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人の話を最後まで聞ける人が少ない訳は?

プロフィール(肩書)を変更して、【傾聴のプロ】と、変えてみたら、伝えることも、傾聴関連に寄せてみたくなりました。

人生の生き方のコツ、ビジネス(起業)のコツに関しては、タイミングがあれば、また、ちょこちょこと書いていくこともあるかもしれません。

さて、今回は、
「人の話を最後まで聞ける人が少ない訳は?」です。
これは、言い換えると、
「最後まで、自分の話を聞いてもらえた!」という実感を、人はどれだけしているか?ということ、です。

みなさんは、
「自分が話し始めたはずなのに、いつの間にか、話の主導権を握られてしまった。別の人が話を持っていってしまった」という体験をしたことは、無いでしょうか?

多かれ少なかれ、これには、「うんうん」となるのではないでしょうか?
ならないとしたら、普段から、人の話を奪っている人の可能性がありますね。
特に、【自分は、話し上手】と思っているほど、要注意です。

人は、いい話を聞いたときも、感動しますが、
自分の話をトコトン聞いてもらえた時は、もっと感動します。

なんでか?
私自身、小さい頃から、ずーーーーっと、
「話を聞いてもらえない」と感じていて、そのうち、時々場面緘黙ばめんかんもくという、ダンマリを決め込むほどに、自分の心を閉ざしていたことがあったのです。
だからこそ、余計に、20代の終わりから、30代の始めに掛けて、カウンセリング仲間と練習したときに、トコトン話を聞いてもらった時に、
「超、気持ちいい~~」(水泳の北島康介さん風に)と、感じたものです。

なぜ、人の話を最後まで聞ける人が少ないのか?
今回は、そのことを探っていきたいと思います。


◆最後まで聞いてもらった体験が少ない

こういう人は、「自分は、話下手」と思っていることが多いと思います。
実際、私も、今でこそ、言語化の鬼のごとく、人の言いたいことさえも代弁するようになってきましたが、
社会人になるまで、「話下手」を自覚してました。

【最後まで聞いてもらえない⇒最後まで思うように話せない】という因果関係ができてしまうからなんです。

そうすると、話下手だと、余計に、人は聞いてくれなくなる。
そんな悪循環を、体験していました。

だったら、いっそ話さない方がいいのか?と思うほどに、自分の心に殻をつけて、場面緘黙ばめんかんもくになったという。。
当時は、場面緘黙ばめんかんもくなんていう言葉も知らなかったから(40代になってから知りました)、こんな苦しいのは自分だけかと思っていたら、そういう子ども結構多いみたいですね。

過去の記事に、場面緘黙ばめんかんもくのことを書いてますので、興味のある方は、ついでにどうぞ。


◆人の話を聞いている時に、自分の考えが浮かぶ

実は、カウンセリングスキルの中で、傾聴とか、ミラーリングとか、学んでいきます。
いわゆる、聞く姿勢、聞くコツですね。
その中に【ブロッキング】という概念があります。

人の話を聞いていると、カウンセラー側は、クライアントの話に対して、自分の意見・考えというのが、湧いてくるようになっています。
つまり・・・クライアントの話を100%全力で聞くことが、基本的にできない生き物なんです。人間って。
これが、いわゆる話を聞けない【ブロッキング】が生じる訳です。

それで、このブロッキングを発生させないように努力するのは無理なので、そこで、どうするか?というと、【ブロッキングを外す】ということをやっていきます。

聞いている時に、「あ、ブロッキングが生じたな(自分の言いたいことが湧いてきたな)」と思ったら、そのことを認めつつ、それを脇に置く、いわゆる【ブロッキングを外す】ということをしていくんですね。
そして、また、クライアントの話を聞くという方へ、エネルギーを戻していくんです。
そして、どうしても伝えたいときは、話を聞き終えたタイミングや、セッションが終わったタイミングで、改めて伝えていきます。

