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国際文化交流を振り返って

はじめに:原風景

私の原風景は、ざっくり言うと、名古屋の生活と『大草原の小さな家』シリーズにあると思ってる。

(突然の告白恐縮ですが、こないだ三島の友達と飲みに行ったとき帰り際になんでだか忘れたけど昔の話したら、日本では昔の話をした方がいい(海外経験豊富な友達)と言われたけど、でも言う機会はないだろうから書いてみた。過去の楽しかった栄光を今更言うのもなんだかなあと思ったけど、振り返ってみると、自分が思ってるより仕事観に影響を与えているのかもしれないなと思った。大学時代の就活で振り返っていればなあ~~~!!!)

名古屋とヒッポ

2歳から5歳まで親の仕事の転勤で名古屋に住んでいた。名古屋市立の幼稚園に通っていた。都内で見るような園庭の3倍くらいはあるんじゃないかという広い園庭(20歳の時幼稚園に行ったので大人目線です)で、毎日走り回ってピカピカの泥団子を作っておままごとして遊んでた。文字の読み書きは小学校に入るまで勉強してなかった。

あと、私は生まれる前から中1まで(多分、母が学生のときに興味を持っていた活動)ヒッポファミリークラブという国際交流団体に入っていた。

ヒッポファミリークラブ-親子で多言語!国際交流! (lexhippo.gr.jp)

赤ちゃんがことばを真似して自然習得するように、どんな世代の人もいろんなことばを音楽のように歌って踊って習得しようという団体。言語の"お勉強"ではなく、輪になって個人が今日は○○語で歌います。など言って、音声の物語の真似をしたりする感じだった(そのこがアメリカにホームステイする話とイチローのメキシコの話、結構覚えてる)。

ヒッポはホームステイの受け入れと派遣をしている。私も物心ついたころから(in名古屋)、中国、韓国、ロシア(3回,4人)、ジャマイカ、台湾、エクアドル、アメリカ、etc…一番長かったのはルクセンブルクのクリス君で3週間、受け入れをしていた(といっても私は子供だったから遊んでもらっただけ笑)。

私も2歳のとき、家族で韓国にホームステイして、
小5の夏休み、極東ロシアにホームステイした。その時の同い年のホストが小6の春休みに家にホームステイに来た。

いまはロシア語はおろか、何語も習得できてないが、、、私の場合、ここ数年ダンスに目覚めたのは、名古屋の幼稚園と、ヒッポの歌って真似する自然習得と、読み書きができない頃からの非言語国際交流のぼんやりとした記憶が引き出されたのかなと思ってしまう(ちなみに双姉は言語の方に目覚めた笑)。

「芸どころ名古屋」で何の習い事もしてなかった(ヒッポは自分の中では習い事に含まれない)。名古屋でジャワ舞踊とコンタクト・インプロヴィゼーション始めたのも何かの縁!?

冒険へのあこがれ

『大草原の小さな家』シリーズは、小学校4・5年くらいのこどもの日に、丸一日観ていたからよく覚えている。小学生は長時間液晶画面を見ちゃダメ!と言われてたのに、今日はこどもの日だから特別ね、と母が言ったのがこども心に新鮮だったから覚えている。お父さんの西部開拓っぷりとローラが意地悪な女の子に「country girl」と言われて立ち向かうところ、かっこよかったです。私は小学生の頃ははやみねかおるの本と『少女ポリアンナ』と『神様のボート』と青い鳥文庫の何冊かしか読んでなかったから原作は読んだことない・・・いつか読みたい。

踊る島

また、これは生い立ちと関係あるのかわかりませんが、
私の同世代のいとこ3きょうだいは、沖縄生まれ沖縄育ちです。
両親(私の叔父と叔母)は東京生まれ東京育ちですが、92年に沖縄に移住して以来、ずっと沖縄に住んでいます。けれどいとこの顔つきは、先祖代々沖縄の人??って感じの顔してます。不思議~


岡本太郎『沖縄文化論』

そのこととは関係なく、私の南の島の踊りへの決定的な関心は
2020年に岡本太郎の『沖縄文化論』をたまたま読んだことと、
そのあと、オーストロネシア語族というのを知ったことでした。

フラのみならず、広い範囲の島々めぐりたいな~っと思いました!


静かで、けれど情熱のこもった踊りの文章、
素敵だなと思った。

水と水が出会ったとき

というわけで、7月15日に開催された「舞踊の帯vol.6-国際文化交流絆の会 ジャワ舞踊と琉球舞踊~おんながおとこに おとこがおんなに~」はまず韓国語、琉球語、インド語、インドネシア語等の挨拶から始まり、みんなで輪になって踊る、で終わったため、わたしはヒッポのようだ!と懐かしく思った。

水をテーマにした創作舞踊は、インプロヴィゼーションに見えた。わたしが3月から参加している佐久間さんのワークショップの動きと似た部分があったし、そうだ、わたしは事実「水のように」動くと言われて泳ぎたくなってきたのだった!

ちょうど数日前に読んでた本

先日観たNDTが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のような複雑に入り組んだ小説であるならば、今日の水をテーマにした創作舞踊は、『水と水とが出会うところ』のような詩のようなものに思える。

人間みんな魚だったんだなぁとふと思った。

わたしはハワイのフラという型の決まった民族舞踊からダンスに本格的に興味を持ったが(もっと前はモダンとクラシックバレエ)、いままで伝統舞踊の型というと、融通が利かないようなイメージを勝手に抱いていた。けれど、今日男性が女性舞踊を踊り、女性が男性舞踊を踊るのを観て、伝統舞踊ってある意味自由なんだと思った。固定概念捨てないとなあと思った。

伝統舞踊からコンテに発展するのも、
伝統舞踊が伝統舞踊の形式を保ったまま、現代の状況に合わせて踊り継がれていくのも、
確固とした型があるからこそ、なのかも?と思いました。

真似から新しいことは始まるんですね!!

海の日に、水がテーマの南島の踊りを観たからか、もしほかのジャンルのダンスで水がテーマと言われた時、今回ほど水をイメージできなかったかもしれないなとちょっと思いました。

沖縄の海と、まだ見ぬインドネシアの風景を音楽で水が流れるように結びつけながら、観ていました。


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