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情報の価値にお金を払う人、払わない人

マーケティングのZoomで、「人って、(案外)お金払わないんだ」という言葉を聞いて、インスパイアされたので、そのあたりのことを書いていこうと思います。


◆人は無料、プレゼントがお好き

まず、大前提として、「人は無料・プレゼントが好き」というのがありますね。
お金をもらうことに喜びを感じるということでしょうか。
お得感、そういったモノが嬉しい心理があるのですね。

◆無料、プレゼントを提供する側は

では、逆側の企業側の立場に立ってみましょう。
なぜ、企業は、無料やプレゼントキャンペーンをするのでしょうか?
一番、わかりやすいのはカード会社などのポイント還元キャンペーンでしょうか。

企業にとって一番大事なのは「顧客リスト」と呼ばれています。
江戸時代で言えば、顧客台帳ですね。
江戸時代の逸話で言えば、「家事になったら家財道具よりも、顧客台帳を持って逃げろ」とか、「顧客台帳を(火が来ても大丈夫な)井戸に投げ入れて逃げろ」とか言われたそうです。

それぐらい、顧客台帳さえあれば、商売道具が焼かれたとしても、商売はやり直せるという意味です。

これが、現代でも脈々と続いている訳です。

◆昔はモノ、今は情報

本当は、昔も「情報が命」ではあるのですが、お金を払う対象としてという意味では、モノがなかった時代は、モノにお金を払う感じでしたが、(不動産)バブルの頃より、モノはほとんど行きわたって、今では、情報や「価値」にお金を払う時代になったと言えそうです。

分かりやすい例で行くと「インスタ映え」という言葉が生まれたように、インスタ映えする、商品や建物・インテリア、そういったセンスという価値にお金や時間を使うということが、段々増えてきたと思います。

私たちの若いころ(?)小さいころには、そんなところにお金を掛けるぐらいなら、もっと、こういうことに・・・と言われそうなものも時代が変われば、人が求めるようになる・・・心理の変化も面白いものです。

バブルが弾けたあたりぐらいから、大量生産という言葉は聞かれなくなり、多様性とか、少量生産という、「人と同じもの」から「人とは違う目立つもの」がニーズとして高まってきたりと、時代時代によって変わっていっています。

SNSが普及したのも、「身近なあの人はどういうことをしているんだろう?」という素朴な疑問が隠れニーズとしてあったから、ここまで広まったのだと思います。

◆情報の価値にお金を払う人というのは、読書習慣のある人

私の中の仮説で、検証しきったわけではないのですが、読書習慣というのは、基本、本を買うということをしないと本というものは読めないわけです。
図書館で借りて読むという、習慣の方もいるにしても、多分、良書とかは、「買って読む」というのが、多分にあると思います。

世の中の成功者の方の多くが、読書習慣をお持ちのように、読書することは、知識・情報・叡智を広げる活動だと思うのです。

中には、飛行機のファーストクラスに、持ち込む荷物のナンバーワンが、「大量の本」だということを何かで読んだことがあります。

◆情報の価値にお金を払わない人というのは、テレビ・YouTube

まず、これらは、テレビに関しては、NHKなどに、放送料金を払う時以外、情報にお金を払うという感覚が得られにくいというのがあると思います。

テレビをひねる(あ?古すぎますね。わかる人は仲間・笑)テレビをつけてチャンネルを回す時に、何も意識しませんよね?

YouTubeにしても、パソコンかスマホ、タブレットがあれば、ほぼ無料で見れるコンテンツがたくさんなので、そこにお金を払う感覚も生まれにくいです。

テレビもYouTubeも、共通しているのは、どちらも広告ビジネスであるということ。
YouTubeなどは、さすがに、広告だけでなく、広告を消すための課金体制もありますから、一概には言えませんが、それぐらい、「無料で見れるのであれば・・」広告にこだわらない人も多いのでしょう。

◆その差の意味するところは?