これが、普通の人は、なかなかできません。
なんなら、話の途中で、つい口をはさんでしまうからです。

これが、【人が最後まで聞ける人が少ない】最大のポイントだと思っています。

傾聴力を上げたいと思ったら、このブロッキングを外すということを、訓練しないといけません。
文面で書くと、一行で済みますが、実際にモノにするには、かなり難しいと思います。
いわゆる、「知る・わかる・できる・使いこなす・極める」で言うと、わかるから、できるまでの乖離が激しいと思います。

◆家庭・学校等で、話を聞く技術を学んでないから

そう考えると、私が傾聴のスキルを身につけたのは、カウンセリングを学んだから、ということもあります。
つまり、家庭や学校では、学べなかったということ。

お金のこともそうですが、こういったコミュニケーション関係のこと、意外と家庭や学校で学ぶことないんですよね。
国語算数・理科社会と学ぶけれど、国語は、過去の文学作品を読解することが多く、なぜか、目の前の人の話を聞くということには、あまり重視されてない氣がします。

もちろん、学校の先生などは、
「人の話をよく聞きましょう」という風に、言ったりしたと思います。
でも、実際は、その先生自体が、生徒たちの話を聞けてたか?保護者の話を聞けてたか?というと、疑問に思う先生も、皆さんの記憶の中にはあるのではないでしょうか?

この場合の「人の話をよく聞きましょう」は、「目上の人の指示(命令)には従いましょう」が、正確な意味・解釈だったように思います。
だから、「相手の言い分を理解しましょう」では、決してなかった氣がします。
今の教育現場を知らないので、私の子ども~学生の頃の記憶ですので、的外れなことを書いていたらすいません。

いずれにしても、【聞く技術】を皆、家庭や学校で教わってきてないというのが、大きいでしょう。

思うに、私は、学校で学べない、お金のこと、心のことに、興味関心が強かったように思います。
もちろん、親が負債を負ったという体験があったから、素朴な疑問として、「お金ってなんだろう?」と思いましたし、また、聞いてもらえない、上手くコミュニケーションが取れないことから、心理学に興味・関心を持った氣がします。

面白いのは、中学高校を、当時の夢であった、【ゴルフ部がある】というだけで選んだこともあり、そこは、エスカレーター式で大学まで行くことが前提だったのですが、入学当時には、【心理学科が無かった】のです。
それが、中学2年生ぐらいの時に、
「君たちが、大学進学する頃には、心理学科と日本文化史学科ができるだろう」と言われ、それを聞いて即、「あ、心理学科に行きたい」と思ったのを覚えてます。

このように書くと、まるで私の為に、進路が開けたようにも感じてしまうのですが、この後無事に心理学科に進学します。

(関連記事)
つっちーと心理学
子どもの進路の決め方、親の関わり方

ただ、心理学科に進んだとはいえ、やはり、大学は【学術】の方が比重が高く、それこそ、学校での国語は、文学の読解がメインで、現実の生活に結びつく学びは薄いのと同じで、心理テストの作り方や分析の仕方は学ぶけれど、現実の人間関係の悩みを解決するというのは、学べなかった・・・氣がします。

というのも、私の言う、カウンセリングスキルを身につけたのは、大学の心理学科にいる時ではなくて、大学を卒業して、仕事をしながら通った、ビジネススクールで知り合った人と、メンタルヘルス事業に携わって、その関係でカウンセリングスキルを学んだ時に、傾聴のスキルを身につけたからなんです。

心理学科に行けば、傾聴のスキルが身につく、カウンセラーになれると思っていたけれど、今思うと、基礎の基礎の学び(知識)を身につけただけだったなぁと思います。
大学院にまで行けば、また違ったかもしれませんが、いずれにしても、専門の心理学科であっても、技術をモノにできる機会はないか、少ないと言わざるを得ません。
ただ、もう、30年近く前の話になるので、今の心理学科が同じかどうかは、私にもわかりません。

あとは、傾聴のスキルは、前述のメンタルヘルス事業の時に身につけた訳ですが、これ以外にも、コミュニケーション関連教材にも、投資して身につけたモノもあります。

◆人は、話したい生き物

人は、話すことって、実は氣持ち良いんですよね。
この世には「エネルギー」というものが存在し、そのエネルギーをもらったり、与えたりすることで、私たちは交流をしています。

