが添えられて、「ハナの声が聞きたい」の一言。

カードの中身にはテレフォンカードが入っていた。あの時の喜びは今でも覚えている。と同時に会えない切なさが本当につらかった。

しかし私と彼の間には温度差があった。新しいことが連続の毎日の自分。専門学校に通う以外は自宅から通い、昔の友達と遊ぶ彼には、大きな違いがあったのだ。彼は私が思う以上に、私の存在を大きく感じていてくれていたのだ。一方私は、新しい街で、アルバイトも始め、新しい友達と出会い、「新しい生活」があったのだ。

今でも覚えている、別れを告げられた10月。ほんの8か月余りの遠距離恋愛。夏休みは毎日のように、一緒だった。帰るのがつらかったけれど、お正月には会えるね、と新幹線のホームで別れた、あの時。彼はもう、決めていたのかもしれない。新幹線のドアが閉まる向こうで、彼はぎゅっと口をつぐんでいたのだ。

別れる頃には家にも電話が付いていたけれど。

「会いたいときに会えないのは本当につらいんだ。もうこんな思いはしたくない。別れよう」

言葉が出なかった。

でも、涙が出てきて止まらなかった。私だって同じだと思った。でも、短大を辞めてまで地元には戻ることはできない。私には現実があった。そして私は現実をとり、彼の意見を尊重した。

電話を切ってから、今日まで、彼に会うことも、噂を聞くこともなかった。

振られてから数か月、私はただただ、悲しかった。すべての景色がグレーに見えて。彼がかけてきた決まった曜日と時間には電話もなることもなくなった。講義にでて、アルバイトももっと忙しいものに変え、仕事か、講義か、そして友達と映画を見に行くか。隙間を埋めるかのように、過ごしていた日々。

あれは確かに「恋をした」んだなあ、と改めて思う。切なくて、甘くて。という典型的な。

花束をもらった時のあの嬉しい気持ち。彼とやっとなはせるとわくわくしてルームメートと夜に出かけた公衆電話。新幹線のホームでの彼との再会はこの上な喜びだった。全てが恋だった。

過ぎ去ったことだから、美しくなっていることもわかる。でも、やっぱり甘くて切なくて、そして可愛い思い出だったと、自分でも思う。

彼は何をしているだろう。きっと家族がいるだろうし、子供もいるだろう。優しくて照れ屋で、人を大事にする人だった彼。

彼の心にも「恋」として残っているかな。

彼にしかわからないことだな、これは。

忙しい日々の中で、忘れていた思い。「恋をする」「人を好きになる」ということ。

今更ながら思う。あ~、もっと恋をしておけばよかった、って。

そのくらい素敵なものだ「恋をすること」そして「人を好きになること」

久々にバレンタインのチョコレートケーキでも焼いてみようか。子供がきっと喜ぶかも。それが今の私の人生。

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