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ふと、呟いたツイートが珍しく、私としてはバズった。
これ ↓ がそのツイート


◆私にはテレビがない

今、一人暮らし。
そして、テレビはない。
実家から引っ越す時に置いてきた。
あれは、何インチサイズというのだろう?
かなり大きいから持っていけないというのも理由の一つ。
でも、元々テレビを買うつもりもなかった。

◆テレビがいらなくなったワケ

2019年に実家が競売で引き払われるときに、私は湯河原に引っ越すことにした。先ほども書いたように、大きかったからというのもあるが、そもそもテレビからいい情報が流れてこないから、いらなくない?って思うようになったこと。

また、テレビという外的に、自分が欲しい情報か、そうでないかに限らず勝手に情報が流れてくる、そんな存在を断ち切ってみたかったというのもある。

仙人的な生活をしようというわけじゃないが、元々テレビっ子でもないし、むしろ、ネット住民なので、じゃあモノの試しに、テレビない方が、「内なる力」を発揮するのに良いのではないか?という思いもあった。

※内なる力とは「マスターの教え」という本の中に出てくる概念。

◆親父のテレビ優先姿勢

そもそも、私がテレビを好きでない理由の一つに、父親のテレビに対する姿勢が嫌だったというのがある。

食事時に、テレビをつける。
それはいい。
しかし、テレビを見たいから、テレビのニュースを聞きたいから、家族が会話しようものなら、「テレビ見てるんだから!黙ってろ!」と怒る。

家族の会話より、テレビかよ。

そんなにテレビがいいなら、家族より、テレビに食事食べさせてもらいなよ。

何度、暴言を吐きそうになったことか。
ま、言ったところで、何も伝わらないし、家族のことそんな程度にしか思ってない父親に、期待もできなかった。

ただ、他の家族は「テレビは、家族の会話を引き出すために存在するもの」という感じに一応は思ってたと思う。
だから、テレビを見ながら、それをネタに会話が始まるのが、正しい姿だと思ってたと思う。

父の姿勢は、テレビに毒されたのか、どれだけテレビさんがすごいのか、さっぱりわからないが、私がテレビに対していい印象を持たなくなる大きな理由の1つになった。

別に、テレビに父を取られたなんて思ってないけれど、テレビがない方が、家族の会話や、自分自身の人生について、深く話し合えたんじゃないか?って仮説は今でも残る。

今は、家族と分かれて生活しているから、自分自身の人生とどれだけ向き合えるか?ってことだけは検証できるけど、私の場合、ネット依存症かもしれないから、テレビを手放しただけでは、ちょっと厳しいのかな?

とはいえ、会社に勤めていた時よりは、辞めた今の方が、時間はそれなりにあるわけで、また月のバイオリズム(東洋占術)を参考にしながら、その時々で、とる行動を決めていて、毎年、10月・11月は自分にとっての月天中殺でもあるので、今は、棚卸期間のような過ごし方をしている。
そういう意味では、内なる力を発揮できるよう、やれてるかな。

◆認知症になっての親父の姿

認知症が始まる前からも、借金を苦に、テレビやゲームに逃げる父親の姿は何年も見てきた。ゲームは、将棋のゲームだが、私たち、子どもたちが使わなくなったスーファミでずっと時間を潰していて、とうとう最後にはゲーム機が壊れたのを機会にゲームを取り上げた記憶がある。(子供が親のを取り上げるんだよ?苦笑)

父曰く、ゲームをしている間は、嫌なことを考えなくて済むからだと。。
今思うと、現実逃避、問題から逃げてただけなんだろうけど。

認知症になった晩年は、それが元々見ていたテレビに戻っていく。
起きてからずっとテレビの前。
夕方になると、散歩だけは認知症になる前から、1時間も2時間もかけて歩く習慣だけは身につけていて、それだけは、グループホーム入るまでは、続けてた。
もちろん、認知症になってからの散歩は、何度か警察のお世話にはなってしまってますが。それもある種の苦い思い出。ただ、散歩を止める理由もないし、一緒について歩くというのは、無理だったので、私はいつも通りの対応してました。

そして、散歩から戻り、夕食を食べて、またテレビタイム。
問題は夜中まで見ているのは当然ながら、夜中にはテレビの番組も尽きる。
そんな時に、認知症が完全に進む前は、こっちが寝てようが何しようが、「もうこの家には住めない」とか、30分以上、グダグダと話が始まる。
夜になると、不安が襲ってくるのだろうけど、こっちは寝たいときに、「聞いてくれ」というのはたまったものではなく、時には、取っ組み合いになり、首絞められたこともある。
そんな時は、心臓の音が半端なくすごかった。。

と、テレビとは関係ない話になってしまったが、テレビがどんなに好きでも、テレビは何も解決させてくれないし、現実と向き合う力を育むこともできないから、こんな風になってしまうんだろうなと、テレビ依存症の父とのことを振り返ると、そう思うしかなかったのです。

◆仕事を人に頼んでおいて・・・

テレビ関係で不愉快な思いをしたのは、父だけではなく、テレビ好きな親族とも、ちょっといさかいがありました。

大学生~社会人になりたての頃、親族が勤める会社(お店。洋服の販売員)で、バーゲンセールのチラシなどをはがきサイズで、お客様に配るとかで、会社から支給されたはがきに、空白のスペースにイラストなどを入れてほしいと、頼まれてやってた時がありました。