実は、会話の中で、
話し手は、「エネルギーをもらう側」
聞き手は、「エネルギーを与える側」だったりします。

つまり、「聞いてもらうことで、実は聞き手のエネルギーをもらっている」のが、話している時の特徴になります。

こんな、エネルギーのやり取りを意識して、会話しているなんて、思いもよらないと思いますが、
話しているのに、聞いてもらえないと、ものすごくがっくり来ると思います。
それは、エネルギーの交流拒否されたから、なんですよね。

でも、このエネルギーのことについても、学校では学びません。
ある意味、見えない世界の話、感じる世界の話になってくるので、精神世界やスピリチュアルに関心のある人でないと、???となってしまうかもしれません。

簡単に言いかえると、
「話すと元氣になる。聞くと状況によっては疲れることもある」
そんな風に捉えてもらえばいいかと思います。
だから、人は話したい生き物なんです。

では、聞き役に回る人や、聞き上手の人は、いつも疲れているの?と思うかもしれません。
これは、状況によります。
聞くことで、面白いな、元氣になるなと思って受け取っている人もいれば、話したいことがあるけれど、なかなか話しにくいから聞くしかないけれど・・という思いで聞いている人は、疲れていくでしょう。

また、私自身、難聴持ちなのですが、難聴の友人(補聴器つき)と電話で長時間、話したときに、私は、電話が終わった後、30分ほど、疲れたなぁと思っただけですが、相手の難聴の友人は、なんと、電話のあと3日間寝込んだ(!?)ということを教えてもらい、
「うわぁ、聞くのにもエネルギーを使うんだね!?」と実感したことがありました。

難聴ではない、健常者の方には、なんとも理解しがたいことかもしれません。

話すことは、聞いてくれる人がいるから、できること。
受け止めてくれる人がいるというのは、人は喜びなんですね。
だからこそ、話したくなるのです。

(参考記事)
コントロールドラマ」:理想のコミュニケーションを求めて

◆今でこそ、カウンセリング・コーチングが普及して

今でこそ、カウンセリングやコーチングが普及して、それこそ、
「〇〇カウンセラー」「○○コーチ」と名乗る人が非常に多くなりました。

もちろん、他にも、「ヒーラー」「セラピスト」「コンサルタント」というのも、非常に増えましたが・・・

私が学んだカウンセリングスキルや、メンタルヘルス事業での、サービスの売りは、
「アドバイスをしないカウンセリング」だったのです。

この「アドバイス」というのは、先ほど書いた、「ブロッキング」を起こしやすい要因の一つで、「○○カウンセラー」と名前がついていても、アドバイスありきだと、人の話、100%聞いてないこと多いんですよね。
なんなら、チェックリストや、質問リストがあって、それに沿っていけば良い訳で、人の話を全部聞く必要がないことが多いからです。

もちろん、人はアドバイスが欲しい状況もあるでしょう。
でも、そうだとしたら、「○○カウンセラー」というネーミングではなく、「○○アドバイザー」というのが、本当は正しいと思いますけどね。
いずれにしても、肩書が正確にやっていることを表しているとは限らない話でした。

それでも、普及する前に比べたら、
「話が聞ける人」は、増えてきた感じはします。
それは、「話を聞くことは大事」という、考え方が浸透してきているからだと思います。

ただ、体系立てて聞く技術として、身についているか?となると、その辺りは、まだまだ個々人の感覚・素養の方が大きいのではないでしょうか?

昔から、「聞き上手」というのは、存在します。
ただ、再現性というか、聞き上手の人から、聞き上手が生まれている感じがしないのです。
そこが、もったいないというか。。

もっと、世の中の人が、
【聞いてもらえることの心地よさを味わい、また、自分自身も聞けるスキルが身につくことで、周囲の人も喜んでいく】

そんな、幸せの渦が広がって欲しいなと思いました。

なんか、長文、グダグダ書いていたようにも、思いますが、要は、聞く技術・傾聴が広まっていったら嬉しいなと思っています。

歌がうまくなるように、ボイトレのレッスンがあるのと同じように、聞く技術も、傾聴も、できる人が増える・・・世界が少しホッとできるんじゃないかなと思ってます。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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