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ハッピーファーストインタビュー#3 宇野将史さん ラグビー選手▶頸椎損傷、リハビリと車椅子。。。そして「自分がどう生きて行きたいか」を考え大企業から保険の営業マンになるまで。

ハッピーファーストインタビュー。今回はHappyFirstCollegeにお友達の紹介で1期から入って下さっている宇野将史さん。もともとラグビー界でも注目さる選手の1人だった宇野さんは大学3年生の時、ラグビーの試合で「頸椎損傷」というケガでラグビーができなくなってしまいます。そんな宇野さんは今、ソニー生命で保険の営業マンとして活躍中です。今に至るまでの、壮絶で貴重なお話を聞かせて頂きました。たくさんの方に読んでもらえると嬉しいです。

①ラグビーとの出会い

(宇野さん、こんにちは!今日はよろしくお願いします。)

何にも用意してきてないですけど大丈夫ですか?よろしくお願いします。

(笑)大丈夫です!宇野さんは高校時代は全国で4位になるぐらい強い高校で、ラグビー部のキャプテンをされていたと聞きました。ラグビーは小さい頃からされていたんですか?

小1のころからラグビーをしていました。でも、練習が辛くて・・・。中学になったら辞めてやる!って思って中学は柔道部に入りました。
でもラグビーも人数が少なかったので完全には辞められなくて試合の時だけ行くっていう感じでしたね。小6の時にサッカーの日韓ワールドカップをみて、影響を受けやすいんで、もろ影響を受けて1年だけサッカーをやったりもしました。中学に行ったらサッカー部って言ってたんですけど、ふたを開けたらラグビーでもサッカーでもなく、柔道っていう(笑)。後、野球もやってましたね。とりあえずやってみようっていう感じで。

身体を動かすことが好きなんですね。高校はどうやって決めたのですか?

中学3年生の時に真剣に進路を考えた時に、柔道だと小さい頃からやっている人になかなか、勝てないなっていうのがあって。県大会まではいけたりしていたんですけど。。。ラグビーだと、身体が大きかったっていうのものあって、注目もしてもらっていて。オール兵庫っていう県の選抜チームがあるんですけどそれに声がかかったのものあって、それで中学3年の時にラグビーに戻りました。自分はラグビーの方が全国を狙えるのかなって。

選抜チームでは全国大会に出たんですけど、その時に全国3位になったっていうものあっていくつか声をかけて頂いて高校はラグビーで選びました。

全国大会で大阪にすごく悔しい負け方をして、大阪に勝ちたい。大阪に勝って全国一位になりたい、っていうのがあって、大阪の高校は選ばず、京都の高校を選びました。

②兵庫県から京都に通う。全国ベスト4になるまで。

お家は兵庫県ですよね?

はい。兵庫県の西宮というところで。大阪の方が近いんですけど、大阪に勝ちたいなっていう思いが強くて。それで京都にしました。兵庫県だと、レベル的に日本一は難しいかなっていうのがあって。京都の方が日本一を狙えるなっていうのも思って。声をかけてもらったのもあって、京都成章高校にラグビーで進学しました。

強豪校ですよね!高校時代はラグビー一筋だったのですか?

ラグビー以外していなかったですね。朝も早かったし。家に帰るのも夜12時頃でした。

なんでそんなに頑張れたんですか?大阪に負けたのが悔しかったからですか?

最初はそうだったんですけど・・・。先ほどもお伝えした通り、僕は兵庫県出身で、兵庫県にも報徳学園っていうラグビーの競合校っていうのがあって。全国大会の常連でもあるんですけど。そこは家からめちゃくちゃ近いんですね。歩いて5分ぐらい。そこに行かずに京都まで行ったんですね。京都まで行ったからには結果を出すぞ、って。それで頑張れたかなって思います。

すごいですね!決めたらやるっていう思いが。。。高校時代はキャプテンだったと聞きました。キャプテンに選ばれた時はどんな感じでしたか?