しかし、こっちがテレビも見ないでパソコンに向かって作業している時に、その親族は、「どういう風にやってるのかな?自分も覚えた方がいいのかな?いつも頼んじゃって悪いね」と思わないのか、私に頼むと、自分は楽しいテレビの娯楽番組を見だす。

「え?こっちは、頼まれて仕事しているのに、テレビ?」と思って、一度ならず、何度か怒ったことがある。
そして、報酬もお金とかではなく、洋服を買ってきて、「はい、洋服買ってきてあげたわよ」と。。。

いやいや、洋服が欲しいのでもなく、その洋服のセンスだって、私が気に入らなかったら、どうなの?ちゃんと金銭という形で、仕事を依頼したことに誠意を持って欲しかった・・・という感じで、最後はお仕事自体引き受けるのもやめました。

テレビが直接の原因ではないにしても、テレビっ子って、どうしてこうも、相手の気持ちを考えられないんだろう?って、思ってしまうのです。(すべてのテレビっ子を否定するものではないです。あくまでも私が体験した一例です)

家族にだったら正当な報酬を払わなくてもいいと思っているのか、その仕事をなめているのか、いずれにしても、人を見下す行為をされるだなと、結局、理解してもらえることなく、「ノー」というしか、できませんでしたが。

◆テレビがないと、音がなくて静かすぎる

人が、テレビが手放せない理由の1つとして、音がなくて、静かすぎると人は落ち着かないのかもしれない。

一人とかだと話す相手もいなければなおのこと、テレビだろうが何だろうが、人の話し声が聞こえるというのは安心するのかもしれない。

今の環境は、自然の音が入ってくる。鳥の鳴き声なんか、最たるものですね。
また、YouTubeとか、音は流せば出せるわけで。

ただ、私自身としては、「音」がない状況が嫌だという感覚が人より薄いので、ちょっと平気なのかも。

よく、セミナーや、マッサージなどの施術のバックミュージックが流れていることがあるが、そういう気遣いが逆にできてないかもしれません。

◆テレビ見ないことによる、メリット

とにかく、内なる力に対する雑音がない、ということでしょう。

自分がしたいこと、やりたいこと、をイメージする前に入ってくる情報って、刺激的で惹かれてしまうんですよね。
でも、そればっかりだと、本当の自分の心の声が聴けなくなってしまうと思うのです。

常に、新しい物好き、という名の、流行を追っかけ人間になってしまうことでしょう。それに対する体力があるうちはいいですが、情報に追いつけなくなったら、燃え尽き症候群になりやすい気がします。

後は、Twitterのツイートに挙げたように、悲劇や悲観的な情報に触れなくて済むというのがあります。

【影響の輪】と、【関心の輪】というのを聞いたことがありますか?
20数年前に、ベストセラーになった「7つの習慣」に書かれていた考え方ですが、「主体的な生き方」をするためには、【関心の輪】を小さくし、【影響の輪】を大きくしましょうというものです。

テレビは【関心の輪】を大きくするには、大いに役立ちますが、それでは「主体的な生き方」からは、ほど遠くなるということです。

早い話が、【自分の人生の主導権を取り戻そう】ということですね。

◆情報は、どこから取る?

基本ネットからで間に合う。ネットがなかった子どもの頃は、本屋の本や、新聞から情報を取ってました。
そして、自分に必要なことだけを抽出するから、必要と思わないものが入ってこないだけ楽。

後は、身近な人からの会話、身近なところを観察していれば、自ずといろんなところに情報はありふれていると思います。

そもそも、情報とは、単なる言葉の羅列ではないと思うのです。
「情報」という言葉を因数分解すると、「情けに報いる」

情報収集とは、戦争の指揮官が、戦線にいる兵士たちが「何を経験し、何を見聞きし、何を欲しているのか」までを知る必要があり、またそれに応えてやらなければならないもの。

結局は、「あなたは、何がしたいの?」
それに対して必要な知識が「情報」となる。

だから、私は「あなたの夢は何ですか?」と聞くのが好きなのか。。

◆テレビの情報、人生に必要?

ここまでくると、なんだか、繰り返しになるようだが、自分の人生にとって、テレビって必要かな?と問いかけてみたくなる。

むしろ、人生の邪魔をしていることはないだろうか?
個人的には、テレビを手放したら、真実が見えてくると思うんです。

もちろん、テレビの情報がきっかけで新しい世界観が広がることもあるだろう。
新しい行楽スポット、新しい行列のお店、新しいドラマ・アニメ、新しい音楽。

そして、身近な人との共通の話題。

テレビもツール。
使い方次第。

でも、その使い方をきちんと習得してないと、我が家のような、ミスコミュニケーションになってしまう。

インターネットも、同じ。
ただ、インターネットの場合は、特定の企業(スポンサー)の力に拠らず、身近な人が発信している情報にも触れられるのも、ある意味、多様性という意味では非常に、主体的・受動的な立場が入り混じる感じが、私はいいなと思う。

テレビは受信側。
インターネットは、受信側にも発信側にもなれる。

本来、人は、人それぞれが、「自分はこういう風に生きたい」と願って生まれてくると思っている。
つまり、生まれついての「発信者」なのです。存在自体がすでに。

だから、その発信者たる生き方をもっともっと進めていきたいから、私はテレビを手放したんだろうな。うん。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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