後悔した話①

30年以上前に田舎に戻った時の話:

僕が結婚したのは30台の後半だ。
田舎にいて社長をやっていると付き合う相手がいない。16歳で田舎から外に出てしまった環境では地縁もなく異性と知り合う機会も場所もない。外を知っている分こちらは地に足がついていない。地元の学校を出ていないので市民としての共通の話題もない。逆に地元のしっかりしたお嬢さんは後々苦労する地場の小さな会社の経営者は敬遠したと思う。(と、当時は勝手に思っていたのだが、卑屈な自分を相手にする暇人はいなかったという事。)
倒産する可能性がすごく高いのは規模的に環境的に明確だしそうなると相当大きな地元企業の二代目か昔から地元で頑張っている経営者か医者か弁護士か商工会議所で代々名前を残していた会社の人たち他とにかく将来的に安定している人なら付き合ってもよいと思うのだろうか?と当時自分はよく考えていた。でもあきらめずに相手を探したのか?といえば全くそんな努力もせずに孤独に過ごしていた。孤独もいつか慣れてしまう。時間は矢のように早く過ぎ去り振り返ると当時の生活の明確な記憶もない。

元来人間関係の構築が苦手なので異性との出会いは早々と諦めていつも仕事をしていた。従業員の中には妻帯者も多くクリスマスの時や年始やお盆の時には自分はやることがないので仕事の溜まっている分を整理して一人で過ごしていた。結婚していない田舎の経営者は孤独だ。僕はそうだった。

結局僕の環境は現妻と知り合ってから変わった。彼女は常識的な感性の持ち主で僕のお金を当てにしていた身内にオカシイと言い放ち、過剰な人件費を
自分たちの努力で削減し、お金の流出を少しづつ防いでいった。孤軍奮闘の時間は終わったのだ。

後悔した話といえば、もっと自分のために自分を大切にして仕事をすればよかったという事:早く今の妻と知り合えればな!と思う事だ。

大体が20年30年前の昔の日本は経費がすごくかかる国だった:
無駄な社会システムが多く存在した。逆に2022年現在よりすべからく利益率は高かった。一方当時金利は高かった。逆に今ほど全ての商品・サービスが安売りされていなかった。一方OAやネットなんか全く機能していない非効率な時代だった。原則顔を突き合わせての商売が主流だった。とんで現在は地域的、業界的にもすべての垣根を飛び越えて適法なら商売が成り立つ。なのでアマゾンまでやってきた。30年前の話に戻る。

若い時から原価意識を常に徹底して無駄使いを省いて蓄財すればよかった。この考えは小さな会社の根底に流れる哲学のようなものだ。
会社に全く関係のない人間を社員にして健康保険に加入させたり当時の同族会社のいい加減な組織を継続して無駄使いをしてしまった。人助けは自分が身の回りの事に責任持てるようになった後でも遅くない。それでも頼って来る身内は残念だけど機械的に切ってしまったほうが良い。共倒れよりましだから。

企業環境:田舎の弱小企業:
僕が実家を継いだ30年前ぐらい。1990年頃ようやく携帯電話の(月額5万ぐらいした)普及が始まり会社の受付を通さず直接他社の担当に連絡が取れるようになった。事務機器も総じて原始的でファックスもロール紙感熱紙を使用する製品が20万円もしていた時代。その頃デスクトップのパソコンを購入したが、30万ぐらいするやつでハードディスクがなく、大きな黒い紙製のフロッピーディスクを出し入れして操作する奴だ。アプリケーションを最初に読み込ませて最後に管理してるデータをも見込ませてようやく仕事を始める事が出来る。何を言ってるか書いてるほうも今やよくわからないが128GB(ギガバイト) =128,000MB(メガバイト)として計算すると、現在量販店で2000円程度の記憶容量の爪先サイズのものが、30年前は10万円で弁当箱サイズで逆に容量は12800分の一の容量しか持たない記憶装置を使用する時代。ある部分は手作業で補完しながら日常業務をこなしていく時代だった。画像データーなんか粗くてよく見えない30万画素の商品が
登場し小さなモニターでフィルムの消耗もなく無限に写真が撮れる時代になった。1995年頃でようやく一般市民が手にしたHDDは奇跡的な商品でウィンドウズ95を手に入れるとパソコンは安価なHDDを接続しすぐに作業が可能となった。それ以前はほとんどの会社が数百万の資金を投じてドットプリンター付きのオフコンなるものを導入していた。マルチタスクではないオフコン。それにかわるWindows95の登場。多分人知れず起きていた産業革命(本当は3.1とかあったけど)一般的に使用に耐えうる能力となったのは95からだと思う。ネットもできるようにないった。1990年以前は日本でパソコンといえばNECでこの機種にはWINDOWSは搭載されていなかった。ビルゲイツがmicrosoftを立ち上げてパーツごとに世界標準規格を統一してプリンターHDDやモニター等の接続規格を統一する運動のイニシアティブをとり粛々と実行したせいでNEC他日本のパソコンのメーカーも世界規模の市場を前に同調し追従するしか方法はなかったのだと思う。これによりすべての周辺機器の価格が一挙に下がり一般家庭と一般企業特に中小に爆発的にOA機器が浸透していったんだと思う。というか追従しないと経費競争に負けてしまう事になってしまう。上から下まで日本の社会が世界の同調圧力に負けていくきっかけになった話だ。そして、インターネットもこのwindows95が世間に、力のない弱小の企業にも利用できるようになった。