部員は1~3年生まで合わせて70人ぐらいいたんですけど、何となく、自分がやるのかな?という感じはあったんです。

僕は結構、言うタイプなんです。同期にも後輩にも。試合にも出ていたし。自分がキャプテンなのかなっていのはうすうす感じていました。

じゃぁ、心の準備はできていたと。。。

そうですね。上が引退した時には、自分がキャプテンになって、全国優勝するんだっていう思いでしたね。


チームはどんな感じでしたか?

チームは、僕の代はすごく良くて。良いっていうのは、強いとかではなくて純粋に「勝ちたい」っていう思いのある選手が多かったですね。しんどい時ってサボりたくなるんですけど、高校生って遊びたい気持ちもあるじゃないですか。でも、皆が純粋に勝ちたいっていう軸で行動できていた。「僕が”やろう”って言うことに、前向きでした」学年によっては、キャプテンが言っても「めんどくせー」っていう雰囲気の学年もあったりしたんですけど、自分の代は、僕が言わなくてもやるっていうタイプの仲間が多くて。そういう意味では僕は何もしてないです(笑) 皆が皆、リーダーシップを発揮していた感じでした。

この時のチームの雰囲気が宇野さんの目指している組織だったり?

あー、そうですね、皆が同じ方向を向いているっていうか。向いてなくても向くように働きかける仲間がいて。。。っていう所があると組織として強いなって思いますね。同じ代の仲間が25人いたんですけど、試合に出るやつとそうでないやつとで派閥があるんですよね。
キャプテンの時に意識していたことは、固定されないように、というかですね、どこのグループにも万遍なく顔を出すようにしていましたね。
あんまり対立構造を作らないように、というか。
そこは結構意識して・・・

なるほど、引っ張っていく!というよりは、皆の声をきくような感じですかね?

そうですね。「宇野が言うなら仕方ねーなー」みたいな。
そういうポジションをとりにいっていたかな。結構言ってはいたんですけど、仲間が言うのと、外から言うのとでは受け止め方が違うので。

わ~、確かに、、、仲間が言うなら仕方ないなってなりますよね。その後、大阪代表には勝てたのですか?

全国大会2回戦で大阪代表とあたったんです。大阪代表はその時、優勝候補だったのですが、勝てました。私たちは春、成績が振るわなくてノーシードだったんです。ノーシードだと2回戦でいきなりシード校にあたるんですよ。結構厳しいんですよね。その相手が大阪でした。それで勝って勢いに乗ってそのまま、ベスト4までいきました。今まで学校の歴史としてもベスト16が最高だったので。一番いい成績を残せました。

3年間の頑張りが報われた、そんなお気持ちでしたか?

そうですね。兵庫県から京都成章に行くことってそれまでなかったんですけど、僕の代で4人が兵庫から京都成章に行って。そういう流れが今でも続いているので。遠い中大変でしたけど、仲間が4人いたので、助け合ってできましたね。


③大学時代 試合中の事故で頸椎損傷


大学は推薦で行かれたのですか?

はい。中央大学へラグビーで進学しました。

事故に遭われたのは大学生の頃でしたよね。

はい。3年生の時です。東海大学というところと試合をしていた時で。
公式戦の途中でした。テレビ中継も入っていた試合でした。
なので、事故の瞬間も記録に残っています。

その時のお気持ちってどんな感じでしたか?

瞬間ですか?自分でボールを持って突っ込んで、ラックっていうボールの取り合いのごちゃごちゃってなっている塊の下敷きになった時に、首がぐって内側に入った感じになったんです。それで、「ゴリゴリ」っていって・・・。
もう倒れている目の前にある、この手がもう、動かせないみたいになって。起き上がりたくても、起き上がれなくなって。その時記憶は曖昧なんですけど、トレーナーに言わせるとパニックになってたみたいで・・・。
この間、トレーナーと話してたんですけど、その時すごい「やばいやばい」ってずっと言ってたらしいです。ぼくは動こうとしても身体は動かなかった。口は、動いてました。「終わったな」って思いました。

続きをお伺いしても大丈夫ですか?

