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「珠名の森のねむり姫」 十四歳 修学旅行(2)

 自由行動は、班ごとにホテルから出発することになっていた。僕らの班も出発したが、ホテルを出てすぐのコーナーを曲がると、中山がここで待機だと言い出した。
「俺の彼女の班と合流する」
「聞いてないよ」
「言う必要あるか。ルートは事前に決めていたのでいいから問題ない」
 十組ほどの班が通り過ぎた後で、女子が手を振りながら走ってきた。女子が中山に抱きつくと、中山は「おせーよ」と言いながら女子の髪を撫でた。
「不純異性交遊。いいな」
 と浜口が言った。
 その時、一人の女子と目が合った。詩穂だった。
「おやおや」
 詩穂は微笑みながら近づいてきた。
「ここにおられるは前橋君じゃありませんか」
「ひょっとして、早川さん、知ってた?」
「実は知っていました。今日はよろしくね、リーダーさん」
 詩穂が僕の肩をぽんと叩いた。
 周りの男子生徒が驚愕の目で僕を見ていた。普段は目立たず冴えない僕が、いきなり女子と親し気に話しだしたからだ。状況から、僕と詩穂が恋人同士と早合点する生徒もいるかもしれない。
 周りの視線に耐えきれずに僕は「さあ行こう」と言って歩き出した。
 詩穂は自然と僕の隣を並んで歩いている。他者からの視線を与えられると、僕は急に恥ずかしく、恐ろしくなった。僕たちのようなモテない集団にとって「女子と親しく話す」というのはどこか特権的な響きがある。
「最初はどこに行くんだっけ」
「二、二条城かな」
「廊下がキュッキュ鳴るんだよね。どんな感じかな。楽しみ」
 微笑む詩穂に上手く返事ができない。急に黄金を与えられた貧者のように、僕は状況に落ちついて対処することができなくなっている。
 他の班員に話し掛けられて、詩穂が僕の隣を離れた。僕は我知らず緊張の糸を解いた。
「仲いいね」
 班の男子生徒に言われた。声音には幾分やっかみが含まれていた。気持ちは分かる。
「図書委員で一緒なんだ。それだけだよ」
 なるべくさらりと言った。刺激しないためだったが、かえって逆効果だったかもしれない。いずれにせよ、班の中にはギクシャクした空気が漂うようになった。
「なあ、お前あの女子と」
「これからどこに行くんだっけ」
 男子生徒を遮って、浜口が声をかけてきた。いつもと変わらぬ調子だった。僕が目的地を伝えると、
「見どころはなんだ」
 と重ねて質問してきた。それで、話題は完全に詩穂からそれた。
 浜口と二人しか聞こえない距離になってから、「ありがとう」と礼を言った。
「なんの話だ」
 と浜口はしかめ面をした。演技かもしれないし本当に分かっていないのかもしれない。いずれにせよ、浜口はとてもありがたい友人だ。
 その後も、詩穂と話をする時間はなかなか作れなかった。詩穂は、同じ班の女子にずっと話し掛けられていたし、僕も何かと男子生徒に話し掛けられた。
 すぐ近くにいるのに話せないのは、もどかしかった。ふとした時に目が合うと、心臓が止まりそうな快感に撃たれた。
 僕は恋をしていた。どうしようもなく詩穂が好きだった。大勢の中に放り込まれると、激しくそれを意識させられた。
 何もできないまま、最後の観光場所である清水寺に着いた。
「自由行動な。後でこの場所で集合」
 そう言い置くと、中山は彼女の手を引いてさっさと歩き去ってしまった。
 その言葉を機に、班員たちはバラバラになった。詩穂たちの姿も見えなくなったので、僕は浜口と二人で見て回った。
「清水の舞台から飛び降りる、だったか。ことわざは」と浜口が言った。
「そうだね。思い切って物事をやるたとえじゃないかな」
「昨日思い切ったことをやった俺から言わせれば、飛び降りても墜落死するだけだ、やめとけって感じだな」
 浜口は面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「今日は何を見ても虚ろだった。だが、俺はいつまでも覚えておくぞ。そしていつか、また京都に来て、こんなにいい場所だったのかと感動してやる」
「それはいい考えだね」
「だが今日は虚ろだ。俺は集合場所に戻る」
「僕も戻るよ」
「まだ見てない場所もあるだろう。お前は観て来いよ」
「いいんだ。戻りたいんだ」
 浜口の言う虚ろというほどはないけれど、この時の僕には、詩穂と一緒に回れない風景など、たいして面白いものではなかった。

 集合場所で浜口と話していると、班員たちが徐々に集まってきた。だけど、中山と彼女がまだ戻ってきていなかった。
「ちょっと様子を見てくる」
 僕が、中山たちを探しに行くことになった。班員の話から、最後に見かけた場所の近くを見て回る。
 虫の知らせがして、建物の裏に回った。果たしてそこに中山たちはいた。灯篭に身を隠すようにして二人はキスをしていた。二人の汗が匂ってきそうなほどのキスだった。
 中山が僕に気づいた。激怒していた。
「空気読めよ。暇なら見張りでもしてろ」
「もう全員集まっている」
「あと五分したら行く。見張りしてろ」
 仕方なく道を戻ると、詩穂が歩いているのに気づいた。
「私も探しに来ちゃった」
「そう」
「いた?」
「いなかった。……ほんとは、いた」
「んん?」
 僕の曖昧な態度に詩穂が首を傾げた。
「キスしてた。五分くらい邪魔すんなって」
「あら、まあ」
「見張りでもしてろって言われた」
「前橋君が見張りなんてする必要ないよ。私はもう見たからここにいるよ。それで、五分経ったら呼びに行くわ」
「それなら僕もここにいるよ。だいたい見たから」
 僕と詩穂は並んで立った。なんだかずいぶん久しぶりな感じがした。
「一緒に回りたかったよ」と詩穂が言った。
「僕も」
 二人の視線が重なった。それは、どんな歴史的遺物を見た時よりも素敵な瞬間だった。
「どういうわけか、普段そんなに仲良くない子が話しかけてきて、前橋君に話し掛けるタイミングがなかった」
「僕もだ」
「あら、そう。私、前橋君から避けられているのかと、ちょっと思ってた」
「……周りの目を気にしてたかも」
「なあんだ、そっか。嫌がられてたわけじゃないんだね」
「もちろんだよ。そんなわけ、ないよ」
「ままならぬものですね」
 と、詩穂がしみじみ言った。僕も「ままならない」と言った。
 五分が経過した。あっという間だった。この時間が過ぎてしまわないように願ったのは、中山よりもむしろ僕の方だろう。
キスの真っ最中だった中山は僕を激怒した眼つきで見てきたが、隣に詩穂がいることに気づくと、きまずそうに彼女と体を離した。


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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