話を元に戻す1995にはアプリの読み込み作業が全く不要な便利な世の中になっていったという話だ。だから逆にこれより以前にはどんな小さな会社でも受付には受付の担当それとは別に経理事務を担う社員が必要だったという事。これらがHDDの進化とモバイル機器の進化で世間から一掃されていく。
垂直磁気方式でHDD革命 で日本の研究者は岩崎俊一先生がノーベル賞級の発明東北工業大学理事長の20年以上前の功績にようやく光が当たった時でもある。2000年にはコピー機も一流メーカーが150万ぐらいで出していて普通に小さな会社の事務所と保守契約を結んで月額数万円でリース契約を結んでいた。マルチタスクなんか夢の夢。もちろんネット環境なんて存在していなかった。一方自分以外の社員は頼れなかったのですぐに当時高価だった携帯電話を購入して営業が発生したらすぐに在庫確認と発注をできるようにした。実家に帰って10年後2000年頃から最初にブラザーが格安の複合機を売り出した。Windows98の登場との複合機の登場小さな田舎の会社にとってコピーとスキャナーとプリンターがwindows98の入ったパソコンを導入すれば難なくOAの恩恵を受けて、ロータスやエクセルを少し勉強すれば簡単に納品書が作成できるようになった。そして消費税が本格的に5%になり、さらに民主党政権の終了間際にはなぜか10%を目指して上昇することになり
全ての企業は弱小企業無含めて消費税の申告をするために会計士、税理士を頼らなくては経営が成り立たなくなってしまった。

会社を運営すると社杯保険の折半は頭の痛い問題になる。意外と社長は気が付かないていないかもしれないが社会保険に関しては社員を雇っている以上固定費として永遠に経費計上される。結局世の経営者にとってマンパワーの効率化が会社運営の肝になってゆくのだが逆に社会全体の停滞を招いている大きな原因にもなっている。30年以上も昔の日本は消費税がせいぜい3%であり、社会保険は9%(所得に対して)、当時の所得は逆に15%も大きかった。さかのぼって現代。会社にとっての人件費(社会保険料等の法定福利費)は約30%で従業員個人は給料の15%程度で消費税よりも大きいしこれが上がっても気が付く人はいない。少子化の影響で社会保険の料率が上昇してきたしこれに安定性を求めれば消費税を上げることになるのは国民として受け入れるしかない。問題はその保証を国が将来的にどれだけ国民が保証を必要としたときに提供することができるかという事だ。文句を言っても始まらない小さな会社で社長をやっていたから理解できる。上に立つものは結構つねに間違いはあるにせよ必死なのだ。

インカムが下がっても必然的に取られていく経費は倍も上昇したらこれは車も買えなくなってしまう状況な日本。

ついで30年後の現代
人件費は抑えられ、支払われた人件費の中の可処分所得は下がる一方で現在首都圏の土地に関して特にマンション価格は上昇する一方。金利は極限まで下げられているので総支払額の上限は同程度にではあるが、世界的な政情不安定の余波で軍備増強しなければいけない、エネルギーは高騰する可能性が高いし多分原発の再稼働もせざる負えないのでは?と考える。どうやったら
自分を大切にして周りの環境を整えて暮らしを安定させて行けるのだろうか?環境の変化が大きくて思考停止してしまう。投資を励みたいのだが、御覧のとおり原資をためるのは困難だ。なるべく若くて体力があり身軽な時期に一生懸命働いて蓄財するしか今の日本で生き残る方法はないかもしれない。というか国に頼ってばかりでは限界があることにうすうす皆が気が付いている。自助努力するしかない。世界的な富の奪い合いが生じる世界は目前に迫っている。それは金利の上昇が止められない世界、個人の共同幻想が崩れる世界、何かの思惑が同時に世界的に一斉に通じることで共通認識が生じて同じ動きをせざる負えない世界。一生懸命考えて先を読み、何らかの形の社会貢献をするものが選別されて生かされてゆく社会の始まりだと思う。
1995年に弱小企業を襲った革命はぼんやり最終形態に向かっている。




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