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科学と哲学の狭間に④脳が決めるジェンダー・アイデンティティ

大学1年の時、「男の脳・女の脳」(川上正純著 紀伊国屋書店 第1版1982年)という本を古本屋で見つけて、自分のジェンダー・アイデンティティがいつできたかなんて、今まで考えてもみなかったということに初めて気が付いた。当たり前だと思っていることが、実は当たり前ではないというのはよくあることであるが、精巧で緻密な人体の発生過程の中でも性分化の過程というのは実はかなり複雑である。一人の人間が出来上がるまでに男性になるか女性になるかのチェックポイントのようなものが何回かあるのである。
まず、受精したときの染色体により、男性女性の分化の方向性が決められる。男性はXY, 女性はXX,というのは中学校の生物学でも習う話であるが、性分化に関係ある遺伝子は基本的にY 染色体上のみにのっている。性決定遺伝子Sry, 精子形成に必要なDazなどの遺伝子がそれである。X染色体は男女ともに持っていることからわかるように、X染色体上に女性になるための遺伝子というのはない。Sryがあれば性腺が精巣に、なければ卵巣に分化するようになっている。
胎生3,4週ごろに生殖腺の分化は始まる。それでは生殖腺のでき方に男女の違いはないが、Y染色体の有無が生殖腺の分化の運命をわけ、精巣または卵巣が誕生する。
精巣、卵巣はそれぞれ性ホルモンを分泌する内分泌器官であるが、性分化に影響するのは精巣から分泌される男性ホルモンアンドロゲンである。生殖器のもとになる内生殖原器はもともと性的両能性、つまり男性器、女性器どちらにでも分化できるが、アンドロゲンの作用によって精管、精嚢、精巣上体ができる。アンドロゲンがなければ卵管、子宮、膣ができる。
外生殖器の分化も同様にアンドロゲンがあれば陰茎、陰嚢ができるが、女性器である陰唇、陰核ができるのに女性ホルモンの刺激は必要ないのである。
脳の性分化についても同様にアンドロゲンが関わっていると考えられている。精巣のある胎児では妊娠16週あたりをピークとして脳が高濃度の男性ホルモンに晒される。アンドロゲンシャワーと呼ばれる高濃度のテストステロンに晒されることで脳は男性として分化する。テストステロンの濃度が低い場合は女性として脳は分化していく。

以上が大変大雑把な男女の性分化の仕組みである。ではこの一見よくできた仕組みの何がチェックポイントなのか。
まず、染色体はXX, XYの2通りしかないといえるだろうか。否、非常にまれではあるが、
X0, XXY, XXXYなどの染色体をもって生まれてくる人がいる。X0をターナー症候群、XXYをクラインフェルター症候群という。前者はY遺伝子がないので女性、後者はX染色体が重複していても男性になるが、不妊などの問題があって改めて染色体を調べてみなければわからない場合もある。さらに、簡単な染色体検査ではわからないケースというのもある。Y染色体上で性分化に影響する遺伝子は限られているので、Y染色体の一部がX染色体に転座してX染色体がSry遺伝子を発現した場合、染色体がXXでも男性になることになる。
次に、性腺が精巣に分化し、アンドロゲンが分泌された場合でも生殖原器がこの刺激を受け取れない、というケースがある。性分化は男性になる道と女性になる道の2本にわかれているのではなく、男性化する刺激があり、男性化しなかった場合の受け皿として女性になる、という方法をとっている。誤解を恐れずに言えば、途中まで男性として分化が進んでも、男性化への道にトラブルがあってドロップアウトすると、分化が止まるのではなく女性化していくのである。アンドロゲン受容体の欠損、または発現異常があった場合、生殖原器はアンドロゲンの刺激を受け取れないため、精巣がないのと同じようにその先の分化をすすめていく。つまり、子宮や卵管ができていくわけである。受容体が完全に欠損していると見た目もアイデンティティも女性になり、女性として人生を送るのが普通である。ただ、性腺の分化までは男性として進んでいるので、このケースの女性は卵巣を持たない。結婚しても子供ができず、不妊症の検査をして初めて気づかれることも多い。受容体が完全に欠損していれば女性として生活してほぼ問題ないといえるが、精巣性女性化症には程度の違いがあり、外生殖器がほとんど女性のものから陰茎のような陰核を持った人まで様々であることが知られている。それでも、出生後の性別の決定は外生殖器の性状、つまり見た目で行われていて、一旦決定した戸籍上の性別を変更するのは非常な困難を伴う。
アンドロゲン受容体の欠損というのは、男として生を受けたはずなのに発生の途中で女になってしまう割合単純な例であるが、ジェンダー・アイデンティティも女性になるため、本人に性別を強要されているという認識はないはずである。

