ほっと一筆「忘れた本をもう一度読むことは初恋をやり直すような作業」

2023.6.5


昔よく聴いていたはずなのに、一時期ばかりの自分の流行りで聴いたもんだからその後繰り返し嗜むことなく忘れてしまった音楽がある。


往年の名曲とか、時代を席巻したヒットソングとか、そういうのは忘れないし、自分が好きなアーティストの曲は新しかろうと古かろうといつの時代も聴き続けているから忘れない。


でもそういうカテゴリから外れた歌は、口ずさむことさえできなくなっているし、サビを聴いてやっと「ああ!」と符合する。


音楽だけではなく、それは本にも同じことがある。


昔は紙の本を買って積み上げていたから、読んだ本は何度も何度も読み返していて、特にお気に入りのものはボロボロになるほどだった。


心に残ったフレーズやあらすじが、時折ふと思い出されるほどには、擦りまくっていた。


それが、今、電子書籍であらすじを読んだとき、確かに持っていて読んだはずなのに「これって結末どうなったんだっけ?」というような本がちらほらある。


読み返した時間の薄い作品ほど、遠くに追いやられてしまう。


映画なら一度観たものはそうそう忘れないのに、何度も読んだ本でも20年近く経つとあらすじ諸共忘れてしまうことがあるなんて、ちょっとショックだった。


ショックと同時に、「これはもう一度読んでもいいということか!?」なんてポジティブな解釈もしている。


たとえるなら、一度は人生のどこかですれ違った誰かと、大人になって同窓会やら何やらで再会して、「えーっとお名前なんでしたっけ」みたいなところから始めて「そういえば遊んだことがありましたね」と、また交流するようなものだ。


やり直しの作業は、何なら初恋かもしれない。昔好きだったけど遠に忘れてしまっていたのが、再会をきっかけにまた火がつく。


初めましてではない本を、いろんな経験を経て大人になってからまるで新鮮な気持ちで読み返すことは、それに近いような気がしている。



とはいえ、どうせまた読むなら電子書籍ではなく、やっぱり出会った頃と同じ紙で読みたいなと思ってしまうこだわりも、思い出に縋っているところがあるなと思う。


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