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ミナミAアシュタールの動画でよく登場する、これからは「個」の時代という考え。
「個」を尊重しましょう。
「個」が大切。
いろんな表現がある。
要は、集団の中の一人ではなく、「私」という「個」が大切だということ。
みんなに合わせる「私」ではなく、「私は、こう思う」が言える社会。


◆「個」を尊重するというけれど

ミナミAアシュタールのアツシさんが言うには「個」は大切だけど、それ以上に、やっぱり「自立」。自立が大切なの。

この「自立」の概念が、非常にうやむやのまま「個」を尊重にライトスポットが当たったというのが、正直なところでしょうか。
丸い社会のコミュニティに入ってみたり、オフ会で会ってみたりしたけれど、なんか、ピンとこないところがあった。

◆ミナミAアシュタールの情報を取っていても

「個」を大切にしましょう。
「個」を尊重しましょう。
そういう言葉に惹かれる人同士であっても、なんとなく違和感を感じるようになった。

案外、皆、「個」というものを都合よく解釈してないか?
ということを感じるようになったんです。
アツシさんたちは、「自立が大切」と言っているけれど、多分、それを聞いても自分は自立できていると勘違いしている人は多いんじゃないだろうか?

ワークショップに行くと、わかるが、「個」としての勝手気ままな表現をすることは、何も教わらず、むしろ、自分のエネルギーを満たすことを教えてもらう。

自分のエネルギーを満たすということ、相手のエネルギーを読む、感じるということ、合う・合わないを実感することを通して、ん?私と合う人が、そんなにいなかったというだけ?と思うようになりました。

これは、別に近年に限ったことじゃなく、元々、40数年、私と合う人は少ないなぁ。元々マイノリティだなぁと感じてたことが、大して変わってないってことか、と再認識した感じですかね。

◆「我」を大切になってないか?

どうも、見ていると、「我」を大切にしてほしいという波動を感じることがあった。
自分の思った通りにやりたい。
自分の思った通りに動いてほしい。
自分の存在を、自分がどんな状況であれ受け止めてほしい。

なんだろう。。
5歳の子どもが、「ママー!見てー!」の状況に近い感じ?
大の大人が?と思うだろうが、アスペルガー気質を持った認知症になった父を観察していて、思ったのは、5歳児の心のまま、「自分の思う通りに振る舞いたい」欲求をぶつけてくるんだなと感じた。

相手はどうであれ、自分は、自分が思うように動くけれど、相手の動き・行動に対しては、あなたはそうしたいのね。と認める余裕があるか、ないかの違い。

私の中には、子どものような純粋な心を持ちながら、精神性は大人になっていく、この非常に難しい道に入ることがとても重要だと思っている。

これを単語で言うならば「自律」である。
自分を律する力。
子どもの心の言い分を、そのまま周囲にぶつけてたら、それは大人の振る舞いではない。
それこそが、「個」ではなく、「我」だと書いたゆえんである。

もちろん、人には、承認欲求・慈愛願望欲求というものがあり、愛されたい、認められたい欲求は、根底にあるもの。それ自体は否定はしません。

ただ、信頼関係の成り立たない、環境下でも、いうなれば、どこでもいつでも「愛してくれ、認めてくれ」オーラでは、人は、近寄りたくなくなるものです。度が過ぎることは、何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というようなものです。
心を開かない、自分らしくしないというのも、よろしくはないですが、過度の自己解放は、一種のエネルギーヴァンパイア状態に近い気がします。

◆モラトリアム期間という言葉

大学生の頃、心理学を専攻していたということもあるだろうが、「モラトリアム期間」という言葉を学んだ。
「アイデンティティ」という「自我の確立」のための、猶予期間のことを指す。

年齢的に言うと、大体が大学生ぐらいの年齢のあたりになるだろう。

いわゆる、自我がきちんと確立されるまで、悩みもがく、青年期特有の美しき青春時代というわけだ。子供から大人に移行する、「青年期」というのは、れっきとした期間として、心理学では考えられている。

