ふりふりぺんぎん

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人生。流れ。その時できること。

さて、田舎に戻り会社を継いで33年勤めあげて ここでの仕事を継続することが体力的に他いろいろ考えてこの地を 去ることにした。僕なりに準備してきたことや将来不安なことも多いけど 次の一歩を踏み出そうと思う。なにせ、この33年で個人的に、 8回程度住所を変えているので住まいを変えることにそれほど抵抗はない。 人間関係でいうと、所在地も大きく変えたことがあるけど地元より 知らない土地のほうが環境的に助けられてこともあったし地元がすべてという考えはもともとないから。 思えば何を勘

    • さようならの日②

      もうすぐ本拠地はお別れ、、。 故郷に戻ったのが29歳で昔住んでいた神奈川に戻るのが63歳の今年。 会社は一応68歳まで継続する予定:振り返ってもあっという間でした。 自分には人にない才能があると思っていた20代-40代、何もないと判明したのが50代。何もない才能の人間が妻の助けを借りながらなんとか会社をつぶさずに63歳まで来た。唯々運がよかったのか?目に見えない誰かが助けてくれたのか。失敗し自暴自棄になって自殺してもおかしくなかった。 僕を助けてくれたのは、亡き母と妻と先

      • さようならの日①

        僕は30年以上も前に北海道の田舎町に戻って父の後を注いで 会社の運営をしてきた。いろいろな事情もあるにせよ30年以上も経つのに 友人が一人も出来なかった。たぶん人間嫌いなのだと思う。(笑) 徹底的にというわけでもなく、本来自分というものがなくて流されやすく 信念がない人間なのでそばにいる人間の一言をものすごく気にして影響されてしまうから自然と一人で考え実行する習慣がついてしまったのだ。 この文章を書いている時点でもう僕は引退してこの街を出てゆく 決断をしています。気持ち的に

        • 後悔した話②

          商売を30年以上してきて今更後悔しても始まらないが、、。 税金の話。僕がお金に対するスタンスを変えたのは不動産投資をしてから。 その前は田舎のボロな会社経営を経営している関係で年度末決算をしていただけ。不動産収入が発生しると会社の決算と別に個人の確定申告をして税金の確定を行い、(不動産収入といえば固定資産税や都市計画税も当然発生する)年がら年中税金の事を考えなければいけなくなる。もっと早く税金に対する知識をつければよかった。大学で何を勉強していたんだろう。 小さな会社の経

        人生。流れ。その時できること。

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        • 最初に
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          後悔した話①

          30年以上前に田舎に戻った時の話: 僕が結婚したのは30台の後半だ。 田舎にいて社長をやっていると付き合う相手がいない。16歳で田舎から外に出てしまった環境では地縁もなく異性と知り合う機会も場所もない。外を知っている分こちらは地に足がついていない。地元の学校を出ていないので市民としての共通の話題もない。逆に地元のしっかりしたお嬢さんは後々苦労する地場の小さな会社の経営者は敬遠したと思う。(と、当時は勝手に思っていたのだが、卑屈な自分を相手にする暇人はいなかったという事。)

          運命が変わった話②

          うらないとか:当たるのか? おかしな時期と方角に家を建ててしまたらしい。 建築後半年も経過しないうちに仕事が減り、翌年の春には 税務調査が入り、経理事務の未熟さを(無知)を自覚するほど 徹底的にいろいろ指摘され、今までの自分の培ってきた能力は 何だったのであろうか?としょんぼりする状態がその後3年以 上続くことになる。占いは結局当たるのか!という事に考えは向く のではあるが、、。その後: 余分な人員整理(会社の状況を見かねて去っていった後の補充をしなかった)最低限の緊急の

          運命が変わった話②

          運命が変わった話①

          今から15年前:少しだけ会社の業績が良くなった頃の話 僕は父親から社屋として(家賃毎月5万+地代1万)を支払っていた。丁度会社運営で15年目にもなるし毎月のお金ももったいないので自宅と会社の兼業の建物を建てた。家賃6万円とは別に8万円を自宅家賃として支出。 だから合計14万程度なら住宅ローンで支払っても問題無い!と考えた。 この引っ越し時期をきっかけに、不思議な事にあれよあれよ色々な分野の仕事が縮小していった。相互に関連している分野でもないのだが会社の屋台骨となっている全体

          運命が変わった話①

          会社を倒産させない方法②

          ①からの続き 倒産させない方法その①のつづき。 結局33年間そこから(1989年から)社長を続けて会社を倒産させずにすんだ。運の要素も大きかった。小心者で意外に損切を早く行っていたし、その時々で助けてくる人が適切に登場してくれた。多分30年間で5人程度、そのくらいの援助者を見つければ会社は継続できると思う。最終的に僕の会社は徐々に売上は減っていった。でも職務上自分の出来る事が習慣上で増えて行ったので従業員の人件費を抑制して最終的には妻と僕の2人で会社の経営が出来た。従業員は

          会社を倒産させない方法②

          会社を倒産させない方法①

          僕は平成元年1989年に、、。 神奈川県から北海道の地方都市に、父親の会社を継ぐために戻る事になった。1990年当時日本電電公社がNTTとなり民間企業として株式公開を行った頃で景気が良く父親も元々株式投資が好きだったからご多分に漏れず、、。株式投資にはまり個人企業の強みで会社の運転資金を結構な割合で投資につぎ込み証券会社に入り浸り、本業を疎かにしている状況で従業員から不評を買っていた。当時母親も相当その状況に困惑しており、僕もふらふらしているのを知っていたので父親の定年を速め

          会社を倒産させない方法①