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「大阪コリアタウン歴史資料館」と「いくのパーク」に生野育ちの在日コリアンである父と行ってきた話📚

こんにちは。

この連休は、卒業式ぶりに大阪の実家に帰っていました。

祖母のつくるチヂミに、父のつくるトック、コリアタウンで買ってきたむし豚(ポッサム)などを食べて「ああ、大阪に帰ってきた〜!幸せだ!」と感じつつ。

そんな幸せを噛み締めながら、なぜ私は大阪に帰ってきたのに韓国料理を食べて大阪を感じているのだろうと自分でも笑ってしまったりして。

やっぱり自分の生まれ育った環境って変わっていると言うか、不思議なのだと感じるなどしました。

やっぱり祖母の作るチヂミが
私にとっては世界で1番美味しい。


さて、この連休の間に、父と生野のコリアタウンに行く機会があったのですが、その際に勇気を出して父に「大阪コリアタウン歴史資料館」に行きたいと誘ってみました。

「大阪コリアタウン歴史資料館」はその名の通りコリアタウン、そしてコリアタウンを作り上げてきた生野の在日コリアンたちの歩みを伝えるために設立された場所で、4月29日にオープンしたばかりのできたてほやほやの施設です。

御幸森商店街、いわゆる「コリアタウン」の中に位置していて、それはまさに私の父が生まれ育った場所なのでした。

メインストリートから細い道に入ったところにある。


父が「別にいいよ」と言ってくれたので、父と親子2人で訪れることに。

入館料は大人300円だったので、私が600円出して中に入りました。

私たちが行ったのがゴールデンウィーク中だったこともあるかとは思いますが、思っていた以上に中に沢山の人がいて、なんだか嬉しい気持ちになりました。

展示は写真を中心とした資料がメインで、中にはこんなに貴重な資料よく残っていたな…と思うようなものまで。

昔のコリアタウンの写真がいっぱい展示されていて、父は「うわぁ〜懐かしいわぁ。こんなんやった、こんなんやった。」と言いながら食らいつくように展示を見ていました。

本当にすごく懐かしかったようで、色んな写真を撮っては兄弟にLINEで報告していました。

そんな父の様子を見て、なんだか私まで嬉しくなって、勇気を出して誘った甲斐があったなと思いました。

父は懐かしい写真を見ながら、昔は祖母の家の1階部分がサンダルの工場になっていたとか、曽祖母がコリアタウンの中のあそこの飲食店で働いていたとか、初めて聞く話を色々と教えてくれました。

やっぱりまだまだ自分の家族やルーツについて知らない部分がたくさんあるのだと再確認し、もっと自分について、家族について知りたいという想いが生まれました。

展示を見ていく中で特に印象深かったのは、「韓国文化」を紹介しているのではなく、あくまでも「在日コリアンの文化」を紹介しているという点でした。

大阪・生野の在日コリアンは大多数が済州島にルーツを持っていて、その数は90%にも及ぶとも言われています。

そのため、大阪の在日コリアンが使う韓国語は済州島のサトゥリ(方言)であることも多く、済州島出身でない韓国人に話しても伝わらない単語もたくさんあります。

特にそれが顕著なのが料理の名前(そもそも陸地と済州島では食文化も違う)なのですが、その点についてもきちんと説明されていて素晴らしいなと感じました。


<TMI>
・저배기(チョベギ)
韓国には"수제비(スジェビ)"というすいとんのような料理があるのですが、済州島ではそれを"저배기(チョベギ)"と呼びます。父が幼かった頃は、曽祖母がよく作って食べさせてくれていたそうです。

・수애(スエ)
韓国ソーセージとも呼ばれる“순대(スンデ)"。豚の血や米、春雨等を腸詰したものですが、これも済州島では"수애(スエ)"と呼ばれており、名前が違います。厳密には名前のみならず中身も違うそうですが、コリアタウンでは「スンデ」ではなく「スエ」と書かれて売られており、父はここ最近まで「スンデ」という単語を知りませんでした。(私が教えました)



建物自体は大きいものではないですが、奥には大量の図書もあり、プライスレスである貴重な資料があれだけたくさん置いてあることを思えば、300円は安いと思います。

また、基本的に資料は寄贈されたものを展示しているようで、今後もどんどん展示資料が増えていくかもとのことだったので、また期間を空けて再訪したいなと思いました。

さらに、横には済州島を意識した"Olle"というカフェまで併設されていて、すごく素敵な空間でした。


私のnoteを読んでくださっているみなさんにもぜひ一度足を運んでいただきたい施設です😌



さて、この資料館を見終わった後、父と私が2人とも望んで行きたいと言った場所がありました。

それが「いくのパーク」です。

2021年に閉校してしまった「御幸森小学校」の廃校舎を新しい姿に生まれ変わらせたのがこの「いくのパーク」なのですが、この小学校、なんと父の母校なのです。

素敵に生まれ変わった小学校。
外観から素敵!

数十年ぶりに学校の中に足を踏み入れる父は、とても嬉しそうで懐かしそうな目をしていました。

この施設は「多文化共生の新しい拠点」というモットーを掲げていて、韓国のみならず色々な国の文化を楽しめる施設になっています。

学校の校舎であることを活用して、エモい雰囲気の喫茶店があったり、子供も大人も楽しめる図書室があったり、体育館で遊べるようになっていたりと凄く上手に空間を活用されていました。

試しに図書室に入ってみたら、なんと父が小学生の頃に読んで(読まされて)すごく記憶に残っているという「ユンボギの日記」という本が健在で…!

しかもその棚のところには「御幸森小学校の先生方が大切に残したいと仰っていた本」だと書かれていて。

言葉にうまく表せませんが、なんと素敵な再会なのだろうと思いました。

内容は覚えていないものの、
このタイトルとすごく悲しい話だったという
記憶が今も鮮明だそう。

父によると、この学校は日本の公立の学校ですが、地域がらやはり在日コリアンの生徒が多数を占めていたそうで、「日本人がマイノリティだった」と言っていました。

そんなこともあって、図書室にはとても興味をそそられる在日コリアンに関する本がたくさん置いてあったので、次はぜひゆっくりと過ごしたいなと思いました。

校庭には、色々な国の出店があって(もしかするとオープンイベントだったのかも)、料理やアートなどが売られていました。

ステージもあって、お祭りのようだった。


その中で私が買ったのは、やはり済州島に関わるもの。

済州島のご当地水、삼다수(サムダス)です。

1本100円で売っていたので、丁度喉も乾いていたし買ってしまいました。


今回初めて日本で삼다수が売られているのを見ましたが、漢字にするとこんな字なのですね。初めて知りました。

ちなみに売っていたおじいさんが、私がお水を買った時ににこにこ〜とするだけで言葉を発さなかったので“혹시 한국 분이세요?(もしかして韓国の方ですか?)"と韓国語で話しかけると、「そうなんです!済州島から来たんですよ!」と答えてくださって、少しだけ韓国語でお話しました。

私が生まれ育ったのは大阪ですが、とはいえやはり済州島の人と出会うとなんだか嬉しい気持ちになります。

またはやく済州島に行きたいな。



というわけで、今回は生野育ちの在日コリアン3世である父とのエピソードを少し書いてみました。

私は父とかなり仲が良い方で、この歳になっても2人でお出かけすることもよくありますが、それでもまだまだ父の知らない部分はたくさんあります。

これからもずっと仲良くしていきたいですし、父の話もたくさん聞いて行けたら良いなと思っています。

最後までご覧いただきありがとうございました😌

おばあちゃんと済州島に行きたい!