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何を伝えたいのか、わからなくなったら

伝えたいことがあるはずなのに、うまく、相手に伝わらない。
自分の思いを、書いたり話していても、結局、何を言いたいんだろう?ってなってしまうこと、あると思います。

まぁ、こんなことを書こうと思ったのも、私自身が、「何を伝えたいんだろう?」ってなるモードに入ることがあるな~と、思ったからかも?ということも、ありますが。
そんな時に、私なりに、気を付けていること、普段やっていることをまとめてみました。

普段は、インスピレーションが湧いて、最初から勢いで書ける時もあれば、箇条書きで、サブタイトルだけ書いて、あとから内容を付け足すこともあります。
そして、投稿直前に、もう一度見直して、細かい言い回しなどを添削してUPすることもしています。


◆伝えるタイミングではないと

まず最初に、うまく伝わらないな、このままではよくないなと思った時には

伝えるタイミングではないと思って、話す・書くのを諦める。
何か違うことをする。
モノを片付けてみる。
トイレ・お風呂に入ってみる。
散歩に行ってみる。
寝てみる。
読書してみる。

つらつらと、殴り書き、いたずら書きをしてみる。

下手に、わかりやすく書こうにも、自分の中で、言葉が紡がれない。インスピレーションやヒラメキが下りてこない、集中できないなどいろいろあると思います。

別のことをすることで、インスピレーションが下りて来るのを待つという手があります。

無理して、机やPCに向かっているよりも、違うことをしているときの方が、脳の刺激が違うところが刺激されて、フッと湧いてくることもあります。

その時の、流れに身を任せる、そんな感じで、「書こう、伝えよう」といきまない方が良い気がします。

◆何が言いたかったんだっけ?

「うまく書けないなぁ~」と思った時、私は、何が言いたかったんだろう?何を伝えたかったんだろう?
ということを、投げかけます。

そうすると、その答えを書いてみることで、そのほかの言いたかった内容の肉付けができたりします。

この質問は結構、絶大で、書いているうちにわからなくなったら、大抵、「で、何が言いたかったんだっけ?何を伝えたかったんだっけ?」とすると、答えが出てきます。

むしろ、この問いかけをしないまま、書いていっても、「ん~~?」となるままです。

私の文章が分かりやすいと言われることも多いですが、わかりにくい状態のまま書くことをなるべく避けるようにしているからなんですね。

子どもの頃からも、喋っているうちに、何が言いたかったのか自分でもわからなくなったりする現象が多く、よく父親に「お前の言いたいことはよくわからない!」と突き返されたものです。
「あなたの話は、理解できない」と言われること の記事にて、私がうまく話せなかったことなどの考察も含めて書いています)

「よくわからない」と言われたり、思われたりするということは、それ以前に自分自身も「言いたいことのエネルギーがまとまってない」ということでもあるのだなぁと感じてます。

◆伝え上手になろうとしない

そもそもですね、伝え上手になることが、必ずしも相手に感動を与えるわけではないのだなということを、少し感じています。
言葉がつっかえつっかえでありながらも、そこに、エネルギーがこもっていれば、人は話をよく聞いてくれるものだと思ってます。

恥ずかしい話、大学時代、年の離れた弟の野球チームのコーチ手伝いをしていたことがありました。

ちょっと、訳があって、負け癖がついてしまってたチーム。
最高学年に上がる前の、最後のミーティングで、来年度からは総監督がチームを見るということで、監督、選手、コーチ、保護者のお母さま方含め、全員でお茶菓子を飲みながら、ミーティングしていた時。

せっかく、コーチたちがいろいろ、「今年は、こうだった。来年はこうしていこう」という話をしているのに、選手の子どもたちは肘をついてお菓子を食べ、話を頬杖をついて聞いていたのです。

で、私が話す番になった時に、その時、鼻風邪を引いていたので、あまり長く話してはいけないなと思いながらも、子どもたちの聞く姿勢の酷さに呆れてたので、鼻声になりながら、「それが、人の話を聞く態度?聞く姿勢?」と、あり方の話を、生意気に口にしたのです。

しかし、私の言い方に、言い方というか、思いのエネルギーに、子どもたちも姿勢を正して、大人の話を聞くようになったのです。
のちに、同席していた母が言うには、「他の大人のコーチたちも、姿勢正してたわよ」と。。

その時は、鼻風邪だし、うまく話せないし、申し訳ない気持ちもあったのに、スピーカーとしての、パフォーマンスは、みっともないぐらいだったのに、人の意識・行動を変えられるんだ?と思ったものです。
子どもたちからすれば、年上のお姉ちゃんが言うことだから、怒られたくないというのもあったでしょうが、大人たちからしたら、私は当時、唯の大学生にしかすぎないし、〇〇くんのお姉ちゃんでしか、無かったわけです。

だから、年下の女の子に、正論を言われたとしても、無視してもいい存在だと思うのです。エネルギーバランス的に。
それでも、姿勢を正したというところに、何か思うところ、感じるところがあったのでしょう。

これが、私にとって、うまく、上手に話すだけが「伝わる」わけではないのだ、と感じた体験でした。

あなたにも、上手に話せたわけじゃないけれど、他の人に感動を与えたり、心を動かしたような体験、どこかにあるのではないでしょうか?