はい。大丈夫です。

このケガは普通じゃない、人生は変わってしまったっていうのは、わりとすぐ運ばれている時に感じてたので・・・。
運ばれている時に、手が動かせないとか、服を切られててもまったくそれに気付いてないとか、触られてても全然身体、わからないんで・・・

ヤバいな~っていうか。。。

リハビリとか始まるんですけど、その前にICU(集中治療室)に2週間ぐらいいたんですけど、僕はその時もう、全く動けないし、その時まだ、ここに痕が残っているんですけど、これ、気管切開の痕なんです。人工呼吸器が繋がっていて。

『あ~、もう終わった。』

『どうやって生きていけばいいんだ』って

結構、もう、絶望っていうか。

毎日泣いてたかって言うと、そういうわけじゃないんですけど、結構、こう、、、波がすごいあって。面会が1時間しかないんですけど、面会の時とか、喋れないんで。それがストレスで・・・。
面会が終わると、「終わったわ~」と思って1時間ぐらい泣いて、それでまた泣き疲れて、「明日から頑張ろう」って。
なんか、そういう、、、ずっと思い詰めるタイプではなかったので、落ち込むところまで落ち込んだから、頑張ろうって。自立的反発的な、なんかそんな感じでした。波がすごかった。

最初はなかなか、受けいれられないですよね・・・。リハビリが始まったのはもう少し後ですよね…

リハビリは、ベッドサイドには来てくれていました。2週間で一般病棟に移って、それから本格的にだったんですけど、動かせないので、動かしてもらっているっていうか、、、

頸椎の何番の損傷ですか?

5~6番の損傷でした。肘が曲げられるんですけど、伸ばせないんです。三頭筋がきいてない。神経が完全に切れたわけではないので、感覚はちょっとはあるんですけど鈍いですね。


その後の大学生活は?

ケガをしたのが大学3年生の秋なんですけど、丁度就活が2か月後に始まるっていうタイミングだったんですけど、正直単位はほぼとり終わっていてちょっと特殊なのかはわからないんですけど大学3年生でほぼ単位をとりきれたので、ケガしてからほとんど行ってないです。

1年休学して、入院とリハビリをして。
復帰してからは残り4単位しかなかったので、ほとんど行ってなかったです。

というか、行きたくなかったっていうのが本音ですね。

山の上だし、同期はみんな卒業しちゃってるんで、後輩はいるんですけど、車椅子で行くかっていうと、、、。
だからその後、大学生活はほとんど車椅子では過ごしてないですね。

私も20代前半で大きな事故にあったのですが、20代って周りがキラキラして見えるじゃないですか…

そうなんですよ。当時は大学にも行きたくなかったし、地元にも帰りたくなかったです。その頃は東京に住んでたんですけど、昔の友達に会いたくない、みたいな、そんな風に思っていました。

⓸きっかけをくれた2つの出会い

わかります。それでも外に出ようというか、周りと繋がろうと思われたきっかけってなんでしたか?

僕の場合、転機は2回ぐらいあって・・・。
一つ目は結構早い段階でした。
入院中だったんですけど、僕が入院してた隣のベッドに中学生の柔道少年が入院してきてですね、その子も頸椎損傷で、僕よりもだいぶ重いんです。
動くのは肩と首だけ。僕は大学生で、毎日のように「終わった~」みたいな感じでベッドでうなだれてたんですけど、その中学生は超前向きで。
いつも笑ってる、みたいな感じだったんで、その子を見てると『ヤバい、オレの方がまだ全然障害軽いのになんで俺が落ち込んでるんや』みたいな気持ちになって。
なんか障がいのレベルって健常者を見ればほんとにキリがないんですけど、自分より大変な人もたくさんいるって気付いたっていうか。
それまではちょっと自分が悲劇のヒロインっていうか、自分が世界で一番かわいそうな人間だって思った時も、当然、あったんですけど、その隣に入院してきた中学生のおかげですごく前向きになれたっていうか。
中学生の子が自分よりも大変な状況なのに、笑顔で前向きなのを見て、自分何をしてたんだって。
その中学生のおかげですごく前向きになれたのが一つと・・・
まぁ、それでも、人に会いたくないっていうのは多少はあったんですけど、その後は色んな壁にぶつかっても、なんとかなったなって。

