中国軍名将『彭徳懐・ホウトクカイ』🇨🇳

中国の偉人や有名人では必ず「毛沢東」が出てくると思います。皆さんも歴史の授業が退屈(楽しい)だったと思うので「毛沢東・ケザワヒガシ」と読んでいたと思います。僕も「ケザワヒガシ」と呼んでいました。

毛沢東の覇道の隣には必ず彭徳懐が側にいました。毛沢東は「劉邦」であり、彭徳懐は「韓信」なのです。

毛沢東は人を組織的に操る術に長けていました。反対に彭徳懐は一兵卒の頃から軍略に長けていました。彼らはまさに一蓮托生の主従の関係だったのです(黒執事的位置)。

※毛沢東と彭徳懐が合流する前後話しや朝鮮戦争後の話は今回は省きます。今回は朝鮮戦争で彭徳懐が活躍する話しです。毛沢東と彭徳懐が合流する前後話しや朝鮮戦争後の彭徳懐に興味がある場合にはメッセージや反響で続編を執筆します。

彭徳懐は毛沢東の指令で抗美援朝(抗米援朝・朝鮮戦争)に義勇軍司令として参加しました。なぜ中国軍としてでなく義勇軍なのかは政治的事情です。中国としても当時の米国と直接対決は避けたかった。だけど北朝鮮が陥落したら、韓国(自由陣営)が隣接するので北朝鮮を失うわけにもいかなかった。

その後なんやかんや米軍及び韓国軍が朝鮮人民軍と衝突しました。まだこの時彭徳懐はいません。米軍司令マッカーサーはこの時北朝鮮の首都平壌を陥落させてから朝鮮人民軍を追撃掃討に移行しても中国軍は参戦しないと考えていました。マッカーサーはその後も撤退する朝鮮人民軍を追撃しながら中国国境付近の鴨緑江に迫りました。ですがこの時彭徳懐率いる義勇軍「人民解放軍」は動いていたのです。

彭徳懐は鴨緑江を渡った韓国軍に強力な攻撃を加えました。夜間に秘密で渡り山間部に潜みながら部隊を鴨緑江付近の山岳部に伏せていたのです。これにより彭徳懐は米軍を欺くことに成功しました。その後も彭徳懐は鴨緑江を渡った韓国軍に攻撃を加え韓国軍を蒸発させました。

アメリカ軍は彭徳懐率いる義勇軍(人民解放軍)撃破のために進撃しましたが立ちはだかったのは朝鮮人民軍でした。彭徳懐率いる義勇軍(人民解放軍)は後方に部隊を再配置し反撃陣地を構築させていたのです。朝鮮人民軍は囮で撃破される前提の捨て駒なのです。

予想通りアメリカ軍は貧弱な朝鮮人民軍を撃破した後に進撃を開始しました。しかしその目の前には反撃準備が完了した彭徳懐率いる義勇軍(人民解放軍)が山岳部から突如姿を表して襲いかかってきたのです。とあるアメリカ軍の連隊では10倍規模で襲いかかってきたと語っていた。

我々の中国軍のイメージは質よりも量のイメージが強いです。確かにこの時の戦いも中国軍は量でした。しかし彭徳懐率いる義勇軍(人民解放軍)は量と質を活かしていました。

なぜなら彭徳懐は旧日本軍と米軍及びソ連製武器を多数保有していたのです。他にも彭徳懐は旧日本軍との戦いで山岳戦のエキスパートでした。

彭徳懐は最新の武器と人海戦術でアメリカ軍を最悪の撤退戦に強制参加させたのです。この時国連軍の死傷者数は一万以上に上った。

我々がイメージする弱々な中国軍のイメージとは程遠いですね。

僕の文章力が乏しいので彭徳懐や当時の中国軍の強さをこれでもかと紹介できなくて歯痒いです。本当にごめんなさい。

僕なりに彭徳懐を紹介してみました。皆さんの応援が励みになります。これからもよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?