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これからの子どもたちのために、できること

◆大人が楽しく生きている姿を見せる

大人が楽しく生きている姿を見せる。
これほど、言葉にするのは簡単で、難しそうなものはないでしょう。
私たちの世代(40代前後)の親たちが、楽しそうに生きているところ、見てないような気もします。

親になればなるほど、いろんなしがらみがあって、気楽には生きられないかもしれないですね。
自分たちの生活費のみならず、子どもの養育費、学費など稼がないといけない状況では、やりたくもないようなことでも、歯を食いしばって、やってしまうことでしょう。

でも、それでは、子どもは親を不幸にさせるために生まれてきたかのように思われても、双方にとっても不幸なこと。
子どもにとっては、親が笑っていてほしい。
いっぱい、なんでも買ってくれることよりも、親がイキイキとしていることの方が、子どもにとっての幸福感に繋がるのです。

具体的に、楽しくなんてどうやればいいの?と思うかもしれないですが、「何かをやること」ではないと思うのです。
自分の中の、楽しい、ご機嫌になれること、1つ1つ丁寧に味わって、その時間、その回数を増やしていくだけだだと思います。

多分、こういったことは、子どもが小さいときにだけではなく、あなたの人生を通して一生、突き詰めていくことなのかもしれません。

◆アチーバスマインド

昔、アチーバスの資格を取りたての頃に、「おもてなし力を身につけるには」というタイトルで、ブログ記事を書いてたことがあります。
当時は、ちょうど、東京オリンピック開催が決まった年。
滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」がブームになった頃です。

その記事の中で、「このおもてなし力を、具体的に身につけるにはどうしたらいいか?それには、アチーバスというゲームがおススメです。子どもたちが小さいころから、アチーバスをやることで、自然とおもてなし力が身につくと思います」というようなことを書きました。(ブログを完全削除してしまったので、記事は残ってません)

この記事に響いたのが、ママたちでした。
記事を書いた半年後には、ママたちにアチーバスを体験してもらうために、富山まで行ったことは私にとっては、とてもとても、大切な思い出というか体験というか、学び深いものを感じるのです。

もちろん、アチーバスというゲーム自体は、大人でも楽しめますし、そこから気づくものも、大きいのです。
ただ、「誰にメッセージを届けるか?」という視点で書けた記事だったなと、今でも思ってます。

話がそれてしまいましたが、アチーバスマインドとは、「皆で達成する喜び、思いやり、リーダーシップを総合的に発揮すること」だと思っています。
今、学校でも社会でも「比較・競争病」というのが流行しています。

「誰それさんの家より、いい会社に行って、いい給料もらっている」
「誰それさん家の〇〇くんより、いい学校に行けた」
「偏差値は何点だった」
「あいつより、俺の方が仕事ができるのに、あいつが昇進するなんて」

こんな極端なことは、ないかもしれませんが、絶対唯一無二の存在である、お互いのことを、認め合ったり、助け合ったりするより、

「こっちは、これだけ我慢しているんだから、あなたも我慢すべき」
「こっちは、これだけやったんだから、これだけもらって当然」
「ここでは、上の言うことを無条件に聞くべし。黒を白と言え」
自分の権利や他者への異様な干渉、そんなゆがんだ現象が起きてないでしょうか。

こんな社会を子どもたちに残していきたいでしょうか?
ちょっとした気遣いをするだけで、「相手も自分もハッピー」になれることをゲームを通じて、人生を豊かにできたらいいと思いませんか?

アチーバスというゲームは、きっかけにしかすぎません。
アチーバストレーナー全員がアチーバスマインドを身につけているとも言えませんし、アチーバスを体験せずとも、身につけている人もいるでしょう。

組織作り、共同学習、チームワーク、いろんな角度から、集団の持てる可能性について、いろんな人たちが、協力することの素晴らしさを追究していっています。


◆真実を見る目を養う

これが、かなり、難易度が高いかもしれません。
そもそも、常識と真実は違いますが、時には常識の方が勝ってしまうこともあるでしょう。

むしろ、子どもたちにできることというより、「子どもたちの真実を見る目を曇らせない」ことの方が重要な気がします。
本来、子どもの方が真実を見る目を持っている気がします。
大人の方が、よっぽど曇っているかもしれません。

本物に触れる機会を増やすこともそうですが、大人がどれだけ審美眼を持っているか、眼識力(真偽・優劣を見分ける力)を持っているか、にかかってきそうです。

いずれにしても、真実を見る目を養うということは、人が何と言おうと、自分の意見をきちんと言えるようになることも必要になってくるかもしれません。
大多数や、声の大きい存在に引っ張られることのない胆力。
それは、おいそれと簡単に見につくものではありませんが、それを持つことで、人々の信頼を勝ち得る存在になれると思います。
(人が、権威者に弱いのは、心理学的にも証明されています。囚人と看守の実験などで、検索されてみてくださいね)

◆自然と触れ合う

これは、子どもに限った話ではないですが、自然のパワーは、人間は自然の一部だということを思い出させてくれます。
今の子は、どれだけ自然と触れ合うことができているのでしょう?

虫も見たことが無い、触ったことが無い、とかあるのでしょうか?
蛇やカエルも見たことが無い、になっているのでしょうか?
土に触れたことが無いこともあるのでしょうか?

