Jリーグクラブの理学療法士となった経緯〜きっかけは1枚のポスターから〜
理学療法士の渡辺です。
今回は、Jリーグクラブ(J3)の理学療法士となるに至った経緯についてご紹介したいと思います。
有り難いことに、SNSを通じて「どうやったらJリーグのトレーナーになる事が出来るか」という質問を多く頂くようになりました。
結論から述べますと、私は下部組織(Jリーグクラブの育成組織)で中学生や高校生のサポートから始め、4年間の経過を経てJリーグクラブの理学療法士として契約しました。
私自身、サッカーを小学生から現在まで続けている為、もちろんJリーグの事は割と詳しく知っていましたし、その中で働く事はいかに狭き門なのかも理解していました。
遡る事5年前。私は、某スポーツショップの掲示板に、「ユースチーム結成!選手募集!」と言うポスターを目にしました。ほぉ、新チームが指導するんだなと思ったと同時に、「チーム名:グルージャ盛岡」という文字が目に飛び込んできました。
当時の私は病院勤務の理学療法士で、何となく業務にも慣れ、スポーツ分野に対しての憧れのような感情を抱いていました。
よしッ!トレーナーとして現場経験を積むならこのチームから行こう!と全くトレーナー募集には触れられていない、選手募集の応募先に突撃でメールを送ってみる事としました。
今考えると無謀な気もしますが、当時の監督がとても熱い方で、1ヶ月後にはJリーグクラブ下部組織トレーナーとしての日々がスタートしていました。
(正直に言いますが、トレーナーとしての準備はほぼなく、足関節にテーピングを巻く事すら出来ず、アイシングの空気の抜き方も分からない、まさに右も左も分からない状態での船出となりました。)
日中は病院勤務、夜はチームの練習、休日は試合帯同とまさに休みなく動き回っていましたが、お世話になった監督の移籍とともに、私もチームを離れる事に決めました。
しかし、その当時から監督がトップチーム(Jリーグクラブ)のスタッフ陣に対して私の話をしてくれており、トレーナーの方から直接私に連絡が入ります。
ここから、徐々にトップチームに顔を出すようになり、選手の治療やリハビリ、試合帯同とフィールドが広がり、2019シーズンから正式に「理学療法士」として契約して頂く事となりました。
ここで伝えたい事
・今現在置かれている場所でどれだけの事が出来ているか
・本当に100%やり切れているか
・誰に感謝しなければならないか
・楽しいか、感情が揺さぶられているか
これらの事を常に自問自答しながら行動し続ける!
その先に明るい未来が待っていると信じています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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