自分の伝えたいことが、うまく伝わらない、うまく話せないとなった時に、自分が一番強く感じていること、その【思い】だけを強く大事に思っていればいいのだなということを、この章では伝えたかったのです。

◆それでもわかりやすさを追求するなら

気にしているのは、タイトル⇒結論⇒体験談などの関連のある話、具体的なこと。という順番です。

具体的なことには、自分でもググって、他のページの情報を参考にすることもありますし、人それぞれだと思います。

この具体的なことが思いつかなくて困っているということはあるかもしれませんが、私の場合、結論の方がかなり重要です。

それこそ、
「何が言いたかったんだっけ?」
「これ、読んでいる人にわかる?」
「タイトルと中身、ズレてない?(かなりズレることがあると思ってます)」

それでも、タイトルと中身が多少ズレていても、【終わり良ければ総て良し】の感覚もあるので、流れと、なんとなく共感が伝わればいいかな~という感じで書いてます。

◆締め切りを作ってしまう

締め切りというと、なんか、作家さんのような感じがしてしまいますが、人は「時間を掛ければいいものができる」という錯覚がありますが、実は、「締め切りがある方がクリエイティブ性が上がる」というのが、正解です。

夏休みの宿題ではないですが、追い込まれてから、やる気のスイッチが入るというのも、追々にして人にはあります。
締め切りがないと、永遠に仕上がらない作品になってしまいます。

どんなに完璧な作品やプレゼン資料を作ったり考えたりしても、締め切りがあることで、一定のレベルの成果物を出そうとします。

小さな締め切りを自分で作ることで、「わかりやすさ」や「完成度」というものは、少しずつ経験値となって、積みあがっていきます。

実際、私自身は、インターネットが普及し始めた2000年代ぐらいから、(ブログというものがないのに)自作で日記などを書いたり、無料ブログで、日記や記事を書いてました。

このnote記事を定期的に書き出したのは、2021年の6月くらいで、それもまだ週1を最低ラインにしてた時期で、その年の11月か12月ぐらいから、今の週3ペースに最低ラインを上げてきました。

たまに、過去記事を見返す(連動した話などあるときとか)こともありますが、中には、「あれ?これ、リライト(書き直し)した方が良いかな?」と思うぐらい、継続してきたからこその、過去の自分の記事を冷静に見ることができるところもあります。

これも、1つ、最低ラインという締め切りを作った形が、少しずつ経験値として積み上がっているのだなと、感じます。

私が参考にしている人たちなどは、大抵、何かのことを、「最低、これはやる」ということを決めて続けている方が多いなと感じてます。

そうなると、思いついた時だけとか、気分が乗るときだけ、ということではなく、気分が乗ろうが乗るまいが、淡々とやることが習慣化されて、一定の成果物が出来上がってくるのだと思います。

私のわかりやすさの追究なんて、まだまだかもしれません。

◆最後に1つだけ

書きながら、思い出したことがあるので、最後に1つだけ伝えたいと思います。

それは、「なるべくたとえ話を入れるようにする」ということ。

今、仮想通貨(暗号資産)にも力を入れていて、慣れている人であれば、そのキーワード一つを言えば済む話ですが、まったくの素人にお話しする際には、相手の理解度に合わせて「たとえ話」をするようにしています。

人は、抽象的なことを言われても、その人の中に具体例がないと、何を言われているのかわからない!?ということが起きます。

変な話、チョコレートを食べたことが無い人に、チョコレートの話をするほど大変なことはないということです。
「チョコレートはね、茶色い色をしていて・・」
「でも、白いチョコレートもあってね・・・」
「チョコレートはカカオ豆からできていてね・・・」
「チョコレートは、冷やしてカチコチにして食べる」
「チョコレートは、温かいと溶けてしまう」

チョコレートという言葉を無くして、〇〇で囲んだら、もっと、なんのこっちゃ??ですよね。

いろんな言葉を駆使しようにも、一番手っ取り早いのは、「チョコレートを食べてもらうこと!」だったりするのです。

甘さの話をするなら、バニラとか、メロンから近づけるでしょうし、コーヒーを飲んだことがあれば、そこからイメージを膨らませていくこともできるでしょう。

なので、相手の体験したことのないことに対して、どれだけ、たとえ話ができるか?
この話とこの話は類似性があるかな?と意識してみること。

このたとえ話のコツは、若い頃、メンターが、
「たとえばね・・」と話をしてくれる瞬間が私にとって、嬉しかったのを覚えているからなのです。(嬉しいという感覚を大事にするということ)

今は、文面上で「たとえばね・・・」という言い方はしませんが、何かを説明する時には、よく多用しています。

例えがうまくいかなくても、出だしだけでも「たとえばね・・・」とやってみてはいかがでしょうか。

今後も、何かとうまく伝えられない、うまく書けない、わかりやすいと言ってもらえない、そんなこともあるかもしれません。

今回、あげたような内容を、時々読み返しながら、取り入れていってもらえればありがたいなと思います。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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