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「ワクチン 残る不信」の記事を読んで

2023年1月17日(火)毎日新聞を読んでいたら「ワクチン 残る不信」の記事があった
この記事に対する違和感を文章化した
なおすべての毎日新聞の記事に目を通しているわけではないので
その点ご宥恕いただきたい

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この記事は、ワクチン接種をめぐる社会への亀裂に警鐘を鳴らすものであるが
よく読めばワクチン推進の立場を採用している
以下そう考える理由を説明する

とある男性の体験談では、「打たない判断」を隠さなければならない社会の息苦しさを伝え
「ワクチンの接種を妨害したり、デマを流したりするような反ワクチン団体の主張」に賛同はしないが、その姿勢として共感する旨紹介している

ジャーナリストに問いたいのはまずここである
「反ワクチン団体」とは誰のことを想定しているのか
「ワクチン接種を妨害」し「デマを流」す団体をそう呼ぶのだろうか
「デマを流」すというのは、何をもって、デマと認定したのか
仮に、とある情報がデマではなく、科学的・医学的根拠のある慎重論であれば、そうした情報に基づいて合法的に「ワクチン接種を妨害」しようとする主張や行為はむしろ正しい場合がある
記事はこうした疑問に対し、何も答えず言葉を使用する

これは大きな論点である
初代ワクチン接種推進担当大臣は、慎重論を含め「デマ」であり「反ワク」と主張した
これは新型コロナを怖れる人々に歓迎され、若者に対しても、Youtubeなどで広く宣伝された
【拡散希望】河野大臣…コロナワクチンって本当に大丈夫なん…? - YouTube

つまり「デマ」や「反ワク」という言葉が、薬害を生む危険を無視するほどに拡大されている現状がすでに存在しているのである
これに対して記事が、自らの判断基準を持たず、現状の言葉を無批判に使用し続けるならば、そうした言葉の使用法を肯定しているに等しい効果を生むおそれがある
言葉が政府や官僚により統制されるのだとしたら検閲であろうし
新聞社や記者が自主規制するなら
自ら表現の自由を放棄している

「被害救済追いつかず」の小見出しでは、いわゆる接種後の死亡につき、検討している
記事は「これらには接種とは関係なく死亡した人も含まれている可能性」に言及する
なるほどその可能性は否定しえない

「副反応検討部会」はワクチンの安全性を監視し、メリットとリスクを判断する場であるという
被害救済のためには「健康被害救済制度」があり、接種と被害に厳密な因果関係を必要とせず、因果関係が否定できない場合に救済する
その判断は「疾病・障害認定審査会」が行うという

記事を読んで興味深いのは、上記審査会の判断が遅い理由として
委員の中には、新規のワクチンであることを理由に「接種して何が起こるのか簡単には判断できない」、「経験的な判断がそのまま通用するのかどうか、分からない」という人がいたという紹介である
これは、重大な点である

安全性を危惧する人々に伝えるべきは、むしろこういう声なのではないか?確かに、危惧はある、と。
安全性が高いと考える人々に対しても、有益な情報ではないのか?
実は、危惧を抱く専門家もいる、と。
専門的に判断するであろう委員たちも「判断できない」「分からない」というのが現状である時、なぜ「安全だ、そうでない判断はデマだ」という安易な二分論を、新聞各社はこれまで否定しようとしなかったのだろうか

もうひとつ指摘しておこう
実は「新型コロナ感染症による死者とされる人の中には、新型コロナ感染症とは関係なく死亡した人も含まれている」ともいいうる
2点だけ述べておく
① 現在、新型コロナ感染症は、PCR検査で陽性であれば、「患者」とみなされる
本来、ウイルスが感染することと、単に暴露することとは別である
今や、陽性であれば感染したこととなってしまう
つまり、新型コロナ感染症「感染者」の数は、他の感染症と比較して広い範囲で数えられている
【自治体宛】新型コロナウイルスを検疫法第三十四条の感染症の種類として指定する等の政令等(施行通知) (mhlw.go.jp)
*「新型コロナウイルス感染症の無症状病原体保有者を新型コロナウイルス感染症の患者とみなして、入院の措置の対象とする。」とある

② 現在、新型コロナ感染症による死者とされる中には、交通事故による死亡であっても、陽性反応となれば、新型コロナによる死者に数えられる
つまり、新型コロナ死者数もまた、他の死因と比較してもっとも幅広く数えられている
事務連絡案ver7 (mhlw.go.jp)
*「事務連絡中の『新型コロナウイルス感染症患者が死亡したとき』 については、厳密な死因を問いません。」とある
この点は昨年来報道されるようになっている
重症ゼロなのに、なぜか「死者6人」の県…原因は「厚労省ルール」か : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
*毎日新聞でも過去に同様の指摘をしているのかもしれない

「急がれる『後遺症』対応」という小見出しでは、ワクチン接種後、コロナの「後遺症」のような症状で長期的に苦しむ人々を紹介している
そうした人々は当然ワクチンに不信感を持つ
ここで、記事は、不思議な方向に舵を切る
「ワクチンへの不信感を拭おうと、自治体レベルでの救済に向けた動きもある。」
これは不思議な一文である
ワクチンへの不信感は、ワクチンの有効性と、(これまでに言われてきたような高いレベルの)安全性によってしか、拭うことはできないはずではないか?

救済されないという不安は、政治や医療(あるいはマスメディアも含むかもしれない)に対する批判的認識に基づく
記事はいう
「ワクチン接種によってコロナのリスクを大幅に下げたことは科学的にも明らかだろう」
それが、どのように科学的に明らかなのか、何も言ってはいない
そこをこそ記事にすべきではないのか
そこを説得力のあるかたちで記事にできないから
人々の不信はますますつのるのではないか
記事は、最終的には「透明性を欠いた政府の姿勢」が、ワクチン接種を巡る社会的分断の背景にあると示唆している
市民のひとりとして言いたい
そうした政府の姿勢と同様、新聞各社も、TV報道も、ワクチン接種に慎重な立場の意見を無視し、あるいは申し訳程度にしか掲載せず、ある時には「デマ」「反ワク」に該当するかのように、報道してきたのである

社会の分断の背景は政府の姿勢だけでは決してない

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