記録と記憶

「ジャワ舞踊からジャワ舞踊へ」3月10日@名古屋西念寺 の感想


ジャワ舞踊を初めて踊ってみました。

わたしは昔から物事が長続きしない人で、
今回もなぜ突然ジャワ舞踊なのか、そして、長く続ける気はあるのか
というのは自分でもよくわからないのですが、

ひとまず、とにかく、というかいま現在、わたしはコンテンポラリー・ダンスに伝統舞踊(とくにガムランをはじめとする南洋音楽)に福祉という領域に興味を持っていて(基本的にいろんなジャンルを分けたくはないのですが…。あと、わたしの昔からの特徴としては欲張りなのかもしれない笑。そして専門知識もないまま飛び込みがち)後先考えずに行動していた結果、今回ジャワ舞踊を踊ることになりました。

ジャワ舞踊だけでなく、コンテンポラリー・ダンスや福祉のお話や動画を拝見し、欲張りなわたしにとっては盛りだくさんな内容で充実していました。

水のように

ジャワ舞踊に入る前のステップ?として、バレエの2番グランプリエのような脚にして、白鳥のような腕をつける動きを行いました。
言葉で言おうとすると、バレエ用語になってしまった!

「水の中にもぐるように沈んで水から顔を出すように起き上がる」とWS共同主催者の佐久間新さんはおっしゃいました。

そこで水の中をイメージしながら
何度も繰り返すうち、泳ぎたくなってきました…
海で泳いた記憶がよみがえった瞬間でした。


ナマハゲのような鬼のような動きや、八の字、滑らかに手を動かす動きもしました。
その動きでインプロビゼーションのようなこともやりました。(コンテンポラリー・ダンスしている~!)

最初からがっちりジャワ舞踊のステップを叩きこむのではなく、自然をイメージして自然に踊ることが私にとってはよかったです。

ジャワ舞踊を踊るためにその動きができたであろう原点に立ってまずは自由に踊り、それから少しジャワ舞踊のステップを踏むという流れが、

まさに「ジャワ舞踊からジャワ舞踊へ」でした。

アートやデザインが自然の形や音からできているという、考えてみれば当たり前のことを思い出させてくれました。


記録と記憶

「ジャワ舞踊からジャワ舞踊へ」のWSの中間あたりで
(まさにジャワ舞踊から、のあたり)、
ALSに罹患されたダンサーとそのパートナーの方と佐久間さんのダンスの動画を拝見しました。

最近観た舞台(「ねじまき鳥クロニクル」)の感想で、死んでしまったら身がないので何も経験できないというようなことを書いたのを思い出しました。このとき、わたしは現実的な痛みについて書いたのですが、今回のダンス動画を観て、また違ったことを感じました。

神経がなくなってしまったら、死んでしまわないけれども、痛みは無い。

しかし、動画に撮って記録して、後からその動画を見ることで、記憶がよみがえるのではないでしょうか?また、時に映像は映画のように芸術的に観るひとの記憶を呼び覚ましたりするものなのかもしれません。

身体的な痛みは無いものの、心の痛みは記憶する。楽しかった思い出も記憶する。喜怒哀楽。
そして人間には考える脳があるから、イメージができる。

技術を使って記録して、脳があるから記憶や思考ができる。だからこそライターのブレイディみかこさんのおっしゃった"体への郷愁を捨てられない"という気持ちが生まれるのでしょうか。

ジャワ舞踊へ

最後に、ジャワ舞踊のステップを習いました。
その前に、階段をゆっっっっっくり登るという動きをしました。
片脚を階段に乗せるとき、骨を乗せるようになるべく筋肉を使わずにスッと上昇するというのが、意外と難しかったです。

また、ジャワ舞踊のステップもとってもゆっくりでした。
これは”ゆっくり時間をかけてひとつのことに集中しなさい!”と
飽き性なわたしに自然が語り掛けているようでした。

マイペースに歩んでいきたいと思います。



















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