そうでしたか・・・

もう一人、先輩というか、ケガをしてから知り合った、同じようにラグビーの試合で頸椎損傷になった先輩がいてですね、その人が歩いて会いに来てくれて。
当時、僕は医者から『あなたは一生寝たきりか、良くて車椅子です』って言われてたんです。自分でもそうなるだろうなって思ってたんですよね、当時全然動けなかったので。
なんですけど、同じようにそういう宣告をされた方が杖をついてお見舞いに来てくれたんです。それで、自分は勝手に諦めてたなって。でも当時は全然動かなかったんですけど、でも「無理です」って言われてても歩いてる人がいるっていう、成功例があるっていうのが僕の中ですごく大きくて。
医者から言われて勝手に諦めてたんですけど。「僕も頑張れば歩けるようになるかもしれない」って。希望をもらって。そこからリハビリも前向きに頑張って、実際歩けるようになって。基本車椅子なんですけど、歩こうと思えば、歩けるっていうぐらいになりました。

⑤足が動かせたときのこと。


・・・(聞き手が泣きそう)

その、足が動かせた瞬間って、未だに覚えてるんですけど、あれもやっぱり、こう、ベッド上で動かそう動かそうってしてからこう、気付けた変化っていうか、・・。あの時、ベッドで「何もできね~や」って寝てるだけだったら多分、ずっとそのままだったかもしれない。

初めて動いた時は、事故からどのぐらい経ったときでしたか?

4カ月ぐらいです。

それまで、肩と首ぐらいしか動かせなかったんです。

ベッドを少し起こして。

感覚的に伝わるかわからないんですけど、脚がもう、ないような感覚なんです。だから、動かし方が、もう分かんないんです。感覚がない。動かし方がわからない。そうなんですけど、イメージしながらやってみたら、なんかこう、自分のイメージと一致するタイミングが・・・。ぴくってするところで。「あ、これ、オレが動かしたのか?」っていう感じでやってたら、親指がこう、ピクピク動くんですね。それで、「あ、これはオレが動かしてるのかもしれない」ってそこからもうひたすら指を動かすってことをやってたら、親指だけだったのが左足の指先だけ動かせるようになって、日に日に範囲が広がって足首が曲がるようになって、膝が曲げられるようになって、気付いたら寝返りが打てるようになって、そんな感じで、動かせるようになって、最初は左脚は動かせるけど右は全然動かせない、みたいな時期もあったんですけど、気付いたら右も動かせるようになって・・・

だいぶ端折りましたけど、、、そんな感じでした(笑)

もう、ドラマ以上ですね。

そうですね・・・。全く動かせないところから、動かせるようになったんで。


昔の仲間とあっても平気だなって思えるようになったのっていつぐらいからですか?

大学の一緒にラグビーやってたメンバーは毎日誰かしらラグビーお見舞いに来てくれていて。高校時代、一緒にラグビーやってた仲間も結構お見舞いに来てくれてたんで。ケガした試合もテレビ放送もあったので、ラグビー関係者は皆連絡をくれて、ケガの事を知ってくれてたんですよね。心配してくれていました。なので全然会えていたんですけど、ラグビーと関係のない友達とかはちょっと会いづらいなっていうのがあったんです。
でも、関西に帰ったタイミングで出かけたりして、偶然あったりしたんですけど、皆ケガのこと、知ってて。会っても、普通に「元気そうでよかったわ」って。「また飲みに行こうや」って。全然変わらず声をかけてくれて。皆、全然変わってなくて、勝手に自分が壁を作ってただけだったって感じる事がちょくちょくあって。それで、結構。なんか「気にせんでいいな~」っていうくらいの感じになっていきました。

あと、就職した時に、「初めまして」で車椅子っていうので・・・それで気にせんでいいなって思うようになったかなって。

⑥就職

最近ご転職をされましたが、一社目は大企業の人事でしたよね?どうしてそこを選んだのですか?

