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#17教育とは未来への投資

皆さん、こんにちは、
サッカー、旅行、読書、Voicy好きのコウチャンマンです。
今回も記事にたどり着いていただきありがとうございます。

今日は、そもそも教育とは何であるかということ考えていきます。

教育とはいったい何?

教育はなぜ行うのか?
子どもたちが知識や技能を学ぶため、表現力や読解力、思考力をつけるため、など聞けば10人いたら10通りの回答があるでしょう。
おそらく全て正解になると思います。

でも、それって何のためなんでしょうか。
私は次のように考えています。

「20~30年後の社会で生きる力をつけるため」

今の義務教育にいる子どもたちが社会の先頭に立って進んでいくのは20~30年後ですよね。
つまり、その頃の社会のために教育を行っています。
ということは、その20~30年後の社会で使えるものを身に付けないといけないわけです。
しかし、そこで一番の問題は、20~30年後の社会がどのようになっているのかは誰にもわからないということです。
逆を考えてみると、20~30年前はどのような世の中だったのかというと、Windows’95が出てインターネットが普及し始め、携帯電話が一般大衆化し始めた頃でしょうか。
その頃の人にとって、現在のような社会を想像できたでしょうか。
スマートフォンやNFT,ChatGPTなど全く想像していないものが世の中にあふれています。
(正直、私もわからないことが多いです・・・)
つまり、20~30年後は想像もつかない社会になっていると思うです。

何を教育で伝えていかないといけないのか

それは、自己決定力ではないでしょうか。
タブレット端末を使いこなすことや知識や技能を身に付けることは目的ではありません。
これらはあくまで手段の一つです。
ここをはき違えている人が本当に多い。

いまだに入試に出題されるから○○を覚えた方がよいということを言って、学校の授業が進められている場面が多くあります。
入試システムについては今は論じませんが、入試もあくまで手段の一つです。
入試を目的にしてしまうから、余計な論争が巻き起こります。
それは今の大人たちが手段を目的にしてしまっているからですね。
この思考の変換が必要でしょう。

子どもたちに場を与えているか

20~30年後の手段は今とは絶対に異なりますからね。
でも、自己決定力だけは変わりません。
どの手段を使うのか、なぜ使うのか、ということは自分で考え、自分で決めないといけない。これだけは絶対に変わりません。
だから、今ある道具や手段を使って、自己決定力を身に付ければ、道具や手段が変わっても同様に決めることができます。
でも、現在、子どもたちに自己決定させている場面がどれだけあるでしょうか。
たとえ間違っていても、自分で決めさえすれば、その子どもは大きな学びになります。
人に言われなくたって間違っていたと気付きますよ。
それをあれこれ言う大人がいるから、子どもたちは安心して決めることができないんです。

時間と心の余裕

だから、学校教育において子どもが安心して自己決定できる場を作っていきたい。
場を作るためには、絶対に教員及び子どもに時間と心の余裕が必要です。
そのために私は微力ながら活動・発信していきたいです。
これからの未来の日本のため、皆さんが笑顔になるために取り組んでいきます。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆さんにとってお役に立てたら嬉しいです。
そして、コメントでご意見いただけたらさらに嬉しいです。
それではまた次の記事で!

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