ちなみに、余談だが、青春という言葉は、東洋占術では、「青」も「春」も、「東」を指す言葉であり、東とは、太陽が昇ってくる方向であり、これから昇っていく意味を表す。
だから、「青春」これから伸びる、若者の意を表しているのです。

これを知ったときには、「漢字」ってすごいなと思いました。
そして、大事なことは、これから伸びることであり、年齢がいくら若くても、未来がないと悲観しているような人は青春時代を過ごしているとは言わない。
また、逆もしかりで、どんなに年齢を重ねても、日々、若々しく、新しいことに挑戦する人は、「青春真っ盛り」と言っても、決して間違いではない。

話がそれてしまったが、モラトリアム期間中の人間は、それこそ自我が何なのかはっきりせず、モヤモヤしているもの。
もちろん、いろんなリア充生活などで、人生を謳歌していると思うが、「自分は何者?」という追究が一番多いときでもある。

これが、ある程度、若い時にきちんと向き合えていたり、「私は私」ということが、エネルギー的にカチッとはまっていることができていれば、それは、「個」になっていく。

私の場合は、「算命学」「東洋占術」を学んで、自分というものがわかってきたし、それを基軸に、後は現実社会で感じたこと、学んだことを、自分の中に落とし込むことをずっと続けている。

◆好きなことをしましょうというのは、わかるけど

聞きたくもない音楽を、四六時中鳴らされたら嫌なことと同じで、たまになら、許せるものも、いろんな人がいる場所ででは、節度を持って欲しいと誰もが思ってしまうモノ。

ロックが好きな人もいるでしょう。メタルが好きな人もいるでしょう。演歌が好きな人もいるでしょう。
でも、それが聞ける場所が別々だから、それぞれにファンがついてくるというモノ。
大晦日の紅白歌合戦に、いろんなジャンルの歌手が集まってきていても、年に一回のお楽しみだからこそ、普段ファンじゃない人が見ても、楽しめるというものですね。

同時に、自分の発信の場というのは、ネット上ならば、自分のブログページなり、HPなり作って発信していくもので、大衆の中で、それこそ掲示板のようなところに、自分の発信の場を占領してはいけないと思います。
路上スペースに、いろんなアーティストが歌うのはいいけれど、それを特定のアーティストが占領していたら、そこにちゃんと代価を払ったの?と思ってしまうことでしょう。

昔、よくあった壁スプレーアートも、場所によっては、器物損壊罪ということもあったかと思います。ネット上では、そこまでいかないまでも「荒らし」みたいな捉えられ方をする可能性もあります。

好きにも、発信する場所、環境をわきまえましょう、という話でした。

◆アチーバスというゲームでは

「Achieve(達成する)+Us(私たち)」の造語でアチーバス。

このゲームでは、みんなで達成するというゲーム。
みんなで達成するというからには、「個」は失われてしまうの?と思うかもしれない。

でも、このアチーバスが好きで、アチーバストレーナーになった、仲間と会うと、「なんで、こんなに心地いいの?誰も遠慮もしないし、誰もがフレンドリーだし」と不思議な感覚になります。

もちろん、トレーナーになるぐらいだから、ゲーム中の「安心安全な場づくり」が得意な人たちの集まりであることは確かです。

でも、数か月ぶり、数年ぶりに会ったとしても、なんか、昔からの友達みたいに、スッと話題に入れる。

ゲームの中には、「今、チームのレベルはどれぐらいか?」というのを図る指標があります。
偉大なチームから、タダの集まりまで、ポイント別に分かれています。

トレーナー同士だと、やりなれたルールゲームであれば、偉大なチームになることも可能です(時には、調子が出なくて、チームレベルが下がることもありますが、それもご愛嬌という感じで)

だからといって、トレーナー個人が、個性がないわけではないです。
むしろ、個性豊かでいられるからこそ、全国で数百人規模になったのだと思いますし。

しばらくは、トレーナー養成講座開催も控えられていましたが、今後は徐々に復活していくことでしょう。
私は単なるイチトレーナーなので、アチーバスジャパンのスタッフでもなんでもありませんが、トレーナー仲間が増えることは嬉しいのです。