では、体が男性で脳が女性という分化をおこすケースは説明できるだろうか。
私はこの分野の専門家ではないので人の脳の性分化については正確なところがどの程度分かっているのか恥ずかしながら正確に説明することができないのだが、マウスやラットの動物実験によって体は雄で性行動が雌、あるいはその逆の個体を作ることができることは知っている。簡単な一例をあげると、ラットの場合精巣から分泌されるアンドロゲン(の中のテストステロン)は脳内でアロマターゼという酵素の働きによりエストラジオール(女性ホルモン、エストロゲンである)に変換されて脳内のエストロゲン受容体と結合し雄性化を促している。女性ホルモンが男性化を促すとは不思議な話だが、ラットでは母体から移行するエストロゲンが脳に作用しないようにエストロゲンと結合しその作用を妨げるタンパクがあるので、テストステロンだけが脳内に移行して性分化に関係のある場所でだけエストラジオールに変換されて作用するので、脳内レセプターとしてエストロゲン受容体を使っていても雄性化の刺激が入るのは雄だけになるのである。脳の性分化は生殖器の分化より遅れて起こるので、脳の性分化が起こるタイミングに合わせてにアロマターゼを阻害してしまうと、そこまで正常に雄に分化した個体でもテストステロンが脳の雄性化を促せず、生まれた個体は雌の性行動(雄の射精を促すロードーシス行動が有名)をとるようになる。性同一性障害ラットの誕生である。脳の分化の仕組みはげっ歯類とヒトではかなり違っており、ラットの実験が即人間にもあてはまるとは言えない。そもそも動物にジェンダー・アイデンティティを聞くわけにはいかないから、実験でわかるのは性交のときに雄、雌どちらに特徴的な動きをするかということだけである。しかしながら、胎生期に与えられる様々な要因で体の性と行動の性が乖離する個体が生じ得るということはげっ歯類の様々な実験で検証されており、性行動は脳の決めた性に従っていて、「ペニスがあるから射精する」というような外見に支配された行動はとらない。ましてさらに複雑な脳機能を持つ人間なら、このような乖離がおこる要因は多々想定でき、生まれたときに赤ん坊にペニスがあるというだけで「おめでとうございます!男の子です」という医療従事者の単純な性別決定がときに軽率で罪深い宣告になり得ることは想像に難くない。

私はこの分野の専門家ではないけれど以前から性同一性障害がどうして起こるか、ということに関心を持っていた。性同一性障害の人の苦しみを100%理解できているとはもちろん思っていないが、そのような障がい(という言葉を使うのも嫌なのだけど…)が起こりうるということについては科学的に理解できているつもりである。理解というと僭越であるが、もちろん、現代の医学が脳の性分化を全て解き明かしているとは思っていない。ホルモンの情報が細胞内に伝わるには受容体だけでなく情報をリレーするタンパクがいくつも関わるので、それらの異常まで考えれば、人の性同一性障害には無限のパターンがあるとも考えられる。医学的理解というのは、それらをすべて解明するという意味ではなく、本人の望まないところで、生まれる前からジェンダー・アイデンティティが決定されてしまうこと、それが肉体の性、特に目に見える外性器の性別と必ずしも一致しないこと、そして、一度作られてしまった脳の性別は出生後に人為的に変えることはできないことをわかっている、という意味である。さらに付け加えると、人が性同一性を認識する脳の部位と、性行動を司る部位は違うらしいこともわかってきているので、動物実験では証明できない、ジェンダー・アイデンティティが男性で性的欲求を感じる相手も男性といった同性愛者の性的思考も医学的に理解できると思っている。

LGBTQという言葉が一般的に使われるようになって、性別を気にしなくてもいい場所が増えたり、同性婚が認められたりすることは好ましいことだと私は思う。ただ、この問題について法律や政治ばかりが先行していて、医学的な理解が追い付いていないような気がして心配である。社会一般が、というより実は医師がこの問題についてきちんとした教育を受けていないのではないかと思うのである。少なくとも、私が医学部に在学していた間に聞いた発生学の講義では内外生殖器が形態上分化することしか取り上げられていなかった。性分化を専門にしている研究者が各大学にいるとは思えないので、おそらくどこの大学でも大して変わりはないであろう。現在、臨床に携わっている医師の中で、少なくとも50歳以上の医師はLGBTQに関する公式の専門的な講義は受けていないと思われる。不安なことは、LGBTQの人々の社会運動が活発になり、勇気をもって自分の生きづらさを告白しようとする若者が現れたときに、その最初の窓口となるであろう医師や学校の先生が医学的理解をもたないために彼らを傷つけるのではないか、ということである。性同一性の問題はもっと科学的にも取り上げられて然るべきであると思う。どんな差別であっても無知という罪はつきものであるが、医学の問題に関して医師が無知であることは許されないのではないか。

一つの事実として、トランスジェンダーの人々が所謂水商売をしていたり、芸能の世界で仕事をするにあたってあたかもそれを自分の”売り“のようにしているように見えることがあるかもしれないが、それをもってトランスジェンダーが奇矯な人間であると考えるのは偏見以外の何物でもない。トランセジェンダーを告白した彼らにどれほどの職業選択の自由が残されていたというのか、我々は社会の狭量さをこそ反省すべきである。また、LGBTQという言葉が最近になって認知されるようになったからといって、性同一性の問題を抱える人が今までいなかったわけでもない。むしろ、性同一性障害に悩む人はいつの世にも存在したが、世間の常識に圧殺され自分と周囲を欺く苦しみを抱えたまま生涯を過ごしていたと考えるべきである。自分らしく、ありのままに生きて幸福を享受する人が一人でも増えるように人間の社会は常に前を向くべきであり、科学にはそれを後押しする力があると思う。

科学と哲学の狭間から声を上げなければいけない問題は多い。

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