ぼくはケガをして大学1年休学して、リハビリして、もう1年休学してもっとリハビリをしようかとも思っていたんですね。退院してからもリハビリに通って結構回復して、歩けるようなって。午前中9時~11時までリハビリをして午後は疲れて寝てっていう生活をしていて。もう1年リハビリするかどうかで悩んだのが、ケガをして1年たったときでした。その時、同年の皆が4月から社会人になるなかで、僕だけ2年も遅れていいのかなって思いまして。

復学するなら、就職活動をしなくちゃいけない、っていうのはセットだったんですよね。
復学をするって決めたのが、3月だったんで、もう周りは就活始まってて。結構募集が終わっているところも多くて。僕はケガしてからは大学は行ってなかったんで。企業研究とかしてなくて。色々人に聞いてやっていたら、たまたま前社で募集があって、応募したらとんとん拍子で。前社はラグビー部もあって、昔から知っているし、大手だし、受けてみよう~って(笑)

面接もすんなりと?

そうですね、最終面接で言われたことが印象に残っていますね。
ケガをした時の自分て、何にもなかったんです。ずっと、ラグビーでトップリーグを目指して、ラグビーで就職をするって思ってたんです。でも、ラグビーが出来ない体になって、自分からラグビーがなくなったら何が残るんだろうってわからなかったんです。当然、面接とかでも聞かれるんで考えるんですけど。作っては行くんですけど。でも、何もなかった。

最終面接の時に、『宇野さんはこれまでラグビーが強みだったと思うんだけど、これからはラグビー以外の強みを作っていかなくていけないね。是非、ウチの会社で一緒に作って行きましょう。』

と。何もないなって思ってたんですけど、一緒に探していこうって言ってもらって。その方は人事の方で。僕も人事だったんですけど。本当にいい方でした。

⑦転職と、その理由

でも、宇野さんは、その安定した大企業の人事を辞めて、生命保険の会社に営業として転職されたんですよね。それはどうしてですか?

自分が、どういう風に生きていきたいか、って。
ケガをした直後から考えていて。今も考えていて。ず~っと考えて生きているんですけど、前社に入る前っていうのは、社会復帰するのが一つの目標っていうかみんなと同じように1人の社会人になる、それもできるかどうかわからないけど、っていう中での就職でした。
身体的にも大変なことがあって3~4年ぐらいは大変だったんですけど、周りのサポートもあって出来るようになって。そうすると、最初の目標が達成できたんでしょうね、目標がないなっていうか、そんな感じになっちゃって…。
仕事も何となくできる。任された仕事はできる。
そうすると、「あれ?なんで働いてるんだっけ」って思うようになったんですね。自分がどうありたいかっていうか、どう生きていきたいかっていうので、転職というか、「このままでいいのか」っていう事を考えるようになりました

周囲の反応は?

なんでわざわざこんないい会社を辞めるんだっていう感じでした。(笑)
会社の人にも、会社外の人にも相談したんですね。
「絶対今の方が安定しているよ」「保険の営業って大変だよ」って言われることもあったんですけど、なんというか、安定するためにこの会社にいるわけじゃないんだよな~っていうか。安定したいんだったら間違いなく大企業にそのままいたと思うんです。でも、自分がどう生きて行きたいかの所で、やっぱり、大企業ですごくい環境で働かせてもらって周りにも恵まれて、あえてそれを手放してまで何をしたいのかって考えたんですけど…。
人事だとその会社の従業員の人に対しての仕事が8~9割で、もうちょっと広い世界というか、もっと色んな人や自分のお世話になった人に、自分の存在意義を見出していきたいと思うようになりました
前社は大企業なので安定しているし、自分がいなくても、すごく普通に仕事がまわる。大企業のいいところですよね。「俺じゃなくてもいいじゃん」じゃないですけど、そこで、俺じゃなくちゃいけないものがなんだか欲しくなった。そこですかね。僕がそこにいなきゃいけない理由がわからなくなっちゃったっていう・・・。

自分じゃないといけない理由は、今も探している感じですか?