本を読むという行為は、意外と「思考を働かせるゆとりがある」
反対に、テレビなどは「思考を停止させる部分がある」
というふうに感じています。

認知症の父が晩年、テレビの前にずっと居続けて、最後には「お金の悩みも全部忘れた」状態にまで行きました。
お金の悩みから逃れたくて、テレビの情報を浴び、思考停止させていたとしか、思えませんでした。

また、テレビやYouTubeなどは、広告などが入りますよね。
ちょっとした、外からの刺激が強すぎて雑念が入るイメージ。

読書は、読みながら自分の考えを巡らせるゆとりがある。
インプットのスピードも自分で決められるから、外からの刺激にそんなに振り回されない。

これって、大きいと思うんですよね。

人って、外からの刺激に、耐えきれるキャパシティってあると思うのです。
むしろ、外からの刺激が多ければ多いほど、その情報を整理するために、「寝る」ことが多くなると思うんです。

では、文字メインのSNSなどは?ということですが、SNSもちょっとした情報過多だと思うんです。映像ではないものの、広告もそれなりに入りますしね。
(余談ですが、広告をカットするアプリを入れたら、かなり楽ちんです)

思考にもゆとりを持たせる。
今後は、それが大事になってくるんじゃないかなと思います。

情報の「価値」にお金を払う、払わないと書いたのは、「情報」にお金を払う・払わないではないということ。

◆お金を払う・払わないの違いだけで

同じ情報を目にしても、無料だと、「気にも留めない」こともある。

しかし、お金を払うことが、「無駄にできない」意識からか、情報が脳の奥深くまで刻まれていく。

だから、よく「無料でも手に入る情報を、有料で払って・・・」と揶揄する人が多いが、吸収力が半端なく違うということを、私は感じるのです。

もちろん、有料で払ったとしても、「合う・合わない」の問題で吸収しにくいことは確かにあります。
私も、最近までそういう失敗も当然しました。

有料だったら有益か?と言ったらそうでもないことも、当然わかっています。
でも、「お金を出す」ということは、自分との覚悟・約束でもあると思うのです。

人から見たら、そんなことに?と思うようなことでも、「お金を払っているからこそ」得られる対価・価値は絶対にあると思うのです。

逆に、「あげるから。プレゼントだから」と言われても、「いらないものはいらない」と言える勇気とサバサバさは、大事だと思ってます。
特に、企業からの「今、~~に入ったら〇〇ポイントプレゼント」みたいなのは、余計に。
〇〇ポイント欲しさゆえに、自分の軸を明け渡してしまったら、意味がないと思うのです。

別に、企業が悪いとかそういうわけではないのです。
だって、人間心理に基づいた企業戦略は、かなり昔から行われていることですからね。

そこに精神を明け渡す・渡さないは、私たちの精神性が試されているんだと思うのです。

情報をただ、あるいは、タダ同然でもらおうとしない。
そして、ビジネスをされる方は、タダ同然で提供しない。

そこには、例え「お金」が支配コントロールの道具だったとしても、お金さん自体に、罪はないのです。
あるのは、私たちが「気持ちよくやり取りできるか?」のバランス感覚だけ。

だから、ボランティアが、世の中で生き生きと働いていないのは、対価がきちんとされてないから。責任と感謝のバランスが取れてないから。。

そのバランスのとり方が、お金以外の部分でできるようになったら、その時「お金さん」は役割を終えるのだと思います。

いくら、「お金のない世界を」と望んでも、それは、私たちの精神性も高くしていかないと、無くならないと思うのです。
何度も言うけれど、「お金」は支配コントロールの道具であっても、それに縛られているのは、私たちの「心」の方。

お金さんを悪者にしないでくださいね。
お金さんを大事にしないと、その世界には近づけないのだから。。

何かを悪者にすること、その意識自体が、支配コントロールの賜物なのですから。そこに気づいてもらえるかしら?

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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