未来を「彩る」ということ
さて、今日は、どんな一日になるのかな。どんな一日にしようかな。
そうは言っても、1日は24時間。限られている。
この間、ある人に「86,400円あったら何に使いますか?」と聞かれた。
少し立ち止まって考えた。
まずは、買い替えなきゃいけない物、買いたいものはないか。
どこか出かけたいところはないか。おいしいご飯を食べるには…?
86,400円の使い道は決めるのには時間がかかることを知った。
おそらく、半分くらいはすぐに使わずにとっておくことができるかな、という発想も出てきた。
その人は、続けて言った。
「では、86,400秒あったら、何に遣いますか?」と…。
そう、24時間=1,440分=86,400秒
1日の時間の遣い方を突きつけられた。
あなたは、1日をどのように費やすつもりなのか、と。
どのように費やせば満足で、どうしたら後悔するのか。
ふと立ち止まって考えた。
そして、将来に備えて保存ができるお金と違って、時は過ぎれば手元から失われることにも、否応なしに気付かされた。
過ぎ去った時間は返ってこない…当たり前だが、そんなことに気付いた。
1日の積み重ねが、私の人生である。
果たして、1日の時間をどのように遣ったら一番効率的なのか。
どのように遣ったら…???しばらく立ち止まって考えた。
いま、ありがたいことに仕事をさせていただいている。働く仲間がいる。
今まで仕事でかかわった人たち、
もちろん近くにいる家族、親戚、
その他、あらゆるつながりを経て知り合った方々。
今すぐ会いたい人、近いうちに会いたい人、
あの人、何をしているだろうなぁ、という人…あらゆる顔が浮かんでは消えた。
私は(あくまでも私の場合ではあるが)、時間の遣い方を考えるとき、「誰と過ごすか」を中心に考えた。
何を食べようか、どこに行こうか、というよりも先に、人が思い浮かんだ。
しかしながら、会うためには約束をしなければならない。
もちろん、突然訪問するという選択もできるが、相手が在宅されているか、
お時間のあるときなのかどうかは、まったくわからない。
突然来たら、図々しいやつだと思われかねない。
ましてや、突然訪問されてびっくりされてしまうことが多いだろう。
失礼だと思われてしまう場合も多かれ少なかれ想定される。
会うために準備が必要である。
相手の時間を遣うのである。たやすく自己中には動けない、というのが世の常。
人生の時間を費やしていくことには、準備する時間が必要。
それも、相手の立場を考え、働きかけることが必要。
そのあと、気づいたことや人生を豊かにする取り組みを積み重ねていく。
「人」で始まり、「人」につながる。一期一会であると感じる。
…「86,400秒あったら、何に遣いますか?」
86,400秒…その価値に気付くということ。
人からの影響を享受していることに気付くということ
その価値がありがたいということ。幸せだということ。
毎日、その積み重ねである。
会いたい人に会う。それが未来の約束。
でも、そのためには働きかけが必要。準備が必要。
そうすることによって、86,400秒を余すことなく、
後悔なく過ごすことができる、はず。
あなたは、1日をどんなふうに彩りますか?
86,400秒あったら、何に遣いますか?
それを考えることも幸せな瞬間なのかな、と思います。
それでは、また。