今も探しているし、見つかるかわからないんですけど、今の仕事も本当に特殊だなって思っていて。保険の営業なんで、毛嫌いしている人もいるといえばいるそういう業界なんですけど、自分の本当にお世話になった人に面談とかをして、その方からまた紹介を頂いてって繋がっていて。
「宇野だから話を聞くよ」って言ってもらうと嬉しいですし、聞いてもらって満足してくれて契約に繋がるっていうところもあるんで、ある意味自分のこれまでの生き方が見られてるんだなって思うんですよね。今まで自分がいい加減な生き方をしていたら話って聞いてもらえないと思いますし、、、。今、いい言葉をかけてもらえることが多くて。自分の生き方って間違ってなかったんだなって。後、自分のお世話になった人の役に立つっていう事もあるので、忙しいんですけど、充実はしてるっていう感じです(笑)。

なるほど・・・

前社では、毎日オフィスに行って、その場では多少人と話しますけど、基本家との往復っていう中で、今は色んな所にあちこち。コロナもありますけど、色んな所に出かけて、保険に限らず色んな人と話をして、それだけでなんか、充実してるなって感じです。イイも悪いも色んな刺激があって。自分が動いたことで反響があってそれが嬉しい。

ノルマとかではなく、自分で決めて動いているんです。
動いた結果が仕事の結果だって思っています。

宇野さんにしか伝えられない話が絶対あると思います

そうですね。頚損レベルのケガをして、車椅子で保険の営業マンになる人って、他にいないかもしれないですしね(笑)

⑧HappyFirstCollegeとの出会い

も~、これから保険に入る人は宇野さんから買った方が良いですし、宇野さんの話が響かない人には売らない方がいいって思います(笑)
HappyFirstCollegeに入られた時が、ちょうど、転職のタイミングだったんですよね?

そうなんです。大学時代の友人が誘ってくれて。僕がラグビーで彼がアメフトで、同じグラウンドを使ってたんで仲良くしてて。社会人になってからも年に2~3回は会っていたんですね。

転職相談をした時に、結構みんな、背中を押してくれたんですけど、彼は「本当にその選択って考え抜いた結果なの?」って。彼は違ったんですね。考えて考えて考えたのか?って。そこまで考えたんならいいと思うって。それで考えて、「やっぱり転職しようと思う」って電話したら、応援してくれました。

信頼できる友人関係ですね。

その友人からタカさんの話は結構聞いていて。それで面白そうだなって思ってた時に、長江さんとタカさんの対談があると聞いて。zoomに入ったらタカさんが、僕の事、もう知っている人みたいに「宇野さん初めまして~」ってめっちゃフレンドリーで。すごい雰囲気だなって感じて。何だかその流れで、入りました。転職したてで忙しいってわかっていたので迷っていたんですけど、「面白そう」の興味が勝ちました(笑)

朝練はどうでした?

自分は正直朝が弱いっていうのがネックだったんですけど・・・(笑)
振り返りシートを書くと色々思い出せたり、一つの出来事でも人によって受け止め方が違うのが面白いなって。
朝は辛いんですけど、でも、楽しくて「まぁ、いっか」ってならないんですよね。生きていれば悪いこともあるんですけど、HappyFirstはポジティブな捉え方をしている人が多い。ポジティブな環境に触れていると自分もポジティブでいられるのですごく入って良かったって思っています。

それは良かったです。宇野さんのこれからは?

今は仕事の活動量を多くしているので、奥さんに心配をかけてるなって思っています。家族を犠牲にしないようにバランスを取りながら活動していきたいですね!

宇野さん、貴重なお話、本当にありがとうございました!
宇野さんだから伝えられるお話が、きっとこれからたくさん増えていく。
そんな風に感じました。ひとつひとつのエピソードをもっともっと掘り下げて聞きたいです。たくさんの人に、宇野さんに出逢ってもらいたいなと感じました!宇野さん、貴重なお話を本当にありがとうございました!

新婚旅行(スイス)にて