◆チームの形の変遷

私の中で、理想のチーム、理想の組織、そういったものの追究を、してきました。

自分の中でなんとなく、この順番で、チームが変遷していくのかな?という風に感じています。
もしかしたら、順番ではなく、交互するかもしれませんが、そのあたりは境界線がはっきりしているわけではないということで、ご理解いただければと思います。

1)win-win (ウィン-ウィン)

7つの習慣という本の中で出てくる概念で、自分の要求も相手の要求も満たす交渉事ですね。
そのためには、自分が何を大事に思っているのか?相手が何を大事に思っているのか?それを1つ1つ丁寧に確認していくことが大事になってきます。

この時点で、「自分」というものがしっかり確立していないと、lose-winになりがちです。いわゆる自己犠牲ですね。
あるいは、自分の「我」を通そうとして「win-lose」をやって信頼関係を壊したり。いずれにしても、要求がそれぞれに違う状況ということが前提になります。

2)アチーバス(Achievus)

アチーバスは、ゲームなので、現実社会に当てはめるとなると、1つの夢に向かってみんなで達成するという形になります。
甲子園優勝だとか、
学園祭成功!だとか、
全国ナンバーワン!みたいな感じでしょうか。
ある意味、青春物語ですね。
みんなの心が一つになるという感じ。

3)メタドリーム(Metadream)

これは、アチーバスジャパン代表の梅ちゃんに教えてもらった考え方なのですが、「あなたの夢と私の夢を掛け合わせたら、こんな新しい夢が出来上がっちゃった!」というものです。

「メタ(Meta)」という言葉は、メタ認知、だとか、今だとメタバースでも使われるようになりましたが、「超」とか「超次元」という意味らしいです。

要は、「別の新しい次元の夢を描きましょう」というのが、メタドリーム。
実は、7つの習慣の作者、スティーブン・コヴィー博士も、「第3の案」という本を上梓しています。7つの習慣ほど、メジャーになってないし、何しろ分厚い本ですから。

これら3つの考え方は、
win-winだけだと、いつまで経っても「私たち」にはならない。
Achievusだけだと、1つになることはわかるけど、なぁなぁになりやすい。
メタドリームで、win-winとAchievus両方のエッセンスを盛り込み、自分たちの夢を作り出し、満たしていくことができる。

1のwin-winでは、相互理解の訓練
2のAchievusでは、1つになる訓練
3のMetadreamでは、和える訓練

言葉で表現するのは、簡単ですが、それぞれを「できる」にまで持っていくのは、かなりの訓練が必要でしょう。
でも、この3つのスキル、訓練を使いこなせば、自分の夢が、他の人の夢と融合し、より大きな夢になっていく。

なんだか、ワクワクしますね

◆結論として、個を大切にすることと

チームを作っていくことは、連動していくと思うのです。
理想のチームを作る過程において、「個」が良い形で磨きあげられるのではないか?というのが、私の今の考えです。

一人で勝手に楽しくするだけでは、それは、ある意味崇高なことかもしれませんが、それでも、その感性を人と分かち合えたり、チームを作って、より大きな夢・形にして行けることの方が、喜びも大きくなるのではないか?と思うのです。

ただ、会社組織のような凝り固まった形ではなく、気の合う人と、その時その時で、プロジェクトスタイルで組むことができれば、エネルギーの流れも通りやすくなるのだと思います。

私はアーティスト気質ではないので、どちらかというと、アチーバスのファシリテーションや、win-winのサポート、メタドリームの和える役などができれば嬉しいなと思うのです。
それ以前に、こういった価値観・考え方を分かち合いをすることが、私自身にとっての自己表現になるのです。

「我」を通すだけでは、高いステージには行けないけれど、チーム作りのステップを踏むことによって、夢があなたを高いステージに連れて行ってくれるのです。
そうなって、初めて「個」が尊重され、個の表現が大きな形となって表れるのです。
その状態が、お互いの愛と尊敬、尊重ということだと、私は思うのです。



次は、大みそかの日に、今年最後の記事をUPします。
最近は、今年・来年という区切りをあまりつけない生活になってきました。
淡々と、記事をUPしていけたらいいなと思います。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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