コンクリートに埋め尽くされた地面は、時として窮屈そうです。
街路樹の木も、土から栄養をもらえずに、今後、やせ細っていくのではないか?と心配になってしまいます。

人間の「暮らしやすい」は、決して、自然にとって「良い」とは限りません。
そして、それは巡り巡って、人間にとっても過ごしにくくなってくるのではないか?と感じています。

それと、自然は「エネルギー」を満たしてくれます。
そこにいるだけで、元気になれるのです。
人は、なぜ疲れるのか?
それは、エネルギーをどんどん奪われるからなんです。
地球テラと繋がっていれば、エネルギーはどんどん湧いてくるのですが、コンクリートなどで繋がりを阻まれているから、疲れやすくなってくるのです。
今の子どもたちが、疲れやすい背景には、そういう部分もあるかと思います。そのことにどれだけの大人が気づいてあげられるか?

大人自身も疲れている理由が、「年のせい」だけで片付けてしまっているように思います。
でも、気づいている人から、都会脱出が始まっているような気もします。

もちろん、ただ自然のなすがままになるのではなく、人間と自然の共生の形を、今後も模索し続けていく。そういう時代に代わっていくことでしょう。

◆与えられたゲームを楽しむよりも

ゲームを作り出す側に回ってほしい、と思っています。

学校教育でもなんでもそうですが、決められたレールの上を大人しく走る子が「いい子」という風潮があります。

でも、誰かが与えたレールなんて、いつかは壊れるもの。

自分でレールを築いて、走りだせる力を、身につけさせる方が、個人的には良いと思っています。

社会に出たら、答えなんかない、と言われてきました。
学生の頃までは、与えられた答えがあったと。
今も、大学の卒業式の時の祝辞の内容を覚えています。
確か、登山家の田部井淳子さんのスピーチだった気がします。

実際、社会に出たら答えなんかないとは、思いませんでしたが、(中には、言われたことだけやってくれればいいの、的な指示するところもたくさんありました・苦笑)

人に言われたことよりも、自分が良かれと思うことをやりたくなる性質タチなので、そのせいで苦労したことも数知れずあります。
人からは、そう見られないみたいですが、型にはまることが、子どもの頃から無理だったので、私を評価してくれるところは、クリエイティビティを理解、あるいは、そういう部分を高く評価する環境でおいてのみだったような気がします。

自分でレールを築いて走っていく方が、「自分の人生を生きている」という実感が強く持てると思うのです。
それこそ、クオリティライフ=良質な人生と言えるでしょう。

◆言って聞かせるから、やって見せるへ。

「子どもは大人の言うことを聞くように」
そんな言葉を投げかけてないでしょうか?
自分たちが子供の頃、「大人はああ言っているけど、全然やってないじゃないか?できてないじゃないか?」と思うことあったと思いませんか?

子どもが言うことを聞かないのは、大人がやってないからです。
もう、単純にそれだけ。

出典元は、忘れましたが、
昔、子どもが靴を脱ぎ散らかすのを、親が「きちんと揃えるように」と注意していたそうですが、一向に直らないので、お坊さんに相談したところ、「お子さんに注意はしないで、あなたが靴を揃えることを半年続けなさい」と言われたそうです。

それからは、子どもがどんなに脱ぎ散らかしても、グッとこらえて、毎日、靴を揃えることをやるようにしたそうです。
そうしたら、半年、過ぎるようになった頃、子どもが出先で、脱いだ靴を言われなくても揃えるようになったそうです。

結局、子どもは「親の背中を見て育つ」んですね。
今の世の中は、どれだけ、自分の背中を見せているでしょうか。
マネしたいと思われる大人でいるでしょうか。

自分ができてないことを、子どもに押し付けないようにしましょう。
まぁ、中には、自分ができてないことを、子どもを通して、鏡のように見させられるから、それが嫌で怒る人もいることは事実ですが。。
結局、自分が怒られたことを、同じように子どもに怒ってる。。
親からすると、そんな痛いところつかないでよ、と私が怒られそうですが(苦笑)

◆過剰なルールは減らそう

最近、気になるのは、これですかねぇ。個人的に。
本当に、そのルール必要?と思う部分が増えてきたように思います。

なんで、そんなルールあるの?と思うようなことが、私自身が子供の頃に比べて増えている気がします。

性善説というわけではないですが、行き過ぎたルールは、悪循環を生むだけのように思います。

確か、偏差値の高い学校ほど、校則が緩いという話を聞いたことがあります。卵が先か鶏が先か?という話なのかもしれませんけど、因果関係があるとするならば、なおのこと、校則、ルールなんて、ほとんどない社会を作っていってあげる必要がある気がします。

「上が言っているから」ただ、それだけでまかり通るルールだったら、もはやルールの意味もない。
自制心というのは、誰かが作ったルールを守ることではないのです。
【自分で決めた決め事・ルールを自分で守ること】
それが自制心なのです。
自制心のある大人になってほしいのなら、他人がルールを作ったり、必要以上に干渉する必要は、まったくないのです。

もちろん、最低限のルールは必要でしょう。
人を殺さない、自分を殺めない、人を無視しない、助け合うときには手を差し伸べる。

それらがあれば、あとは、どうにでもなる気がします。

子どもたちには、【自由】と【自律】の世界を渡してあげたいと思うのです。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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